3.02・地震、流言、火事、暴徒


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地震、流言、火事、暴徒
      一
 気の利いた地震なら、余震でも今頃は引つ込む時節に、まだ地震々々とビクツカせるのには抑々訳がある。
 今は凡大正十三年の三月過ぎであらふか、此原稿は、新年一月号に載せるべく其筋の命により激震の余震前、去年十一月中旬中、其大部分を書いたのだ。其れが突然博文館の印刷能力とかの問題で、一月発行が三月発行となり、原稿だけは一と月延期の十二月中旬限りとなつた。元来頭脳明白、至極単純、他に何物も混入しない僕には、直に手を代へ品を変へ、若は題を改へて、全然別個の原稿を製造することは、到底不能でもあり不服でもあり、厭でもあり損でもあつた。そこで、腐つた個所を切取り、不足の部分を継ぎ足し、漸く今茲に去年の十二月中旬、中古の此のバラツクに取掛かつたのである。木の香りが無いのは当然であるが、でも尚前人未到の地を跋歩した新材が多少はあらふと思ふ。
 序に題も初めは、『地震、軍人、火事、巡査』とし、後には軍人を軍隊、官憲、戒厳、鮮人に、巡査を警官、自警、兇漢にして見たが、最後に語呂と遠慮から、『地震、流言、火事、暴徒』とした。地震は日本の国宝で、火事は江戸の名物とあるから、之れだけは代へる訳には行かなかつた。

 余り長いが下手序に、も一つ前口上がある。多い読者の中には僕等の如く、小見出しのない議論を読むは、詐欺にかかる一種の方法だと観ずる者が多からう。ソコデ僕は此処で書かんとする事柄を明にして置く。
 僕の茲で是非言て見たい事は、あの地震と火事は、何うして何処から起つたものか、其はどうしても防げなかつたものか。其時の流言蜚語はどこから降つて何処から湧いたか。戒厳令は果して当を得た処置であつたか、其功罪は果してどうであつたか。鮮人問題と支那人問題、附たり過激派と社会主義者。大災に発露した無産者の人情美、それに付けても有産者には人情があるものか。知識階級とは無識者の謂か。新聞社の見識のない事と意気地のない事。国士どころか豆粕にも到らぬ軍人の粕、人間の粕。甘粕を殺した弁護人の弁護、第一流第二流どころが皆弁護を断つた理由。弁護士会の決議文。当局官憲の流言蜚語。亀戸事件と機関銃問題。平沼司法大臣は喰はせ者か。大杉事件の判決を前にして色々の悪まれ口。等であるが、これとて全部書いて了つてからでなければどれほど詳しく、又どれほど多く、書けるか又は書けないかは分らない。併しウソと間違つた事は一つもない積りである。
      二
 今度の地震は社会主義者と朝鮮人と組んだ陰謀だといふ風説は、地震学の泰斗何々博士等が漸く一致して、震源地は反て他にあり、事実は大島と相州との間、海底陥落の地辺ならんと発表して以来全く其跡を絶つた形跡がある。併し火事に付いては尚諸説紛々で流言蜚語が盛んに飛んでる。しかし全国の内鮮人が地震を合図に、一斉に蜂起して、火を放ち毒を投じ、人を殺し財を掠め、日本を乗取らんと企んだのだ、社会主義者は予め図て之を煽動したのだ、といふ点は一致して居た。
 この流言蜚語当然の結果、愛国の熱情に燃ゆる憂国の民衆は期せずして奮然と起ち、只一杯のバケツの水よく之を消し得た火事などには目もくれず、大国民の襟度を以て遠く一目散に逃げ出した。之では堪らんとあつて戒厳令は布かれる、軍隊は出る、銃丸は飛ぶ伝令は走る、演説はやる掲示は貼る、内訓も出る公報も出る、自警団も出来れば義勇団も出来る、在郷軍人も青年団員も兇徒も暴徒も皆一斉に武器を執つた。そこで朝鮮人の大虐殺となり、支那人の中虐殺となり、半米人の小虐殺となり、労働運動者無政府主義者及日本人の虐殺となつた。
 従つて大杉事件でも亀戸事件でも、自警団事件でも朝鮮人事件でも、支那人事件でも日本人事件でも、直接の下手人は悉く個人としての暴漢兇徒には相違ないが、深く其由て来る処に遡れば、真の責任者は皆地震であり火事である。伝令使であり無線電話である。内訓告諭であり、廻章極秘大至急である。戒厳令であり其当局官憲である。其無智であり流言蜚語である。仮りに地震がなく火事がなかつたら、廻章も伝令も無線もなく、流言蜚語も起らず戒厳令もなかつた。戒厳令もなく軍隊も出なかつたら、機関銃も大砲もなく、銃剣も鉄砲も出なかつた。人気も荒まず、大和魂も騒がず、流言蜚語も各々其範を越へなかつた。暴民も兇徒もなく、自警団も在郷軍人も起たなかつた、そして総ての問題も自然起らなかつたに相違ない。
      三
 門前の小僧習はぬ経を読むといふ歌留多を読んで、孟子の母は三度其居を移したといふ。村の有志家は何時でも、ソンナものを学校の近所に置いては学生の為にならないと云つて、遊郭や兵営や、待合や芸妓屋の設置に反対する。人は到底環境の支配を免れ得ない動物である。只でさへ気が荒み殺気が立つて困つてゐる処へ、剣突鉄砲肩にしてのピカピカ軍隊に、市中を横行濶歩されたでは溜つたものでない。戒厳令と聞けば人は皆ホントの戒厳と思ふ、ホントの戒厳令は当然戦時を想像する、無秩序を連想する、切捨御免を観念する。当時一人でも、戒厳令中人命の保証があるなど信じた者があつたらふか。何人と雖も戒厳中は、何事も止むを得ないと諦めたではないか。現に陛下の名に於てといふ判決に於てすら、無辜の幼児を殺すことも、罪となるとは思へない当時の状態であつた、と説明して居るではないか。営内署中どこでも、苟くも拘束された者の語るを聴け、彼等も、又彼等も、戒厳令を何んと心得て居たかがわかる。到る処で巡査兵卒仲間同志の話す処を立聴くがよい。今でも血に餓へた彼等は憚る処なく、当時の猛烈なる武勇と其役得や貢献数の多かつた事とを自慢するではないか。今になつて追々行衛不明者の、身の毛も辣つ悲惨なる末路が、漸く分明して来るではないか。実に当時の戒厳令は、真に火に油を注いだものであつた。何時までも、戦々恟々たる民心を不安にし、市民を悉く敵前勤務の心理状態に置いたのは慥かに軍隊唯一の功績であつた。全く兵隊さんが、巡査、人夫、車掌、配達の役目の十分の一ででも勤めてくれて居たら、騒ぎも起らず秩序も紊れず、市民はどんなにか幸福であつたらふ。
