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浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学3号 問7


問
 善知識には海山越えても馳せ参じ、仏の如く敬って身肉手足をも供養
 すべきであると説かれた経典をあげなさい。
答
 「般舟三昧経」

平成16年4月24日(土)
教学講義 講師:中根繁会長
「般舟三昧経」(*1)は、念仏三昧の実践によって救われることを説かれた
経典。(get5out1)

善知識の重要性を説かれた経典は、他にも沢山ある。例えば法華経(*2)に
は、いろいろと善知識について教えられている。(get5out3)

般舟三昧経には、善知識の貴さを敬う気持ち身肉手足をも供養せよという
具体的な形にして例えて教えておられる。

「身肉手足を供養する」というのは、心から善知識を敬いなさいというこ
とを表されたもの。

実際に、身肉手足を供養したら死んでしまうので、実際に供養することは
できない。

心から敬えと言っても漠然としていて分かりにくいので、具体例で示され
た。

「般舟」とは、念仏と同意だと思っていい。(get5out2)

般舟三昧経は、浄土三部経には含まれていない。よって、般舟三昧経を読
むことは読誦雑行になる。(get5out4)

「読誦雑行」とは、浄土三部経以外の経典を読むことで、信心決定するの
が遅れる悪い行ないを言う。

これに対して、浄土三部経を読むことを読誦正行と言う。

「読誦正行」とは、信心決定が早くできる為の善い行ない。

善知識は、何とか早く信心決定できるように導こうとされるので、雑行を
教えられるということは、雑行をしてはいけないということ。雑行をして
はいけないと言う善知識の御言葉に従わないということは、信心決定でき
ないということ。

折角、(信心決定の妨げになる)雑行を捨てて、正行を勧められた善知識
のご指導に従わなければ、信心決定が遅れてしまう。これが真宗の肝要。
骨目である。

蓮如上人の時代には、雑行を捨てて阿弥陀仏一仏に向かえという浄土真宗
の要の教えが、他宗の怒りをかってしまった。そこで、仕方なく御文章の 
中で、雑行に対しての批判を抑えられている。しかし、これは蓮如上人の
本意ではない。

「たとひ牛盗人とはいはるとも、もしは後世者・もしは善人・もしは仏法
者と見ゆるように振舞ふべからず」(御文章2帖目第2通)

「仏法を内心に深く信じて、外相にその色を見せぬように振舞ふべし。然
れば、この当流念仏者に於て、わざと一流のすがたを、他宗に対してえを
あらはすこと。以ての外の誤なり。所詮、向後、この題目の次第を守り
て、仏法をば修行すべし。若しこの旨を背かん輩は、永く門徒中の一列た
るべからざるものなり。」(御文章3帖目第10通)

この蓮如上人の定められた掟は、信教の自由が認められている現代では必
要ない。

現代は、親鸞会の批判や話題に触れてはならないという新しい掟を守らね
ばならない。

[get5out考察]

「般舟三昧経」(*1)は、念仏三昧の実践によって救われることを説かれた経典。
「念仏三昧の実践」とは、どんなことをするのか?

般舟三昧を得れば、十方(じっぽう)の諸仏が現前するといい、とくに西方
阿弥陀仏の見仏(けんぶつ)の例を挙げる。

この三昧を得る方法は、九十日間にわたる不休の念仏三昧として示される
が(四事品第三)

白蓮社の念仏の実践とは、支婁迦讖訳の「般舟三昧経」に依拠した般舟三
昧である。よって、同じく阿弥陀如来を念ずる浄土教ではあっても、浄土
三部経に依る専修念仏を説いた曇鸞・道綽・善導の浄土教とは異なってい
る。般舟三昧とは、阿弥陀如来を専念することで見仏を得るという禅観の
修法であり、称名念仏による専修念仏とは別系統の実践であった。

これらによれば、「般舟三昧の実践」とは、90日間休むことなく一心に仏を念じること。そして、その目的は、仏を見ること(見仏)となる。
これは、親鸞聖人の説かれた浄土教(称名念仏の系統)とは別物である。
その別物の実践をする際の心得が、「般舟三昧の実践」を目的としない浄土真宗一の会会員に適応できるのだろうか。
疑問だ~

「般舟」とは、念仏と同意だと思っていい。
この説明は、不明確である。
ウィキペディア(Wikipedia):念仏

果たして、
「般舟」とは念仏と同意だと思っていい
とは、どの意味で説明しているのだろう。
そして、聴衆は、どの意味で理解していたのだろう。
想像では、称名念仏と理解していたのではないだろうか。
正しく理解する必要があるのなら、正確に説明する必要があった。
また、その必要がないのなら、説明したこと自体が余計なことだったと思う。

法華経には、いろいろと善知識について教えられている。
『妙法蓮華経』中の善知識についての記述は2箇所
「妙法蓮華経提婆達多品第十二」
爾の時の王とは、則ち我が身是れなり。時の仙人とは、今の提婆達多是れ
なり。
提婆達多が、善知識に由るが故に、我をして六波羅蜜、慈悲喜捨、
三十二相、八十種好、紫磨金色、十力、四無所畏、四摂法、十八不共、神
通道力を具足せしめたり。等正覚を成じて、広く衆生を度すること、
皆提婆達多が善知識に因るが故なり。
(内容:過去世では、提婆達多が釈迦の善知識だったことがある)

妙法蓮華経妙荘厳王本事品第二十七
世尊、此の我が二子已に仏事を作しつ。神通変化を以って、我が邪心を転
じて仏法の中に安住することを得、世尊を見たてまつることを得せしむ。
此の二子は是れ我が善知識なり。宿世の善根を発起して、我を饒益せんと
欲するを為っての故に、我が家に来生せり。
爾の時に雲雷音宿王華智仏、妙荘厳王に告げて言わく、是の如し是の如
し。汝が所言の如し。若し善男子、善女人、善根を植えたるが故に、
世世に善知識を得。其の善知識は、能く仏事を作し、示教利喜して阿耨多
羅三藐三菩提に入らしむ。
大王当に知るべし。善知識は、是れ大因縁なり。所謂化導して仏を見、阿
耨多羅三藐三菩提の心を発すことを得せしむ。
(内容:)


他、善友が2箇所あり。

1箇所ではないから、まぁ、いろいろかな。

『華厳経』には、善知識の話がもっとたくさん載っている。
入法界品の善財童子の物語では、53人の善知識との出会いが描かれている。
文殊菩薩の指示で53人の賢者を訪ねて修行を積み、最後に普賢菩薩の所で悟りを開いた

また、親鸞聖人御消息集にも
「御善知識は一百一十人なり、『華厳経』にみえたり。」
と取り上げられている。

だから、数の上でも文証から考えても、先ず『華厳経』を挙げるのが妥当だと思う。
親鸞聖人の文証にない『法華経』の話をあえて持ち出す意味って何だろう。
おそらく、親鸞会の説明をそのままなぞっているだけではないだろうか。

般舟三昧経は、浄土三部経には含まれていない。よって、般舟三昧経を読
むことは読誦雑行になる。



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問
 善知識には海山越えても馳せ参じ仏の如く敬って身肉手足を
 も供養すべきであると説かれた経典をあげなさい。
答
 ○ 般舟三昧経

問
 善知識には海山越えても馳せ参じ、仏の如く敬って、身肉手足をも供養す
 べきであると説かれた経典を書きなさい。
答
 ○般舟三昧経

参照資料



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