珍品事件上告状

珍品事件上告状
          被告人 広岡宇一郎
          同 加藤高明
          同 内田信也
          弁護人 山崎今朝彌
 右被告等に係る大正十年(珍)第五号事件に付き同年三月天庁に於て言渡され、同月廿八日発行の法律新聞第千八百十五号を以て公布ありたる、左記有罪の判決は全部不服に付き茲に上告申立候
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      判決
          代議士 広岡宇一郎
          子爵 加藤高明
          政商 内田信也
 右大正十年人騒せ事件に付天庁に於て判決すること左の如し
 一 被告宇一郎を叱り置く
 一 被告加藤高明は自今不高明と名乗る可し
 一 被告内田信也は自今不信也と名乗る可し
      理由
 一、被告広岡宇一郎は代議士の職に在り、政友会幹事長の重責を負ひながら、加藤高明に対し軽々に挑戦を為し、確実なる証拠なきに拘らず、普選問題を放棄するを条件として、加藤高明が五萬円を内田信也に寄付せしめたりと称し、政友会代議士会に於て之を表明し、尋で天下を騒がせたるの行為甚だ不届至極なり。尤も其表明を為すため幹事長の任を辞したりと雖も、之れが為めに軽率と人騒せの責を免る可らず。然れども下の如き理由に依り寄付を受くるの危険なる事情を世人に感知せしめたるの効あるにより、情状を酌量し、将来を戒め之を叱り置くものとす。
 一、被告加藤高明は其身憲政会総裁の任に在り、又自身富者にありながら、僅々五萬円の寄付の為め尾崎島田を援護せざるを条件としたるは、大義親を滅するの法則に反したるものなり。殊に珍品五個と称し、明かに五萬円と記せざる点は甚だ不高明と云ふ可し。尤も昔家康が大阪城を取る為め秀康を毒殺したる如き、正宗が徳川の嫌疑を避くる為め長男を廃嫡して宇和島へ分家せしめたる如き、秀吉が家康と和する為め既に他人の妻となれる自己の妹朝日御前を取戻して徳川へ贈りたる如き例は之あれども、皆天下国家の為めにして、五萬円と同日の論にあらず、尾崎島田を援助せざるを条件となしたるものとせば、一人を二萬五千円宛の価値と見たるものなるも、斯ては余りに考慮なき児戯の所為にして、之を以て常とせば、大将の馬前に討死する者なきに至る可く、若し又一人二萬五千円に代へて迄も嫌忌するならば、何故に当時其の事情を淡泊に右二氏に通じ脱党せしめざるか。二氏は此話を聞かば速に脱党すべし。彼此考覈するに此行為甚だ高明ならざるを以て、自今不高明と名乗るを相当とす。
 一、被告内田信也は、其身分詳ならざるも、自ら富豪と称するを以て、多少の金は所有する者なる可し。而して天下の事は金にて左右することを得るものと誤信を抱く者たるべし。又五萬円を憲政会に寄付したる為めに、憲政会は常に内田信也の利益を図るものと誤認したる者なる可し。抑寄付は神に捧ぐる賽銭と同一なるを以て、其利目の有無に係らず之を取戻し得ざるは勿論、之に対し不平を言ふことを得ざるものとす。然るに一朝自己の不利なる事実の憲政会より発表せらるるや、直に敵党たる政友会の者に歓を通じ発信人たる加藤高明の承諾を得ずして書信を広岡宇一郎に渡したること不信用の甚だしきもの恰も神に向て利目なきため御供物を撤回して不平を鳴したると同一にして、人間の風上にも置けぬ代物なり。然れども之がため自ら政商の信用なきことを世人に感知せしめたる効あるに因り、情状を酌量して自今不信也と名乗る可し。
 右評決す。
 大正十年三月
       天帝裁判所裁判長
          判事 金星
          同 土星