 然るに不拘、かかる看易き明白の道理を無視して、輿論が頻りに戒厳令を讃美渇仰し、総ての功績を独り軍隊にのみ帰せんとするは抑々何故であるか。
 夫れ貧すれば鈍し、苦しい時は神を頼み、溺るる者は藁をも掴むとか。心理学者に拠れば、当時の人間は全部精神病者だつたと言ふ。之も一説であり半面の真理であらふ。けれども全部の人が心底より戒厳令萬歳、軍隊萬々歳を感謝したのではよもあるまい。中には長い物には巻かれ、泣く子と地頭には勝たれなかつた者も頗る多かつた。故に、間もなく正気の沙汰となり、軍閥に対し一斉射撃を開始する日も遠くはあるまい。
 想ひ起す十八年前、桑港大震災の際にも、戒厳令が布かれ(此点真偽保証)軍隊も繰り出された。が、此処では彼等は只消防の役目と運搬の任務とを忠実に果しただけで、秩序の維持はポリスメンに、徴発配給はコンミツテイーに任かせたせいか、其処には勿論自警団も奮起せず、朝鮮人も虐殺されなかつた。尤も頭から人種も異り武士道も違つて居たからだかも知れないが。
      四
 流言蜚語の震源地に就ては、横浜説、亀戸説、軍閥説、富豪説、前内閣説、警視庁説、社会主義者説、国粋革命家説等があり、又山口正憲説、横浜の某警察署長説もある。此中最後の二つは最初の横浜説の延長で、殊に山口当時の行動は、甘粕や豆粕の何倍も遠く及ばないものであつた事が漸く立証された今日では、畢竟亀戸説と同じく到底不明に帰する外はない。警視庁説も別に之れといふ確証のあつた訳でなく、只あの莫大の機密費を浪費しながら、あの厖大の組織-内鮮係、労働係、主義者係-を有しながら、あの流言を確信裏書する如き態度に出たり、あの蜚語を阻止妨害する如き処置を採らなかつたは頗る怪しいといふ処から出た憶断に過ぎない。又社会主義者説も天変地異驚天動地、奇妙奇天烈魔伽不思議の大事業は、総て皆切支丹か社会主義と決めてる世間の迷信に搦めた一つの風説に過ぎない。
 軍閥説は当時より各所で盛に論議されたときいた。其説の要旨は、あの流言は九月二日同時同刻、全国一斉に、組織的系統的に宣伝流布された。単なる流言蜚語なら各地皆時刻に差異がなくてはならぬ筈だ。而も其宣伝は思ひ切つて公然且つ大ツピラに電信電話無線電報、騎馬自動車オートバイで堂々と行はれた。当時の新聞を見てみるがよい、其後の当局官吏の談を読むがよい、上は田中陸相より中は各師団の参謀から、下は山田高等係長に至る迄、其語る所の新聞記事は、詳かによく此間の消息を語つて居る。軍閥者流は折角失墜した、其信用と威光を再び回復するため軍略的に仮装敵国を設けて人心を緊張せしめ、変乱を未発に防いだ功を独擅し、以て民心を収攬し、気を軍閥に傾けしめんと企んだのである。然るに事志と違ひ余りに薬が利き過ぎたるより、更に一、二日遅れて茲に漸く警視庁と通謀し、社会主義者の煽動に流言の方向を転換したのである。といふにある。
 此説の当否は暫く措き、其個々の事実に就ては大して間違がないようである。併し事実が事実だからとてそれで直ちに流源地が軍閥にありとは断言出来まい、特に一体軍閥とは誰の事か判らない。
 国粋革命家説の根拠は、彼等は唯一の実力ある不言実行家である。彼等のプログラムは錦旗を奉じて民衆を擁し、軍隊を以て革命を遂行するにある。彼等は常に一町一区の青年団在郷軍人団を一単位として全国の団体を連絡せしめ、一朝一擲の際は一挙にして全国に号令せんと腐心して居る。見よ、当時得体の知れぬ人物が四方八方に飛び廻り、縦横無尽に活躍し、司令や参謀を動かしたではないか。見よ、彼等は忽ち全国的に暴徒を聚集し、瞬く間に兇器を充実させたではないか。聊か実情に通ずる当局から、最も怖れられたも彼等なら、暴民団の永続を宣言し其擁護のため再び流言を放ち、更に当局を糺弾したも彼等ではないか。震源地が此辺に存するにあらずして、何れの辺にか存せんや、と云ふにある。併し之も余り考へ過ぎた、買被つた、鬼面説ではないかとも思へる。
 前内閣残党説は、二十三日会や貴族院議員の一部あたりで盛んに唱道されてるとの事で、その根拠とする処が、廻章、電報であることは、軍閥説と同一であるが、其説明が聊か違つて居る。即ち、自警団殺人事件に於ける船橋無線電信所長の予審調書に詳しい、当時の電報や極秘大至急の廻文は、何れも二日三日の日付であつても其実は、まだ騒動も起らない一日中の前内閣中に出来たものだ。過去の総督政治の失敗を確実に自信し、朝鮮人を蛇蝎の如く恐れて居た彼等、米騒動が忽ち全国を風靡した苦き経験を有する彼等としては、さう思ふも無理はない。それに行がけの駄賃ではあるし、兎に角戒厳令の奉請と流言の蜚語とは絶対に関係の無い筈はない、と。併し之も容易に信用は出来ないようだが、某氏は二十三日会で確証を示し議会の問題にすると力んだとの事である。
 富豪説も、あの勢ひでは、全市全国に渉る大掠奪が始まると見たから、民衆の方向を転換するために、富豪連が奇智を飛ばして放つた流言である、といふのだから、後で附会した牽強説であらう。
