3.27・チツトにタント、テロリとケロリ・其後の近況と法律萬能主義

チツトにタント、テロリとケロリ

其後の近況と法律萬能主義
 病気は全快した。僕は六月初めから肺炎をやつた。しかし、抑々の初まりは去年頃から続きの風邪の続きらしい。達者の間は工合も随分悪く、熱も可なり高かつたが、愈々たまらなくなつて寝てからは却て頗る楽になつた。
 当時僕の懲戒は忌避申請の却下中で、色々の都合上五六日病気にならなくてはならなかつた。ソコでその旨を早速裁判所へ届けると、すると今度は突然ホントの病気になり、自分ながら心外の至りで、到底事実とは思へなかつた。ソレにも拘はらず病気は用捨なく全快せず、全治には到底三四ケ月を要すと医者は鑑定した。総てを計算に加へ、二十九日大審院の懲戒控訴を取下げ、七月十一日に相州茅ケ崎へ転地した。茅ケ崎へきてからも二三週間は薬を呑んでみたが、何時とはなしに忘れた。七月一杯は運動が過ぎたり、勉強が過ぎたりすると、胸の辺が病人らしかつたが、八月何時頃からか、病気も遂に忘れて仕舞ふた。其後アラシのあと、冷へたり下したり神経痛が起つたりし、今後も又ドウなるか判らぬが、これは別問題で、病気は全く快くなつた。

 僕の懲戒問題、これは世間の新聞雑誌がバカに詳しく報導してくれ、又近々に、「懲戒になるまで」と「低能になるまで」との二著を一つにして、「偉大なる低能児」といふ小説を出版する筈だから、茲には省く。この小説は、僕なり人間なり、判事なり検事なりの気持なり心理なりを、詳しく書いてあるといふ事よりは、型が従来にない破天荒のもので、キツト世間がアツと驚く類の小説だといふを期待に、是非諸君に読んで戴きたい。申込があれば誰にでもすぐ送る。読んで、期待に背くと背かぬとは敢て僕の関する処にあらず。

 病気中は寝ていて優に二人分の仕事をした。日に四五十人位の客に接すると、熱は二三度位上つたが、翌朝はケロリと元の通りになつた。コレではたまらないからと、転地させられてからも、金曜日母には帰宅して、一週間の事務を奇麗に片附けた。書きもの。調べものは平常より余程はかどつた。
 妻子合計二人が九月四日帰宅してからは、僕はたつた一人で、漸く小説に手を着けた。九月一杯に、「偉大なる低能児」「侵すべからざる偽善」「戦慄したるテロリスト」外二篇を書上げて、十月からは久し振りで二週間計り日本国中を世界漫遊する。

 茅ケ崎は涼しかつた。僕の居た家は風が強く通し過ぎるので、日中でも戸を開け放す事が出来ないほどだつた。近年にない暑気だといふのに、僕は又近来にない寒い夏だつた。イクラ友人を誘つても、水瓜サツマ芋位では、汽車賃を損しては誰も来なかつた。水瓜はツイ最後迄、直接百姓から、取りたてを買ふ事を知らなかつたため余り甘いのに当らなかつたが、サツマ芋と来ては実に天下一品甘かつた。ソレに新しいせいだったのか、生れて初めて魚も甘いと思ふた。
 海へは毎日行かなかつたが、それでも隔日位には小供に連れられた。徳利のように水へも二三度、は入つたが、二三分で疲れてグツタリした。家を外に、仕事を人にしては心配で、到底休養などではあるまいと、人も許し自分も信じたが、二三週間中には馴れて平気になつた。最初は場所のせいか身体のせいか、寝ても寝ても、眠くてねむくてたまらず、朝から晩まで眠り通していた。ソレでも新聞といへばパツと目が覚めた。何と云つても茅ケ崎中は、事務所から毎日送つてくれる、読み殻しの古い新聞が唯一の楽しみであつた。僕はどうせ仙人にはなりきれない。
 喧嘩相手と遊び仲間が二人共帰宅してからは、北原龍雄君の家へ通ふて食事をした。恰度其頃から北原君が家に居着いて居たので、一人が余り寂しくもなかつた。ソレに南湖院から支那人朝鮮人が時々やつて来た。

 事務所は藤原君細迫君の両弁護士、ソレに事務員の百瀬勝郎君とで、結構やつてくれて、心配した程の事もなかつた。事件は例年の暑中より不思議に多かつた。尤もこれは懲戒事件で広告がよく利いた計りでなく、幾分僕の智慧も手伝つてゐたようだつた。
 家の留守番は岩佐作太郎君夫人が、事務所の番は細迫弁護士がしてくれた。細迫君は何処で何と虚言をついたか、尻へ腫物が出て、殆んど僕の妻と入れ替りに自宅で転居療養したが、間もなく全快した。岩佐夫人は岩佐君が九月二十七日に四ケ月の別荘から帰ると同時に家へ戻つた。
 事務所は僕の留守中何時の間にか、細迫君等が肝煎している、対露非干渉同志会の事務所にもなつていた。藤原君は既に詳しく紹介した。五月から新たに入所した、細迫兼光君は、東京帝大法科を優等で出た法学士で新人会系の雄弁家である。
 僕の懲戒は六月二十九日に取下と同時に検事の控訴期間十四日も満了して、停職四ケ月に確定した。が僕の道楽には変りがなかつた。しかし道楽は、差支のなくなる迄内証にするのが、道楽の道楽たる所以であるから、多くは雄弁に沈黙する。
 待兼ねた七月に入ると、僕はすぐ左の端書を方々へ配つた。