          同 火星
      上告の趣意
      第一点
 原判決は喧嘩の原則を無視し実験則に反して事実を認定したる不法あり。蓋し原判決が被告宇一郎(宇一郎は迂一郎の誤記にあらずと認む)を有罪と断じたる所以のものは、被告今回の挙は代議士の体面を辱しめたる軽卒の行為なりと云ふにあり。
 然れども売節、背信、乱闘、暴言、禽声、獣心は近時我議会に於ける代議士の特質なること吾人が毎期之を実験する所にして、一点疑念の余地なければ、其一挙一動を特別慎重の態度を要するものの如く解し、之に基き下されたる原判決は此点に於て既に実験則に反して事実を認定したる違法あり。
 次に又被告宇一郎の本件目的は(イ)相被告高明の人格信用を損傷し(ロ)憲政会を撹乱し(ハ)当時満鉄問題に集中せる天下の視聴を之に転回せしめんと企図したるにあること本件記録に徴して明なり。故に被告は此目的を達する為真に深思熟慮細心の注意を払い、先づ相被告信也及び其顧問等と相謀議し、信也高明間に於ける往復文書により、珍品事件の真相を確め、茲に犯意を決し之てを摘発する事としたるも、喧嘩の真目的を達する順序としては、針小棒大、牽強付会、捏造誣告また止むを得ざる関係上、或は刑事上の告訴、告発ともなり、被告が却て名声を失し、収監失格の身となり、金儲の途を絶たれ、喧嘩全敗の憂き目を見、引いては其属する政友会に累を及すやも図り知れずと憂慮したるを以て、予め其総裁及幹部の了解を得、其幹事長の職をも辞したる次第なり。然らば被告の本件行為は決して軽卒に非ず。原判決の趣旨が被告が碌々調査も為さず被告高明が利欲に迷ひ、節を売り、普選阻止を条件として、被告信也より多額の珍品を騙取したりとの虚構の事実を流布したる点を犯罪としたるにありとせんか、其は喧嘩の法則を解せざる違法、若くは事実の真相を誤りたる不法あり。蓋し被告が右事実を世に流布したるは、高明が堪らなくなり其秘蔵する『珍品正に受領、条件固く遵守』の文書を発表せしめん為めの魂胆にして、被告の作戦が見事其効を奏したるに照すも、被告の行為が軽卒にあらず喧嘩の法則に適ひたること尤も明白なり。
 或は原判決の趣旨は、政党々首と雖も不法にあらざる条件を付して寄付を受くるに何の差支へなし、然るに被告が之れを不法なるものの如く主張して世間を騒がせたるは軽卒にして、代議士にある間敷行為なりと断じたるにあらんか、然らば原判決は此点に於ても喧嘩の哲理を解せず無茶の判決を下したる不法あり。何となれば、被告が既に叙上説示の三大政綱を提げ、相被告高明と一騎打に出でたる以上其目的を達すれば喧嘩に勝ちたりといふを得べく、今更被告が弱者の顰に做ふて正義の行動に出づるにも及ばざるべし(目的は手段を撰ばず、大功は細瑾を顧みずの件参照)仍て珍書を案ずるに、日本第一の富豪たる三菱の婿にして而かも日本第一の政党の次の政党々首たる被告高明がナンダ僅々五個位の珍品に随喜の涙を澪したる点は、採つて以て被告の第一目的を達するに充分なるべく、由是観之三菱必ずしも憲政会の大檀那にあらざるべく、事大排金を理想とする政界に於て此事実の普及は蓋し憲政会の致命傷なれば、被告は居ながらにして直ちに第二の目的を達し得べし、若し夫れ『珍品』の一句に言つては、実に寸鉄の『金言』敵も味方も視者聴者即刻到る処に之れを模倣すべく、之れぞ真に天下の耳目を転回する被告第三の目的を遺憾なく達成せしめ得べし。被告徴なりと雖も久しく政界に寄生し、特に其籍を政友会に置き、聊か其の機微に通ずるもの、誰か政友会が三井、古河、満鉄、阿片到る処の特殊会社又は特権階級より莫大の珍品を物したる事実を更らに知らずと雖も、豈政党が個人又は団体の名を以て多少の条件を付し資本家より莫大の寄付を受くるにあらずして、到底やつて行けるものにあらざる事実を知らざる程軽卒の者ならんや。知つて而して知らざる真似をして之れを言ふは只人糞が鼻糞を笑ひ、顧みて苦笑失笑を禁ぜざるの類み、其真に言はんと欲する処は他にありて存す、豈軽卒など云へた筋合のものならんや、然るに原判決が此理を解せず、被告の揚言の一端を捉へて無暗に之れを軽卒罪に処断したるは蓋し軽卒の違法あるを免れず。