      五
 あの風説を風説にあらず、事実なりと信ずる者もある。此信者の大部分は、飽く迄其非を遂げんとする者(第一種)、保険金欲しさの者(第二種)、斯く信ずることが国家の為なりと妄信する者(第三種)であるが、稀には心底から之を信ずるらしくいふ者(第四種)もある。
 軍隊には告諭、在郷軍人には内訓、市民には公報を発して、堅く鮮人及主義者の厳重なる監視を命じ、投弾投薬、放火殺人、強盗強姦乃至鏖殺虐殺を警戒した、上は前の免職戒厳司令長官福田陸軍大将より、下は山田特別高等係長に至る迄の、当局官憲が曩に新聞に発表した談話は第一種に属し。国家のため保険契約全額を請求し下さる萬朝社説以下、全額支払期成同盟会所属の市区会議員の演説は第二種に属し。新聞に発表されたる田中陸相の談話乃至、東京弁護士会常議員会の決議文は第三種に属す。第四種の中に元高等師範学校長だか貴族院議員だかの慥か湯川元一とかいつた人のあつた事を、コンナ無教育、無知識の教育家に教育さるる人の子は禍なる哉と呆れた事があつて、余りの莫迦々々しさについ覚えて居る。評判の自称軍人の粕、事実、人粕、豆粕、人間粕の、芝居気タツプリの白状も、辛うじて此の種に属す。

 前の免職長官福田陸軍大将は、地震直前、陸軍大臣の新聞辞令を受くるや否や、直に其感想を発表した人ではあるが、兎に角大臣にでもなりたいといふ人である。極度に低能を発揮して、あの地位にあつてあの流言蜚語をあの儘確信し、あの御触れを真面目に出す人とは信じられない。ソレに陸軍がソレコソ挙国一致して、あの甘粕の人面獣心を飽く迄葬り秘さんとする中で、外見其程でもないように見えるのに、急遽責を負ふて身を退いたのは、愈々と感付いたからだとするより外仕方がないから、之れを第一種に編入するは強ち無理でもあるまい。
 萬朝は記者の何とかといふ人が、自警団連盟で袋叩きに遇つたとかいふ記事が出た以来、此頃少しく調子が狂ひ、殆んど他の新聞と同じ程度になつたが、其以前、特に何会とかの御陰を蒙つて印刷して貰つたといふ広告の出る前は随分酷く、政府官憲が悉く国賊と通謀して、悪虐無道の朝鮮人を庇つたといふやうな書つ振りで、吾々ですら、鮮人と見たら一疋も遁すまいと思ふ位であつた。
 東京弁護士会の決議文は、流石に第一東京弁護士会に対抗して第二流東京弁護士会ともいはるるだけあつて、真に堂々たるものである。後学のため聊か其片鱗を示して見やう。
      掲示
 (一)過般の大震災に際して鮮人の暴行盛に宣伝せられ或は殺傷放火強盗強姦毒薬投入等の事実を目撃し若くは之を受けたる者多数ありしに拘らず、(二)責任ある某方面に於ては早軽にも其事実なしと放言せるため、(三)国家の為め犠牲的に奮起せる自警団其他の者より鮮人に対してなしたる殺傷は、単なる流言蜚語に惑はされたる行為なりと観察せらるる恐有之、(四)殺傷を為したる者の刑事責任火災保険問題治鮮上人道上外交上及す所甚だ尠からずと存候。(五)加之之を其儘放任せんか武士道を以て世界に誇る我大和魂の一大恥辱にして且光輝ある我歴史に一大汚点を印する事と存候。(六)依つて鮮人の暴行事実を調査し以て憂慮すべき暗雲を一掃する事と致候に付き御見聞せられたる事実を乍御手数御報告相成度候。
 大正十二年十月廿二日      東京弁護士会 印
(七)追て新聞紙上既に鮮人暴行の一部分を発表せられたるも、(八)多数表現せざる事実有之ものと存じ右掲示候。

 余り面白いので遂に全鱗を示して了つた。言ふ迄もなく之れは、(一)あの流言蜚語は事実全く其通り、証拠歴然たるものがある。(二)火事は地震からで、鮮人の放火ではないと発表した当局は国賊であらねばならぬ。(三)自警団、在郷軍人団が鮮人を虐殺したは国家の為である、国士の亀艦である。(四)鮮人虐殺が非国家行為、非国士行為になれば保険金がとれなくなるではないか、鮮人が付け上がるではないか、人道に反するではないか。(五)従つて武士道が立たない、男が廃たる、国辱になる。(六)依つて吾人は茲に身命を賭して鮮人の暴行を摘発し、以て国威を輝かさん、天下憂国の士は夫れ来り会せよ矣。(七)検事局で、鮮人支人の大虐殺を発表した際、同時にゴマカシ的に発表した警視庁の鮮人暴行実例数種は、其犯人?が悉く犯人の群衆に殺されて居り、追廻されて居り、口なき死人から聞いた死人への嫌疑であるけれども、それでも朝鮮人は悪虐無道、残忍野蛮の暴行者であり、犯罪人である。(八)証拠はどうしても遂々無いが、鮮人の暴行は確実で、此外にも実例はザラにある。日本人ですらタマゲて狂になるのに、朝鮮人の癖に隊を組み党を集め、正々堂々と組織的に軍隊的に大暴行を為すとは怪しからん、といふのである。
 勿驚、恥づる勿れ、今度こそ僕も呆れて腹が立たない。乍憚僕もこれで名誉なる会員の一人である。
      六
 鮮人の殺された数は幾らがホントであらうか。斉藤朝鮮総督によれば、確実の処は合計二人ださうだ。司法当局が取敢へず発表した処によれば、南葛を除いてザツト千人はある。南葛は千人と云ひ或は二千人とも云ふ。此千人二千人は、新聞に所謂永久に発表出来まいとあつた事件を包含して居るか否か判らない。鄭然圭氏の弔文には三千人とあり、習志野帰りは各地の情報を綜合して、優に四五千と新知識を振廻すが生命辛々上海に帰つた者は確かに萬を越へると云つてる。兎に角二人以上一萬人以下なる事は確からしい。
