警視庁官房主事大島直道に対する名誉毀損告訴
告訴状
東京市牛込区富久町番地不詳東京監獄在監人
告訴人 福田狂二
同市麹町区有楽町番地不詳警視庁在庁人
被告人 大島直道
名誉毀損の告訴
告訴の趣旨
被告人は大正七年六月二十五日東京日々新聞記者に対し「福田狂二は俺の処へ金を貰ひに来た事があるからそんなよい身体を持つた人間は働いて食ふがよいと云ふて追返したことがある」と公然事実を摘示し告訴人の名誉を毀損したるものなり
告訴の事実
一、大正七年六月二十五日告訴人は警視庁に警視庁官房主事にして警視なる被告を訪問し故ありて被告を殴打したり
二、被告は告訴人に殴打されたる事実を秘さんことを希ひたるにも不拘其事端なく新聞記者の知る処となり即日東京日日新聞記者の訪問を受け右事実の有無事件の真相を問はれたり
三、被告は其際該記者に対し「馬鹿な福田如きに殴られて堪るものか本当に殴つたら即座にぶち込んで了ふ福田は此前金を貰ひに来たことがある、そんなにいい身体をもつた人間は働いて食ふがいいと云つて追ひ返したが其反感でも持つて居て一種の売名手段としてそんな事を云ひ触すのかも知れぬ」との趣旨を語りたり
四、告訴人は常に憂国の士を以て自ら任じ世人は時に或は国士の典型を以て之を許したり故に事苟くも名誉に干せんか仮令軽微の毀損と雖も告訴人の蒙る苦痛や蓋し甚大也矣況んや国士の典型が官僚に買収せられたりとの趣旨に帰着する汚名に至つては寧ろ官吏が収賄を慣行したりとの侮辱と同日に論ずる事を得ざるものあるに於ておや之告訴人が奮つて本告訴に及びたる所以なり
告訴の意見
一、告訴代理人が本件告訴の代理を受任したるは実に六月廿八日なり代理人は当時告訴人より前後の事情を聞き寧ろ告訴人の無法に驚き却て被告に同情したるも事件にして此儘に推移せんか被告は勢ひ自衛報復の手段に出でざるを得ざるべく結局は告訴人の不利益に帰すに至るべしと思惟したるが故、如かず両者の間に介入し意思の疏通を図り呉れんにはと直ちに告訴代理人の名を以て次項の端書を被告に致したり
二、福田狂二より貴殿に対する告訴事件受任仕り候処当所の規定として総ての告訴事件は一応被告を説諭するを法とし致し来り候就ては乍御足労明日午前十時より午後四時迄に貴殿又は貴殿の代理人を必ず当所に御出頭相成度候
但貴殿は法律上の出頭義務無之候廿八日、丸の内帝国劇場隣り警視庁内大島直道殿
三、然るに被告は翌二十九日遂に出頭の煩を避け、却て告訴人は曩日警視庁に於て被告と面談の際不敬の言を弄したりとして同日附を以て容易く告発に付せられ忽ち拘禁の身となりたり
四、告訴代理人は微々論ずるに足らざる告訴人の為めに警視庁の主脳たる被告を敵役に廻はし終生警視庁に睨まるる事の愚挙が一身の政策上及安全上至大絶倫の不得策なることを悟りたれば未だ告訴人より委任状を受取らざりしを奇貨措くべしと為し今に及んで告訴すれば他人の犬糞的態度を真似るものなりとの誹を免れずと云ふ理由を口実に告訴を見合せ来りたり
五、然るに本月十九日に至り告訴人より告訴提起の催告に接し止むなく之を熟考するに総て公平無私は世界人類共通の大要求にして凡そ偏頗不公平程人の癪に障るものなく之に対する手段を択ばざる決死的の復仇心は実に我大和魂の特色なれば本件の如く事情明白にして犯罪の成立に就ては一点の争疑なく且世間の問題となりたる案件に在ては宜しく先づ被告を法に問ひ之に公明正大の刑を科し以て官吏も人民も浪人も警視も国法の前には一視同仁なる実を明にし未発に犯罪予防の挙に出ずるを刑事政策の神髄を得たるものと信じ茲に断然告訴提起の決心を為すに至りたり
立証の方法
被告は告訴人の不敬罪被告事件公判廷に於て大正七年六月二十六日の東京日日新聞記事(中略)従て本件に付ては右新聞の外には別段の証拠を要せずと信ず
告訴の申立
右の次第に付被告に対し至急相当の御処分相願度此段告訴に及び候也
大正七年七月二十日明治天皇祭日
東京市芝区新桜田町拾九番地弁護士
告訴代理人 山崎今朝彌 印
東京地方裁判所検事局 御中
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正し、旧漢字は適宜新漢字に直した。>
<底本は、法律新聞社編『法律新聞[復刻版]』(不二出版)を用いた。底本の親本は、「警視庁官房主事大島直道君に対する名誉毀損告訴」『法律新聞』1434号(大正7年(1918年)8月5日発行)>
最終更新:2009年11月29日 12:51