年鑑資料袋目次の序


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年鑑資料袋目次の序
 死んだ山口孤剣君は新聞の切抜きを竹ゴリに二三十所有して、之れが僕の身代だと云つて喜んで居た。僕も其れで思い付いて明治四十年頃から切り抜を初めた。云ふ迄もなく切り抜は年鑑発行の希望があつたからだ。尤も其希望は今度の年鑑とは多少違つて居た。希望が計画に進歩したは何時頃であつたか覚へもないが、僕は其後何度か発表しては廃め、ヤメテハ発表してタダ一人で宝の持腐れを喜んでゐた。今度も先づプランタイ家とブツクメイ家と云ふ文句を発明したので矢も楯もタマラズ偏に之れを使用したい為に先づ広告したくなり遂には年鑑発行の止むなきに至つた。処がプランダイ家は大家でもよいがブツクメイ家は名家にしてくれても厭だと新居君に断わられ、僕の目的も丁度半は失はれたワケだ。切り抜の話が邪道に入つたが切抜は雑然として僕の呆大なる大ち嚢に殆んど二十乃至三十もある。之れを上手に整理して貰へたら十分申分のないものが出来ると思ふ、僕は嚢の表に紙を貼り付け目次様の出鱈目や感想体の注意書をする事にして居る。解放には埋草がなく編輯が困ると云ふから、デハ埋草はオレが全部引受けよう、そして僕は資料袋の目録を使はふ、ワケはないと云つた処、デハ取敢へず此半頁をとの事だつた、天から目録では曲がないから先づ序文を半頁に態とヒロゲ、此次の空地からは次第不同で目録を貸せる事とする。(山崎)
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正し、旧漢字は適宜新漢字に直した。>
<底本は、『解放』(解放社)第5巻12号62頁(大正15年(1926年)10月1日発行)>
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