 古来馬鹿と狂にはツケる薬がない。で、朝鮮人を殺すもよい。我慢にも懲らしめにも、筆にするに忍びない無残の殺し方も仕方がない。只何故吾々は之れを秘くさうとするか。秘くし果せるものならそれもよいとする。どうしてそれが隠蔽し了せると考へるか。立て、座れ、ドンドン、ビリビリ、南葛で機関銃を見た者は千や二千の少数ではない。否、其地方で之を知らない者はあるまい。帰順した如く見せかけて帰国を許された、金鄭朴李の人々も、百や二百ではあるまい。僕の処へ寄つて直ぐ上海へ行つた人でさへ四五人はある。僕には之を其筋へ密告したり、突出したりする大和魂はなかつた。秘くさう蓋をしやうはまだ無智の類、馬鹿の類で、聊か恕すべき点がある。理が非でも、都合があるから何処までも無理を通さう、悪い事なら総て朝鮮人に押付やうとする愛国者、日本人、大和魂、武士道と来ては真に鼻持のならない、天人共に容さざる大悪無上の話である。日本人は尼港の虐殺ですら憤慨はしなかつたか、米支の排日運動を考へては見なかつたか、英国の印度人、米国の布哇人をどう見たか。無理を通し非を遂げようとする事を見るより癪に障るものはない。一寸の虫にも五分の魂があるなら、朝鮮人にも日本人の骨がある。僕なんかは、露国が大庭柯公君を殺したと聞いてすぐ国士となり、ヨツフエ監禁の議も建て、露西亜問責の帥も起した。間違つたのである、誤つたのである、申訳が無い、勘弁して呉れと、平たく明かに陳謝りでもするなら又何とか考へようもある。が、出たの、帰つたの、病死したのと、飽くまで日本人と侮り、人を愚弄し、其非を遂げんとするに於ては、もう勘弁はならない。僕の目玉の黒い間は日本人は孫子末代安心するがよい。日本の安否は諾矣、僕が引受けた。赤化は日本の地に一歩も入れない。レーニン、トロツキー糞でも喰へ、日本には日本の国情がある。
 さうかと思へば外二名では、法治国の為に直に売国奴となり、挙国一致で堅く隠蔽を決心したものを、掌を反すが如く米国大使館から痛快に暴露するの止むを得ざらしめた元兇となつた。
 僕の此憤慨は無理だらうか、嘘だらうか、間違つてるだらうか。僕が偉人でもなく、気違ひでもなく、動揺常なき確乎不動の感情に拠るといふ、正直の凡人であつて、寧ろ斯くなり果つるが理の当然なら、朝鮮人問題に対する日本及日本人の態度を見た世界の人が、全部僕のようになるのも当然であらう。『文化運動』正月号から、流言蜚語に関する感想と児童に対する説明如何とあつたとき、僕は、今度愈々愛想もこそ尽き果てて、手に糞の着いた程厭になり嫌になつたは、低能でバカで、オマケに意気地のない日本人と社会主義者、国士と遺族、朝鮮人と大和魂です。小供が朝鮮人ゴツコをする度に、死ぬ程ウントヒツパタイてやります。小供が、今度は朝鮮人になつて、日本人を鏖殺しにします、と泣いて陳謝すれば其都度すぐ許してやります、と答へた。何と云つても生れ落るから楠正成と大石良雄、誠忠無比復讐美談の日本で育ち、稍長じては保守国粋の民法と、目は目鼻は鼻の刑法とを学び、愈々となればお里が知れ、古い愛国心と徹底的復讐の外何物も持たない僕ですら、尚且然りである。之れが朝鮮人だつたらどうだらふ。日本人だつたら、尚どうだらふ。日本人にはナゼ愛国心のある奴が一人もないか、ナゼ目先の見へる者がないか、ナゼ遠大の勘定を知らないか、ナゼ早く悪い事は悪いと陳謝つて仕舞はないか。当時の詔勅を読むがよい、日韓併合は日本ばかりの為ではなかつた。単なる領土拡張の為にする帝国主義から来たものでもなかつた。民法でも府県制でも、果た又市町村制でも読んで見るがよい、自治も独立も意味は同じで異なる事はない。鮮人問題解決の唯一の方法は、早く個人には充分損害を払ひ、民族には直に自治なり独立なりを許し、以て誠心誠意、低頭平心、慰藉謝罪の意を表するより外はない。(一二、一四)
      七
 今度は亀戸事件の番だが、之は平沼司法大臣に与へた公開状を以て責を塞ぐ。
 此公開状は一度大部分が日刊新聞に載り、全文を法律雑誌に寄せたものだ。

 平沼司法大臣閣下。茲に謹で一書を貴下に呈します。常に、特に此際は一層御多忙でせうが、是非此書は御一読下さい。貴下が之を読で下さると否とは、直に人命に関し、事必ず天下国家に関します。
 私が貴下に呈する此書は、眇たる天下の一小問題、労働者虐殺に関する問題、即所謂亀戸惨殺事件に関して司法権の活動を望むに過ぎないのであります。が、其延て波及し影響する処は、断じて軽視すべきでなく、可なり重大で、必ず後悔自責、遂に自決もせざるを得ざるに至るかも知れず、私一個としても、貴下が之を読まない、聴かない、納得さして呉れない、となれば、茲に忽ち人間が一変し、性質と信念とが激変する底のものであります。
 熟読を乞ふ前に、私が常に貴下を尊敬することを一言するは、私を誤解することなく、よく之を聴いて貰ふ為に、強ち無用の業ではありません。御承知の高木さん、私はあの人を、要するに多数即横暴に対する反感や反抗からでせうが、陰日向、終始支持します-其が多くは迷惑となり、引倒しとなる事も承知です-にも不拘、あの人が貴下を攻撃し楯突く毎に、厭になり嫌になります。余りあくどい執つこいと思ふから計りでなく、貴下を尊敬するからでせう。其証拠には、世間の新聞雑誌が何時までもあの通り、余り執拗に、甘粕某を糞味噌に悪口しても左程反感も憤慨も起りません。
 貴下を尊敬するは結局自分を尊敬することで、畢竟は自惚に帰するかも知れませんが、私は貴下を、僕のような人だと思ひます。血も涙もあり、理も情も解る人だと思ひます。貴下は僕より学問があり文字を知り、地位と立場が違ふだけで、もし僕が貴下であつたら、矢張り僕も貴下のする事、考へる事しか出来ず、貴下が僕になつたら、貴下も矢張り僕の通り行つたり考へたり、しただらうと思ふ。私はイクラ笑はれても、今の此濁つた世の中では、矢張り正義、法律、裁判所を信頼するより外、生て行く方法がないと思ふ。之が信頼出来ないなら、死ぬか殺すかの外、仕方がないと思ふ。貴下もキツトさう考へてるに相違ないでせう。