 私は大審院で『全国の司法官は偉大なる低能児の化石なり』と喝破した為め第一、二審共重罪に処せられた被告を無罪とし、其効能を以て休暇四ケ月の恩命を蒙りました。が、病気も殆んど全快の域に達した人物払底の今日、悠々閑々休養之れ事とするは却て恩旨にも背く事と思ひ、其間社会奉仕的道楽の意味を以て平民大学総長法律博士米国伯爵の資格で、誓て、熱心激烈に、取り敢へず
 一、不当の値上明渡の要求に苦しむ借家人の為めに悪家主悪差配の征伐
 二、不当の解雇首切り轢き逃げ殺傷人権蹂躙等で損害を受けた貧乏人の為めに悪富豪悪会社悪官吏の問責
 三、天下の悪法違警罪即決例及び行政執行法即時廃止の期成
の実行に従事し及相談に応ずる事に極めました。
 就ては平素私を  せらるる貴下は何卒、筆に口に、別に費用のかからぬ方法を以て、之れを一人も多く世間の人に吹聴宣伝し、遂に私を忙殺するか若くは降参閉口せしむるよう御尽力あらんことを、暑中伺に代へて御願致します。
 大正十一年七月
          東京市芝区桜田町十九(電話銀座二〇七七)
          弁護士 山崎今朝彌
 追て『弁護士大安売』は又々新版発行、評論小説『懲戒になる迄』は十月頃発売、定価各々二円に有之候。
 尚不当の要求に応ずる事、正当の主張を控へる事は、他人に迷惑をかけるから、悪事であります。

 此端書は又新聞雑誌で大に受けて、全部又は一部を、其儘又は色々の形ちで「吹聴宣伝」してくれた。そのため僕は一時「遂に忙殺されるか若くは降参閉口しさう」であつたが、事務所は其コボレで時ならぬ潤ひがあつた。
 入獄で赤化した自分の経験を以て、僕を頻りに赤化しようと企んだ者があつた。同時に殆んど全部の赤色新聞雑誌に左の広告が載つた。

 今般所長の懲戒休暇を利用し一般法律事務特に社会、労働、思想問題に関係ある事件を専門に取扱ふ。
          東京市芝区新桜田町十九番地(電話銀座二〇七七番)
          平民法律所
          弁護士法律博士 山崎今朝彌
          弁護士ドクトル 徳田球一
          弁護士辯理士 藤田繁夫
          弁護士法学士 細迫兼光

 この悪戯者は、これを以て尚飽き足れりとせず、百尺竿頭一歩を進んで、此広告を切り抜いたり、いろんな事を書いたりして裁判所へ送り、以て検事局を挑発したらしい。しかし、コンナ事で僕がマサカ入獄したり再び懲戒になつたりする訳もなく、ただ原稿まで役得できるような面白い事件が矢鱈にふへ、事務所が独り丸儲けする計りであつた。

 転んでも只起きないが僕の主義である。病気中は、甘い物を沢山食べて太つてやらうと心配した。休暇中は、色を黒くして目方を増し本を一冊拵へようと考へた。これは孰れも成功したのみならず、元気が出、勉強がで来、身体が達者になり、頭脳がハツキリし、仕事も増へた。特に目方の如きは約二貫目もふへた気持がする。しかし、惜しい事に子供はどうしても駄目だつた、尤もこれはトウの昔に諦めては居つた。
 兎に角来年からはキツト二月計り宛避暑休暇をし、寝たり起きたり、食つたり働いたり、そして其間に一年中に書いたものを纏め、尚残りがあれば其処等辺をウロツイてみるといふことに決心した。

 僕は去る六月号で、徳田君と入れ替りに一年間、外国へ遊びに行く積りの広告をしたが、其後政府がどうしても旅行免状をくれぬから、あの広告は止むを得ず取消しにする。すると、高利貸か、金庫の番人か、土方の親分か、国粋会の役員か、の外何も出来さうにもない、しかし、これとても、到底すぐには出来さうもない僕としては、二重生活上止むを得ず矢張り熱心に真面目に、弁護士を通す外はない、蓋し之れが一番楽に喰へる道で又一番適した法らしい。そして僕は矢張り民刑上告事件と無料道楽事件とを専門に担任し、一般訴訟事件の組立、調査、監督、作戦等を兼任する。

 僕が病気にならなかつたとする、マサカ停職を口実に避暑でもあるまいから、あの弱つてる処へ、あのゴタゴタした処へ、今年の暑さでは、今頃は大病人にでもなつていたかも知れない。僕が停職にならなかつたとする、マサカ病気を口実に転地療養でもあるまいから、あの病気にこの暑さ、この忙しさでは、今頃は死んで了つていたかもしれない。今更敢て神の摂理を信ずる訳でもないが、思へば思へば神様のする仕事には無駄がない。
 それにしても、人間のする仕事にはなぜかう無駄許りあるだらう。規則を造る者があれば之をモグル者が出来る。掴へれば逃げる。押へれば弾ねる。殺せば祟たる。損をさせて懲らさうとすれば得をして懲りさうにもしない。僕は事の根本を究むる事を知らずして単に法律や刑罰、監獄や裁判所のみを以て、世道人心を嚮き又は之を経世済民、治国平天下の具に供せんとする、所謂法律萬能主義なるものの跋扈を悪まずには居れない、悲しまずに居れない、笑はずには居れない。彼等は馬鹿でなければキツト泥棒である。
<山崎今朝弥著、山崎伯爵創作集に収録>
最終更新:2009年11月12日 00:11
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