週刊社会新聞・東京社会新聞


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「週刊社会新聞」、「東京社会新聞」(いずれも東京社会新聞社)より、山崎についての記事を抜粋してみた。
「人事片々 ▲前の米国伯爵 弁護士山崎今朝彌君は今回法律文学と題する月刊雑誌を目論見来る十月一日に第一号を発刊する由」(「週刊社会新聞」第18号5頁(明治40年9月29日))
 注)山崎には「雑誌発行道楽」(森長英三郎)があった。この『法律文学』はおそらく山崎が最初に出した雑誌であろう。
「人事片々 ▲山崎今朝彌君 は今回天下太平会なるものを組織したるが其の目的は濫訴健訟の弊を防ぐに在りと」(「週刊社会新聞」第21号7頁(明治40年10月20日))
「人事片々 ▲山崎今朝彌君 奇弁護士たる同君は去る八日郷里信州諏訪に帰省せり」(「週刊社会新聞」第25号7頁(明治40年11月17日))
 注)山崎は当初、東京で弁護士開業したが、一旦郷里の長野に帰郷し甲府地方裁判所所属に登録換している。
「新刊紹介 ▲法律文学(第一巻二号) 本号には食と色と法、文芸の価値、探偵界の大立者、野口曽恵の書翰、法曹逸話法界奇談等あり萬事が米国伯爵式にて面白し一部金七銭赤坂区田町七ノ一法律文学社発行」(「週刊社会新聞」第26号6頁(明治40年11月24日))
「人事片々 ▲山崎今朝彌君 は目下郷里信州諏訪に帰りて冬籠中」(「週刊社会新聞」第28号7頁(明治40 年12月8 日))
「人事片々 ▲山崎今朝彌君 は郷里信州諏訪に於て弁護士の職務と氷滑に勉強中なり」(「週刊社会新聞」第33号7頁(明治41年1月19日))
「人事片々 ▲山崎今朝彌君 の新著「粗食養生論」は今回隆文館より発行されたり」(「週刊社会新聞」第35号7頁(明治41年2月2日))
 注)粗食養生論は山崎の処女作である。
「人事片々 ▲山崎今朝彌君 の近信に曰く『泥棒、掛取り、醜議員の類一切入るべからずと云ふ看板を掛けしに観る者門前市を為せり云々』」(「東京社会新聞」第7号3頁(明治41年5月15日))
「人事片々 ▲山崎今朝彌君 は郷里信州諏訪にて高山柳子女史と結婚したり」(「東京社会新聞」第8号3頁(明治41年5月25日))
 上記は、いずれも労働運動史研究会編『明治社会主義史料集第6-8集』(明治文献資料刊行会、1962年)より引用した。
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