 私が急に之れを思立つたは、一昨十五日、文壇関係諸氏の、平澤計七君追悼会で、其思出を新にした処へ、昨夜は筆にするに忍びない残虐を極めた、平澤君等の惨殺死体、首と胴との実物写真を見せられ、今日は又議会に於ける貴下の、期待に反した答弁を読まされ、喰はされたか、裏切られたかと、持つ玉を奪はれ、頼りにした人に死なれたような、限りなく切ない淋しい感を起したからです。でも、どういふ訳か私は今少しも、悲憤、慷慨、怨恨、復讐といふ熱が出ず、只ガツカリして、深い淋しさと物足りなさとを感ずるのみです。之が最後だ、一生の運勢の岐れ目だと、念のため諦のために、大勇猛心を出して、漸く之を書く事になつたのです。

 私は茲で事件の真相を語らんとはしません。私が不在の貴下を訪問して、秘書課長に、「平沼さんがヤル気になりさへすれば、此事件は必ず成立します。要は平沼さんがヤル気になるか、ならぬかの問題です」と云た伝言。貴下にも見て戴くため、吾々自由法曹団の調書の一部として検事正に提出した、私の始末書中の「此調書を読んで泣かない者は人でない、日本人でない。之れで検挙の実を挙げ得ない者は無能である、低能である。碌盗人である。事実の真相を摘発するは寧ろ国恥である、国辱であるとして之を不問に付する者は、却て国賊である、悪党である。」との一節は、今も尚之を維持します。全く、事件に関する警察側の発表は偉大法外の虚偽で、吾々の主張が真実であることは、あの調書で十二分に判明します。
 貴下は実際あの調書を読みましたか、調書中にある証人を取調べさせましたか。読みもせず調べもせず、只加害者側の報告其儘を信じたのではありませんか。イヤ確にさうです。検事正もさう言つた。吾々としては報告を信ずるより外はないと云つた。又被害者側の証人は一人も調べられて居ない。ソレで貴下はどうして報告が真実だと断言出来ます。ソレが官吏の御座なり答弁と同一でないと云はれますか。
 吾々は、何れ民事訴訟を提起することになつてゐます。其裁判で、首と胴とを切離されて、打捨られた写真を証拠に提出し、其処でそれが、殺し方は刺殺で、死体は丁寧に葬つた被害者達だと確かめられたら、どうしてくれます。其時陳謝つたでは遅くはありませんか。今になつたら、殺す現場を見た人も出て来ました。死骸を舁ぎ込む所を見た人も、鉄砲の音を聞いた人もあります。写真を撮つた人もあります。四日の朝、積重つた死体を見た人は最初よりあつた。殺された場所と日付とが、違つてることは最初から確実であつた。此等の証人中には警官の名も指して置いた筈です。
 貴下は警察側の悪宣伝に気が付かないですか、貴下さへ平澤計七一派が不穏の行動ありたるため検束された、などといふはどうした訳ですか、新聞は書き振りで種の出場所が判ります。種は総て警察から出たものです。警察は死者や遺族を慰めようともせず、却て自分等の非行を蔽ひ隠すがために、犠牲者を悪く云ひ触らします。其宣伝の効果は驚くべきもので、近頃発行出版物にも其通りに載つて居ます。コレでは死者も浮ばれません。平澤計七君と川合君等とは全く無関係別派のものであること、検束の際は彼等犠牲者が皆別々に就床中、夜警中を抜刀、土足、正服私服の巡査憲兵隊に襲はれたこと。只一足、一分の御陰で其場を脱れた者のみが、運よく助かつてること。被殺者の中には、人中では物も言へぬ屁も放れぬ、只ホンノ巻添に過ぎぬ人が居ること。動かす可からざる確証ある、塚本労技会幹事殺し、寺島の柔道師範刺殺ですら、今日に至る迄知らぬ存ぜぬ、放還したのと言張る世の中に、甘粕の調書でバレタで止むなく急遽、治安上最も秘くす必要ある時に、発表したこと。其迄は同じく支離滅烈不用意に、シヤーシヤー乎として知らぬ存ぜぬ放還した言張り嘲弄したること。被殺者は皆当時人助け、知人見舞、手伝、警戒等に熱中して居たこと。殊に親思ひ兄弟思ひで有名な川合君は、麻布より飛んで家に戻る帰途、倒壊家屋中より瀕死の二幼女を救ひ出し、老母の身を案じつつ一昼夜之れを看護養育し、漸く其幼女を隣人に預けて帰つたこと。等到底かくすべからざる事実を知つたなら、彼等に不穏の行動があつたなどとは到底信じられないではありませんか。当局者が流言を妄信し、大災害大動乱を未発に防止せんため、涙を振つて馬稷を斬るべく、国家のため覚悟して引致したのだと、断言しても決して悪意の解釈とは云へないではありませんか。当時亀戸署には鮮支日三国民、約七、八百の検束者があり、大部分は保護検束で、当時の情況、心理状態として、今にも殺されるかと、全く生心地なく、一同相警め相慎しみ、吐息もつかず小便さへも出ず、騒擾反抗所の話ではなかつたと云ふことは、軍法会議の判決文からでも間違ない事実ではありませんか。急に遺骨発掘を拒むに至つたは、実は死体何個の実数暴露を感付いたからです。全部の遺骨なら受取たいと申出たは、死体が何千あつたか、其人種別の割合、生焼半焼全焼の比率、鉄砲か大砲か刀剣か、首があるか無いかを知りたいからです。尤も遺族の人情は別で、若し其れが本物であるなら、髪の毛一本でも欲しいと、殆んど半狂乱になつて騒ぎました。が、似よつたものもない事になつたのではありませんか。其を一昨日の警察種は、遺族が遺骨を引取らぬから、警察で埋葬すると報導し、飽くまで人心をタブラカさう、世間をゴマカさうとするではありませんか。一つの悪事を隠蔽するためには幾つも悪事を犯さねばなりません。