      第二点
 原判決は政治政党の性質を誤解し、法則の適用を誤りたる不法あり。原判決が被告高明を有罪と断じたる理由の要旨は、被告はその身憲政会総裁にてありながら僅か五萬円の寄付の為めに尾崎、島田を援護せざる条件を付したるは、大義親を滅するの法則に反したるものなりと云ふにあり。
 然れども被告は憲政会総裁を汚すものなれば、専心一意憲政会の為めに憂慮すべく尾崎、島田の如きは眼中に措かずして可なり。然らば茲に憲政会に五萬円を寄付する者あり、其の特志家が尾崎、島田を大嫌ひにして被告が之れを援護せざることを欲したる場合、被告が之れを条件として唯々諾々其の寄付を受くるは当然のことなり、然らざれば憲政会はその五萬円を失ふの虞れあり、豈慎まざる可けんや、元より尾崎、島田は党の重鎮被告の先輩所謂憲政会の功労者なりと雖も、這は之れ私情に過ぎず、私を以て公を抂ぐべからず、特に被告にして彼等を援護せんと欲せば、他に方法あり、彼の条件は此の方法を拘束せず、要するに本件に於て被告が珍品を受領したるは五萬の益あるも一文の損なし、被告は大義親を滅しこそしたれ決して之れに違反したるものにあらず、是れ被告が原判決を不法なりと論ずる理由の一なり。
 原判決の意或は、被告の総裁する憲政会は普通選挙を旗印として政友会と相争ふものにして、尾崎、島田は此の普選の神類に属するものなれば被告は何処迄も之れを尊信し、普選の目的を達するを大義とし、この大義の為めには五萬円の親も何かあらん、と云ふにあらんか、然らば原判決は政治政党の性質を了解せざる不法あるものと云はざるべからず、抑も政治とは治者階級即有産階級が、被治者階級即無産者階級を支配統御する手段方法を云ひ、政党とは此の目的の為めに多数集合して団結々合し、政利を図るもの(刑法第百六条同第百八十六条第二項参照)なれば、私心なき政治家若しくは政党は、無産階級を治者階級に近くるの機会を与ふるのみにして、更らに有産階級を益することなき普選問題の如きは、元来用なき筈なり、選挙権なき者が之れを必要なりとして強要するは格別なれど、今日の如く選挙権なきにあらざる特権階級に属する者が、之れを他人に分配恵与せんとするは何等かの野心を包蔵するものと断ぜざるべからず、無産者即ち労働者若くは大衆が、政治に参加し、其多数を利用して政権を獲得することは決して彼等政治家の主人筋なる資本家に利益あるものにあらず、否却つて階級打破、資本家制度転覆に導く等の危険あり、真に憂慮に値せざるべからず、被告の高明なる茲に見る処あり政友会の前進自由党の故智に習ひ、到底其の行はれざるを知るや猛然頻りに普通選挙を高唱し、以て天下の人気を取り萬一被告が其局に当る等のことありたる場合は、理屈は何とでも付けらるるもの、二枚舌や三枚舌は多数判例の存する処、敢て恐るるに足らずと信じ、断乎として普選を絶叫したる迄にして心底之れを欲したるものにあらず、而して此点は苟も尾崎真暗の徒にあらざる限り、現代政治家にして被告と高明を競ふものの敢て除外例を許さざる処なり、之れ被告が原判決を不当なりとする所以の二なり。
      第三点
