3.18・問題となるまで


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問題となるまで
 コレも又少々ウソがある。ウソのない処にはホラがある。さて話しは抑々初めからする。
 僕が此事件を大審院閲覧室で調べた日はイツであつたか覚へがないが、調べるとすぐ判決の間違つてる事が解つた。腹の立つ程でもなかつたが、田舎の判事の判らないには呆れた位には思つた。一体判決に本気に憤慨するなどは、滅多にはない事だ。僕だつて、自分で取扱つた事件で、噛んでふくめる様に、云つてきかせたのが、余り無茶な事になつた、と云ふような場合でなければ、本気に腹は立つまいと思ふ。然るに此判決は、ドコの何判事が下したものかさへも今は忘れて了つてる位無関係のもので、又其の内容にしても、此判決に対する大審院の判例があつた前は、東京辺の判事だつて、此位の処で皆有罪にして居る。従て僕にさう腹が立つ理由がない。併し此節無暗に弁護士に対する懲戒問題が起る、之れが真に弁護士の風紀を維持する必要なら異論はないが、煎じツめれば実は皆、官吏の威厳を示すために弁護士の鼻を折つてやりたいといふ浅墓な官僚式から出て居るのだから癪に障る。懲戒に対する当該被告の態度も又ドレもコレも愚劣極まるもので尚更腹がたつ。若し夫れ仲間若しくは弁護士会の態度ときた日には、其醜状到底目も当てられぬ。私かに手を拍て同僚の傷くを喜ぶ者もあれば、陰に廻つて悪口を叩く者もある。弁護士といふ一階級を取ツチメル為めに、其中の一二を狙ひ撃する古来の戦法だと云ふ事を知るや知らずや、之れに策応する一の抗議も異議も提出した事がない、のみならず寧ろ彼等は何時迄も甘んじて被治者の心理を保持し、其累の吾身に及ばんことを虞るるの余り、戦々兢々却て当該被告の犯行を抑へ服従を強ふるを常とする。コンなムシヤクシヤから左程立腹もしないが、立腹した様に見せかけ、此判決を種に何か一騒ぎしようと企んだのが僕の抑々の腹であつた。
 一騒ぎと云ふた処が懲戒問題を起すより外はない。が困つた事には実際腹が立つて居らぬから、問題になる様な痛快な文句が出て来ない。故岩野泡鳴の「偉大なる馬鹿」から、漸く偉大なる低能児を拵へた。大木法相の智恵を拝借して、漸く「偉大なる低能児の化石」となつた。布施君が判決を見てナル程呆れた判決だと云つた処から、「真に呆れて物が言へずと云はざるを得ず。」と附け加へた。上告趣意書が出来てから中村赤井の両君に見せたら、大丈夫だ、問題にはならぬと保証したが、事務所へ帰つて藤原弁護士に見せると、驚いて問題になりますと怖わがつた。藤原君は去年迄裁判所に勤めて居た人だ。問題になつた時の用心にと、僕一人の名で趣意書を出した。三月十日の判決言渡日が来たが、言渡は無期延期となつた。懲戒問題が起きたからだと自ら風説を立てて歩いて、見たが、実は其んな気もしなかつた。併し僕は大審院が或は上告を棄却して被告を有罪にする為めに理窟を考へているのではないかと心配した。閲覧室で高木氏に話すと早速喜んで書記課を調査してくれたが、書記課では何も知らず何んの気配もなかつた。其中に法律新聞の記事が出た。ソコで僕が考へた。
 人間はおかしな物で、イクラ熟考の上決心した事でも、サア愈々となると又イクラカ其決心がニブつて来る。コレは或は僕一人の事で人間の事ではないかも知れないが、少くとも僕一人の人間はサウである。僕は数回家宅捜索を受けた事がある。此捜索は皆予期した事で、今に来る、早く来ればよい、来たらコウしてカラカフ、アーして驚かさう。で待つて居たのだが、ソレでも七八人で乗り込んで来られると良い気持がしない。胸の動悸がシズマらない。此度の偉大なる低能児も、上告趣意書を提出する時既に利害得失、其時の方針迄考へヌイて仕た仕事であるに拘はらず、イツの間にか僕の決心は、之れは問題になるものでない、大丈夫だ安心だと云ふ気になつて居たらしい。大審院の判検事だとて馬鹿ばかりでない、判事がマサカ検事に上申する事はあるまい。検事がマサカこんな事を検事正に報告するものではない。コンナ考へが僕の頭にボンヤリあつたらしい。併し今は公になつた、コレでは威厳体面将来を唯一の専心とする官僚だ、ドーして此儘済まされよう。就ては僕の採るべき態度を極めなくてはならぬ。コンナ事で今頃になつて又漸く態度を極めにかかつた。
 雀百まで躍りを忘れず、三ツ子の魂ひ百迄もで、よく考へたら僕は又イタズラ気が出た。ままよ三斗笠の毒皿主義も手伝つて、事を大きくするが結局得策だ、事柄が事柄だしソレにヒヨツトすると其為め被告が無罪になるかも知れぬ。被告が無罪になり僕が懲戒にでもなれば、其処に又言ふべからざる矛盾の面白味がある、如かず?と考へてきたらモウたまらない。直に飛んで記者室へ行き自ら求めて、時事の岩本君や日日の猪股君の肝煎りで、司法記者諸君から都下の各新聞へ大同小異左の記事が出た。

 広島県平民丹悦太小川孫六の両人は広島県呉市で発行さるる民権新聞に『死かパンか』と題する記事を掲げて、秩序紊乱に問はれ罰金四十円に処せられ更に上告中だが、弁護士山崎今朝彌氏が、その上告趣意書に司法官に対して、全国の司法官は全部偉大なる低能児の化石なりとの不穏の言辞があつたとかで、同事件は本月七日大審院刑事一部横田裁判長係りで判決あるべきのが無期延期となつてゐる、聞く所に依ると検事局では、此の不穏の文字と曽て弁護士中の俳人が『石コロや小僧判事や秋の風』とやつたのとを合せて懲戒裁判に附すべく調査を進めてゐるといふ。高木弁護士、佐々木弁護士の懲戒に次で又此懲戒で、弁護士界は恐慌を来して居るとのことである。

 此最後の俳人云云は新聞にするためデツチ上げた記者の腕であらふ。此記事は又地方の各新聞に転載され、或新聞には懲戒されたとなつたため、僕は四方八方から騒がれ、独り悦に入つて居たが、実は当時はまだ問題とはなつて居らなかつた。其中判決の言渡があつて上告は理由ありと認められ被告は全部無罪となつた。が僕は恰度結婚当夜の花嫁の如く只管嬉しく其後の成行をビクビク待つていた。二三日すると高木弁護士が、今書記課へ行つて見たら愈々記録が即日検事局へ廻つたさうだから愈々問題だよと話してくれたので、愈々問題になるのだなと初めて知つた。コレからは騒ぐが勝ちと取り敢へず又左の新聞記事を出して貰ひ、悪戯が過ぎると独りで後悔していた。

 既報広島県平民丹悦太小川孫六に係る新聞紙法違反の上告事件は、其後屢々言渡延期中なりしが、愈々本日午後一時大審院刑事第一部横田裁判長係りにて判決言渡あり。原判決を破毀して被告は孰れも無罪となり、同時に問題となりたる同件弁護人たりし弁護士山崎今朝彌氏に係る判事低能児事件の懲戒問題も自然消滅となりたりと。
<山崎今朝弥著、山崎伯爵創作集に収録>
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