 平沼さん。今日は十八日になりました。前の続きが判然分りませんが、事件の内容は言はぬと云つて、遂少々言つたようです。余り口頭無証、一片の出鱈目だとされるも遺憾と思ひ、一言に及んだのです。もう之れで打切ります。終りに臨み一番の急所を一言させて頂きます。
 此事件の真相を明にすれば、勢ひ、支那人朝鮮人日本人が、自警団や軍隊などに、殺傷された数、場所、方法、其死体の取扱方、埋葬方法が明になります。軍隊と警察とが一番悪い者になります。国威にも関し、国際問題も起るといふ事になります。しかし此所が一番考へて貰ひたい所です。
 物隠すより表はるることなし、天知る地知る人が知る。国の内外を問はず、洋の東西を論ぜず、事件に興味を持ち、利害の関係を有し、成行に注意を払ふ人で、今は既に事件の真相を知らない人があるでせうか。人誰か過ち勿らんや、過て改むるに憚ること勿れ、は小学校のみの教訓ではありますまい。無理が通つて道理が引込む時、吾々ですら随分突飛な考へを持ちます。階級的に境遇的に利害関係を一にする自覚した労働者の感慨は果してどうでせう。遺恨骨髄に徹し意気天を衝く、友人や同志や仲間や遺族は、どうして其鬱憤を晴らしますか。彼等も亦忠臣蔵で育つた日本人ではありませんか。特に目前に、決議の告訴告発訴訟提起、追悼会に組合葬等があります。彼等の怒れる血は、恨を新にする毎に愈々狂ひます。目に目の刑法、因果応報の判決で之れを防ぐにあらずして、どうして之れが止まりませう。其が法治国ではありませんか。どうか法治国の実を挙げて下さい。そして無政府主義の哲学に勝利を与へなんで下さい。私が前に事人命に関し天下国家に関すと云つたは此事であります。思想は実行で充分倒すことが出来ます。
 私は、貴下が私を了解して、私の無礼を許して下さること、並に貴下が正義と法律とを非常に怖れる人であることを堅く信じます。(一二、一八)

 平沼さん。以上を読直したり書直させたりする中に廿一日になりました。今朝の新聞を見ると横山君への答弁書が出て居ります。二、三、四項は今の処水掛論になるから何も云ひますまい。一項は余り酷いと思ふ。でも私はまだ貴下を信じ、之は下僚のした事で、貴下は只盲判を押したに過ぎないと思つてる。僕の確信する処では検束は名で、此時は既に殺す積りで引張つたと信ずる。併し之れも水掛論だからどうでもよい、が、革命歌を高唱したの、流言蜚語を放つた、は酷いではありませんか。警察ですら、ソンナ風説があつた、投書があつたとか言つてる切りではありませんか。誰が見たのです、聴いたものがありますか。各警察に当時検束された者は百や二百ではありますまい。無事に帰れた者は、其が如何に兇暴な者でも皆、保護検束だ、自殺の恐れありと認定して行政法に基き検束したのだと弁解してるではありませんか。又彼等と共に居た確実の証人を待たなんでも、誰が聞いても、疑あつたから治安保持上検束したと云ふ方がホントと思へるではありませんか。私は首を懸けます、日本が帝国でなくとも、私が死んで居ても、彼等が当時救助と夜警に従事し、革命歌を高唱せず(革命歌を知らぬ者が三人、聴いた事もない者が一人あります)流言蜚語を放たなかつた事は、世界の存する如く確実であります。(一二、二一)
      八
 重荷に小附か、錦上の花か、兎に角後世、大正の大地震には、亀戸九月の生焼祭りと、鮮人塚及宗一地蔵の縁起が附物であらふ。僕も最後に、宗一地蔵由来記の一節、憐れなるかや宗一地蔵、母があやめて鬼畜が甘粕し、其甘粕事件の判決を一寸批評して見よう。
 此判例批評も一度協会録事と新判例批評に此儘載せたものである。
 凡裁判と云へば、原告と被告、又は甲と乙との間に争があつて、其争を甲にも乙にも関係のない人が、其人の良心と信念とで結末を付ける事だ。で、子供や生徒が悪い事をして、其れを親や先生が、他の子供や生徒に見せしめのため、裁きを付けても、又は職工と工場主との労働争議の際、職工長や技師長が命を承けて仲裁しても、之は裁判だ判決だとは云へない。軍法会議の裁判も其通りで、事件が起きる、当局は先づ、都合のよい発表なり又は新聞記事の差止なりをする。それから、下官を判事とも云へる判士に任命する。都合が悪ければ勿論取替も出来る。上官の意思の存ずる処を、下官なる判士に知らせたくば、仮へばイクラでも方法がある。公報を以て犯人の一人をかくすもよい、主たる被害者を発表せぬもよい、犯人弁護の起訴理由を公表するもよい。下官は直に曹長以下大尉以上に及ぼしてはいけない、財物奪取や子供の事を余り深く追窮してはならぬ、との暗示を得る。下官は其裁判限りで又元の本職に返る。上官に睨まれては勿論出世は出来ない。軍隊の名誉は重んじなくてはならぬ。独立もなければ自由もない。軍隊で都合の悪いと思ふ人は弁護士でも弁護人にはなれない。全く、裁判だ判決だといふ考は起らない。此点は末弘巌太郎博士が軍法会議廃止論によく述べてある。尤も大学教授に言論の自由があるものなら、裁判視の点に聊か不足の点がある。
 でも構はない、判決を見て一々論批評しよう。

