浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問13


問
 煩悩にまみれた自己に泣いておられる親鸞聖人の信後の御言葉を書き
 その出典も示しなさい。
答
 「悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、
 定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近くことを快まず、恥づべし
 傷むべし」(教行信証信巻)

平成16年5月22日(土)
教学講義 講師:中根繁会長
「定聚の数に入る」とは、正定聚の身になること。51段目のさとりを開
くこと。信心決定すること。

正定聚の人は、沢山居るので「定聚の数に入る」と言う。

「真証の証」とは、仏のさとりのこと。52段目のさとりを言う。

「真証の証に近く」とは、信心決定すると、この世は51段目の正定聚な
ので、死後は52段目の仏になる身になっている。これは言い換えれば、
死が近づけば近づくほど仏のさとりになるのが近くなるということとも言
える。これが、「真証の証に近く」ということ。

ここで、親鸞聖人は、「51段の正定聚に救って頂たことも喜べないし、
死後に仏になれることも嬉しくない」と歎かれている。

「信心決定しても、信心決定したことよりも欲が満たせる方が嬉しい」と
仰っている。

中根先生も、「親鸞聖人と全く同じで信心決定したことなど喜べない」と
仰る。

これは信心決定した人は、皆同じ.

歎異抄にも「いささ所労のこともあれば、「死なんずるやらん」と心細く
覚ゆるなり」と仰っている。

これは、「ちょっとでも病気になったら死んでしまうのではないかと心細
く思う」と仰っている御言葉。

「死の解決をされた」と仰りながら、「死にたくない、死が怖い」と仰っ
ている。

中根先生は、「この教行信証の御言葉を読まれる毎に、「全くその通り
だ」と思われてとても嬉しくなる」と仰る。

親鸞聖人も、この御文では悲しんでいらっしゃるように仰っているが、悲
しんでいるまま喜んでいらっしゃる。

「教行信証は、三哉が説かれている」と言われる。

「慶ばしき哉」と教行信証の始めに仰り、信巻では「悲しき哉」と仰り、
そして、最後にもう一度「慶ばしき哉」と仰っている。これは絶対矛盾的
自己同一の境地を告白されている。

善悪を超えた境地を親鸞聖人は、言葉で説明される都合上、善なる面を先
に説かれたり、悪なる面を先に説かれるだけで、本当は善のままが悪、悪
のままが善。

信前は、愛欲に振り回されないように戦い続けで苦しみばかり。信後は、
愛欲に振り回されようが、喜びは変わらないので気楽。

煩悩はどこから生まれるのか?
それは七転識によって生み出される。

「七転識」とは、眼・耳・鼻・舌・身・意・末那識の七識が影響し合って
いることを言う。

この七転識で阿頼耶識を見たところから、我執、我見、我愛といった煩悩
が生み出される。

本当は、何も実体のあるものなどない。全ては実体のないものなのに、
「実体がある」と思い込んでいるのが人間。しかし、実体があるという思
いを生み出しているのは自分自身の心である。

これを「三界唯一心 心外無別法」と言う。

これは、三界は唯一心によって生み出される。心の外に別に法はないとい
うこと。

この煩悩の説明は難しいので、通常は末那識が阿頼耶識を間違った姿とし
て認識させることで生み出されるという説明をする。

阿頼耶識は、形を変えながら続いているのに、末那識が生滅をしない固定
不変なものと誤認させる。

その誤認から、「我がある」という間違った思いが生み出される。

そして、この我が存在するという思いから執着心が生じる。そして、この
執着心が全ての争いを生んでいる。

[get5out考察]


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問
親鸞聖人の悲痛な懺悔のお言葉を二つ記せ。
答
・無明煩悩しげくして塵数のごとく遍満す、愛憎違順することは高峯丈山
 にことならず。(正像末和讃)
・悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して定聚の
 数に入ることを喜ばず、真証の証に近くことを快まず、恥ずべし、傷む
 べし。(教行信証信巻)
解説
・しげく――はげしく。
・遍満――すきまなく満ちている。
・愛憎違順――自分に順う者は愛し、順わないものを憎む。
・定聚の数――正定聚不退転(現益)
・真証の証――弥陀同体覚り(当益)

問
親鸞聖人の悲痛な懺悔のお言葉を『教行信証信巻
』と『正像末和讃』で一つずつあげよ。
答
○悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利
 の大山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、
 真証の証に近くことを快まず。恥ずべし傷むべし。
               (教行信証信巻)
○無明煩悩しげくして 塵数のごとく遍満す
 愛憎違順することは 高峰岳山にことならず
                (正像末和讃)
解説
・現等二益。
・塵数――ちり。
・遍満す――満ちあふれている。
・愛憎違順する――自分をしたう人→かわいい。
         自分に反抗する人→憎たらしい。

問
親鸞聖人が『教行信証』を書かずにおれなかった慶びを述べ
られているお言葉と、その根拠を示せ。
答
○ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしきかなや、西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の
師釈に、遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり。
真宗の教・行・証を敬信して、特[こと]に如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここを
以て聞く所を慶び、獲る所を嘆ずるなり。(教行信証総序)

問
 二種深信を教行信証の御文で示しなさい。
答
 ○ 悲しき哉、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定
 聚之数に入ることを喜ばず、真証之証に近くことを快まず。恥ずべ
 し、傷むべし。(機の深信)
 ○ 慶ばしき哉や、西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、遇い難く
 して今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり。
 (法の深信)

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