 原判決は富豪の心理と、復讐の哲理とを解せざりし違法若しくは理由不備の違法あり。即ち原判決は其後段第三の理由に於て、被告信也が人間萬事佐渡の土と誤信し、朝に憲政会を送り、夕に政友会を迎へたるは人間の風上にも置けぬ代物なりと説示し、之れを不信の極刑に処断したり。
 然れども右は、政商にして富豪たる被告の心理を解せざるの甚だしきものにして、不法の判決なりと云ひ得べし、抑も政商が寄付をなし慈善を施すは人の為めにするものにあらずして、偏に其身の栄達利益若くは安全を図る為めにするものなれば、此目的を達するが為め被告が或は憲政会と通じ、或は政友会に与し、又は国民党に秋波を送るは元より其処、何の不可思議か之れあらん、故に被告は一般政商の例に従ひ常に各政党より高給を投じて顧問を選抜し、以て其政党操縦の任に当らしめたる外、米騒動あれば愕然とし率先貧民を救助し、そんな事では到底男爵になれぬと観念せんか直ちに大金を投じて学校を創立し、或は権門に伺候して邸宅を購ひ骨董を献じ、一旦緩急あれば義勇救を求め「金はイクラでも出す」と叫ぶ、之れ実に富豪や政商に共通する処の心理にして今人の少しも疑はざる原理なり。啻に之れのみにあらず、方今宇内の人士皆金の為めに「ケンケンヒキユウ」の節を致すに際し萬金を投じて議員を買収し、処女を蹂躙し、美姫を購ひ之れを愚弄し、嘲笑する又富豪の本懐にあらずや、日糖然り、高松然り、浅野然り、村井然り、着炭然り、被告豈又然らざるを得んや。思ふに原判決は、畢竟、富豪となりたることなき貧乏人の心理を標準としたる判決にして、破毀を免れず。なほ又原判決が其の末段に於て『然るに一朝自己に不利なる事実の憲政会より発表せらるるや、直ちに敵党たる政友会のものに歓を通じ、発信人たる相被告高明の承諾を得ずして、書信を相被告の宇一郎に渡したるは背信の甚しきものにして云々』と判決したるは明かに復讐の哲理を看過したるものなりと信ず。蓋し被告の寄付が已に叙上説示の如く、何か為めにする所あり自己の利益を図りたるものとせる以上、憲政会が恩を仇にて酬いたる本件にあつて、被告が飼犬に手を咬まれたりと激怒し、之れに報復々讐を企つるは寧ろ当然にして、大石良雄の仇討ち、楠正成の七生を賛美崇仰する日本人の同情を禁じ能はざる所なり。然して復讐なるものは、敵に反省を求め其の将来を戒めんとするにあるを以て、その法たるや必ず敵に復讐なることを知らしめ、且つ其の加へられたる苦痛より更に大なる苦痛を敵に与へざるべからず。(仇は三倍の原則参照)然らば被告が先づ相被告高明の許に至り、他に方法無きを以て必ず返報すべきを断り、次いで被告宇一郎と牒合せ珍品五個に数倍せる苦痛を被告高明に酬ひたるは何等非難すべき処あるを知らざるのみならず、弱者の地位にある者に対し、弱者の道徳たる反抗の哲理と復讐の原則とを教へたる殊功顕著と云はざる可らず。人或は如斯くんば、被告は終に一生華族となるの機会を失ふべしと心配せん、然れども憂ふることを休めよ、人の噂も七十五日、昔石塊も牛肉となり缶詰も男爵となりたりとかや。被告とてさう悲観したるものにあらざるべし、論じて茲に至る原判決の不法なること益々明かなり。
      一定の申立
 以上の如く原判決は徹頭徹尾不法不当の甚しきものなれば、御院に於て
  原判決を取消す
  更に判決を為さしむる為め、本件を民衆裁判所に移送す
と御判決相成度候。
 大正十年六月一日
          右弁護人弁護士 山崎今朝彌
大審院長男爵法学博士横田国臣 殿
<山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
最終更新:2009年10月25日 20:38
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