 (一)正彦は予て社会主義の研究を遂げたる処、は初めから随分笑はせる。社会主義者の名を三人知つて居り、社会政策講習会の講義を二回聴いて-之もホントかどうか、本を一冊読まないからつて、其で研究が遂がつたなら、成程、大杉と朝鮮人が地震を起し、野枝が爆烈弾を懐中で温め、其れで七歳の逆賊宗一打取つたり、は無理もない。其処へ行くと流石、弁護士も第一流第二流となると聊か見識がある。山田検察官は萬朝報で、もう三流四流の弁護士は懲々したと侮辱だか述懐だかしたが、第一流の江木花井、第二流の鵜澤今村の諸君が弁護を辞退したは、苟も本件を弁護するなら、せめて社会主義無政府主義の初歩位は研究したい、が短日月で出来る事ではない。今更売名でもないから、人に笑はれ恥をかくため、予備知識なしで矢鱈に飛出す身の程知らずでもあるまい、と云ふに在つたさうだ。判士は被告以上だから無理もないが、あの際被告に研究の場所方法、読んだ本の名や内容を、詳しく質問したら、其答弁は恐らく奇想天外であつたらふ。
 (二)不逞鮮人放火暴動の流言宣伝せられ戒厳令の布告を見るに至りたりと雖も、爾来各所に殺人放火等の事実頻発し、住民の不安興奮其極に達し、は、証拠にも其説明なく、以前にも以後にも見たもの一人もないのに、判決なればこそコンナ出鱈目が書けると思つた。勿論文章前後の関係から、其放火殺人は不逞鮮人の行為も読めるのだ。
 (三)職務上恐怖すべき種々の情報を耳にしたる正彦は、どんな情報を耳にしたかと云へば、風説だけで「其風説が事実か否かはつい調べません」だ。職務でありながらどれも之れも、素人も素人、常識のない素人と呆れる外はない。
 (四)正彦は突然大杉の後方より暗討し、慶次郎は其際廊下に出でて、これが見張をなし、正彦は慶次郎と対談せる野枝の後方より、大杉に対すると同一の手段を用ゐて暗討し、慶次郎は同室廊下に於て之が見張をなし、は、予審でも第一回公判でも供述が一致し、只手を持つた足を持つたの相違だけだのに、飽くまで正彦一人の武勇功績にして了つたは、蓋し後の公判で誰かがソンナ供述をしたるならん。傍聴者の言によれば、医師の鑑定書に、生前の傷もあるが、絞殺が死因だとあると、読聞けたとの事だ。更に鑑定に付したり、上等兵の所謂、其処に居たらしい人や、話をきいた人を取調たりしたら死因も判明しただらふ。
 (五)泰西革命の歴史に徴するも婦人の主義者はこれ又殺害の要ありとなし。正彦は野枝に対し二三問答を交へたるに、同人が現時の混乱状態を喜ぶの情を見て、は。ソレナラ何も初めから外二名にする必要がない。後から、しかも大勢で付けた理屈が之れだけとすれば情ない。正彦が野枝を試験するは柄でもあるまい。証拠でも出来てるのかと見れば何等の説明もない。其も其筈公表された二三の問答は、仮令其が全部事実でも、返て混乱を悲む風だ。当り前ではないか、人を殺しても罪にならぬ当時の憲兵隊の中で、ドンナ間抜が混乱を喜ぶ情をするものか。イヤハヤ、どれもこれも低能揃だ。
 (六)次に宗一については、正彦は当時大杉の子なりと信じ、は。之だけは確かに判決が間違つてる。此点については僕は甘粕に同情する。ボンヤリ無類の上等兵ですら「大杉の子でないことは知つて居ました」。イクラ甘粕がバカでも低能でも、仮令功名心と前途の光明とに逆上して居たとしても、其研究と調査と当時の状況とで、「毎日大杉が連れて戸山ケ原へ遊びに出ると云ふ魔子」が女性であり、「行く時には女の子を残したが、帰りに一人の子を連れて来た」といふ其宗一が男性であつた位は判かつて居た筈だ。又男か女か、幾つ位の子か、誰の子か位を知らなんで欺し討が出来るものでない。大井大将の「奥歯に物の挟まつたやうぢや、今少し其点を突込んで調べたら事実が判明したらうに」の憤慨談は尤のやうじや。
(七)正彦は小児を殺害するは情に於て忍びずとなし躊躇したるに、慶次郎は其殺害を主張し、は。之で見ると地蔵殺しの鬼畜は返て森の様だが、実際聊か迷ふ。此事件は翌日の九月十七日に都新聞の某氏が某憲兵より聴込み(或は鴨志田自身ではなかつたらふか、鴨志田の弁護をした名川侃市君が九月廿一日に突然、僕の処へ来て、外二名とは誰かと聴いた。僕は此処で書く凡ての事を話し、名川君は三人の上等兵を心配して帰つたが、元来名川君は名裁判長時代から、思想問題の事は知らぬ、関せぬ、研究せぬ、知る必要がないのドンケーヤ主義で、今度も正直に知らぬを売物に弁護をした位だから、趣味や興味で来たものではあるまい。之れと「正直無智の鴨志田」の人物評とを綜合すると、さうかも知れない)直に甘粕にブツカツた。甘粕はビツクリして誰から聞いたかとそれのみ追窮し、記者がドウしても実を吐かないので、司令部と相談の上、さる事実なしと答へ、且つ隊内を案内した。都はソコで社会主義者大検挙の号外を出したに留まつたが、之を聞いた朝日は大活動を開始し真相を究めて十九日に大阪に於て号外を発行し(時事も東京で同時に号外を出したが此方は僕は知らない)遂に陸軍をして公表を余儀なくせしめた。(ソレでも外二名は米国大使館より説明を求めたまで公表しなんだ)。其際の話によると、森は地蔵殺しを留めたが甘粕に叱られて果たさなかつたのだ。(其他の点は大杉虐殺の方法遺留品の行方等を除いては絞め型を教へた事、お星様の話、お菓子の事まで今と同じだつた)が、斯う縁もゆかりもない甘粕を頻りに揚げ、森を甚だしくけなす処を見ると、或は森の方が親鬼だつたかも知れぬ。しかし発表前後の当時、憲兵隊内で甘粕同情将校の激昻が甚しかつたといふ記者の話、甘粕以下で喰止まつた明なる事実、目に見ゆる様な色々の細工、余りに酷く突ツ込みやうの足りない審理振り、絞め型を教へた事実まで判決文に挙げなかつた事、等から見ると、僕が森に差入をする気になつたも無理はなかつたと思ふ。
 (八)平素正彦を信頼せる被告両名は、戒厳令下に於ける非常の場合(幼児を殺害する位は)其犯罪たる事を推知せずして直に之に服従し両人して之を死に致したるものなれば、罪となるべき事実を知らずして犯したるものにして、即ち罪を犯す意なき行為なるを以て無罪を言渡すべきものとす。之は角を矯めて牛を殺し、二人を助けて軍隊を殺し、日本人を亡したものである。蓋しバカの人真似、鳥の鵜真似の致す処か。どうせ素人の裁判であるから、法律語や法律臭い事は抜きにして、両名は上官の命令であり、其命令は司令官も承知だし、早く遣らないと『親指』の御機嫌が悪いとさへ言ひ、又やる処が隊内の司令部ではあり又『他に人も居た様』であり、如何にもヤリ方が公然の大袈裟であり、当時戒厳令下で色々の訓示激励等も出で、此際やつたとてマサカ問題にはなるまい、よしなつた処が吾々の処まで責任を下さず、上の方でどうにかして呉れる。予定通りバれずに済んだとしたら、伍長にも曹長にもなれよう、特に上官が目の前でもう一人は殺して了つた。よくある例だ、若し吾々が厭だと云つたら、吾々が殺されるかも知れぬ、拒む程の度胸があれば構はず逃げて仕舞ふ。誰が好んで人を殺すものか、厭で厭で仕方がないが自分の命、即座の脅迫が怖くて、悪い事罪な事と知りながら、本心でなく無理にやらせられたのだから無罪である。と判決すればよかつたのを、ナマジツカ法律振つて、バカの人真似、鳥の鵜真似でコンナ事に判決したから。今度は、被告両名は、平常なら常識に訴へてもよいが、戒厳令下では如何なる事でも上官の命には従ふべきものと思つた。戒厳令下では七歳の幼児でも何を仕出かすか判らぬと思ふ。七歳でも男の子なら時には虐殺して差支ないと思ふ。現に上官がさう言ふた。日本人としても、また兵隊の思想や犯行を取締る選ばれたる憲兵としても、戒厳令下では、人を殺す事や小児を殺す事位、悪い事と思ふ者はない、之れが憲兵の常識である、日本人の道徳である。故に両名は罪となるべき事実即ち悪い事だと思ふ事実、を知らず、正当当然の事と思ふて幼児を殺したから無罪である。若し両名が悪い事だが、上官の命令であつて見れば、マサカ法律上罪にはなるまいと思つてヤツタなら、当然刑法三十八条第三項によつて有罪であるが、クドクも繰返す通り、両名は人を殺す事、特に小児を殺す事は、悪事とは思はず遣り、又両名がコンナ事を悪事と思はなかつたといふ事は日本人の道徳として、将又憲兵の常識又は軍隊の精神として当然で深く信用するに足るから無罪である、と解釈するの止むなきに至つたのだ。此僕の法律論に異議のある者があつたら、仮令それが三流四流の弁護士であつても、僕が何時でもお相手する。実際執行猶予には誰も異議のなかつた二人だから、どうせ無罪にするなら、後世にも残る事だから、意識の喪失か命令服従の一点張にすればよかつたに惜しい事をしてくれた。
 (九)被告正彦を懲役十年に被告慶次郎を懲役三年に処す。之れは苦心の跡が確かに見える。もう何と云つても誰も知り抜いてる、小刀細工で有から無を作るやうな大仕事が果せるものでない。僕が判決するとしても大に迷ふ。でも僕なら先づ(一)少しも秘くす事なく被告に安心して事実を白状させ、証人もドシドシ許し、被害者側の知つてる事実も調べ、案の定甘粕が一人で背負留めたのだと認定したら、立身出世の為や、矢鱈にバレル恐れなしと安心してヤツタでない限り、上等兵等と共に無罪にするか又は執行猶予にし、(二)若しそのため上官に対し後に形式上又は世間体上起訴でもあつたら、其時は其時の判士が勝手に事実を認定し、ソンナ事は絶対にない、甘粕一人の胸でヤツタのだと総て無罪にするか(之れは法律上当然出来るのだ)、又は(三)甘粕を国士と見立て、動機もキタナク無く、人間も真面目で、行動にも芝居気なく、余り饒舌らず、申立も一貫し、全く私心なく、過つた考から一人の胸でヤツタものと認定したら、情を汲んで無期懲役に処し男を立てさせる。(四)若し腹の中では命令関係も人格も疑ひ、判決文では命令関係のないこと、人格の立派のこと、にするとすれば中々困難である。
 一体本件は、罪の有無や刑の高低が問題であつてはならぬ、否当然有罪で刑も重い事が被告に対する贔負であり同情である。今迄の甘粕同情者は、陳謝した時の晴々した心持、重荷を卸した時の楽々した気持を知らない。責任とか罪亡しとか後生とか安心とかいふ、国士の心情を更に知らない贔負の引倒者であつた。死刑でない限り刑期などは、愈々となれば後でどうにも出来る。特赦大赦もあれば、仮出獄もある。余り過ぎたるは尚及ばざる如く、却て本人や家族の者を一生ビクビクさせる種だ。世に強がりや空元気の、テロやアナの同情程損のものはない。
 (十)被告利一が、誰か人の殺されてるにはあらずやと知りつつ見張したりとのことは、証拠なきにより無罪とす。証拠がないから無罪だと云ふ以上、判決に証拠のないは当然だが、公判廷で明かに『想像した、知つて居た』と明言したのをどうしたか。イクラ伍長になれる程の憲兵だからとて、あの場合、何を甘粕等がして居たか、何の為に見張をさせられたかを知らぬ程の阿呆でもあるまい。ソレとも判決は、被告は甘粕等がバクチでも打つてると思つて見張したとでも云ふのか、又は推測や想像で事実を知つた事は法律上、事実を知つた事にならぬと云ふのか。

 得意になつて書いてる人自身ですら余り長くて厭になつた。読者諸君には済まなかつた。実際大杉といふ男は死んでからも僕に厄介をかける男だ。死ねば、判決があれば、葬式が済めば、と思つたら、また骨だ、今日の朝刊では福岡と大阪と岡山と八幡で、分骨の本家争が出来さうだつたが、夕刊では盗まれた分骨の方にも三ケ所で本家争になりそうとの事だ。どうか此判決批評は書きたくない。(一二、二一)
<山崎今朝弥著、山崎伯爵創作集に収録>
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