続裁判時代


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続裁判時代
          山崎今朝彌
      田中金造の売位売爵事件
 田中金造君を知つてる者は恐らく一人もあるまいが、これは近藤憲二君の行司で、私と田中君と一騎打の薄気味悪い一本勝負をし、当時伯爵が負けた負けたと、近藤君が方々触れ回つた面白い話である。
      ○
 当時近藤君が大学に寝泊まりして居たと思うから、頃は大正七八年社会主義同盟の前後であつたらう。金沢市だか石川県だかの、七尾町とか八尾町とか云つた町の某会社の、技師だか技手だかに田中金造と云ふ人があつた。此人が其頃私の総長をしてゐた、平民大学に百円だか寄附して、大学令第何条だかの学士位を請求して来た。規定に則り雑誌何月分かを送り学位を許した。其の年の学士大会には態々上京出席して又何百円かを寄附して帰つた。
 其頃(だと思ふが)何か癪に障つた事があつたと見え私は大学令第何条かに基づいて山縣公土方宮内大臣(?)上杉慎吉博士を、国家又は本大学に功労あるものとして平民大学法律博士に推薦通告した。恰度各種無産政党や各無産団体が矢鱈に顧問や相談役を推薦するやうに、山縣公や上杉博士からは何の異議申立もなかつたが、土方伯からは平民病院長加治時次郎君を介し堺君を代理として抗議があり取消の申込みをした。私は推拠の拠つた、平民大学令の法条と共に辞退も亦自由である法理とを闡明して之れを『平民法律』か何かに発表した。之を読んだのか又規則を調べたのか、田中君が急に一萬円だか一千円だかを寄附し、これでも尚功労が足りないならイクラでも寄附するから、平民大学工学博士を許下してくれと請求して来た。少々薄気味は悪くなつたが河豚は喰ひたし生命は惜し、今更敗けるのは尚更業腹、真面目腐つて弁解するわけにも行かずどうしたらよいかと一寸困つてゐた、近藤君は此の勝敗見もの見ものと漸く騒ぎ立つ。
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 私が法令全書を繙て見ると平民大学令は小学校令にも刑法にも触れないよう上手に出来てる。先づ此点は安心だ。早速寄附金中から百円だか二百円だか奮発して私立探偵に本人の身元調べをさせる。
 勤勉実直会社の信用厚し、詐欺師にも前科者にも又警察のスパイにもあらず、との報告。安心のようで不安は益々加はり一層気味が悪くなる。学位を必要とする理由如何、との質問には、大学令上陳述の要なしとの回答。エー儘よどうでもなれで許下してやると、折返して免状を呉れと来る。免状を出す規定はないと答へれば其れは形式論だ学位を出して免状を出さぬ法がないと来る。大学の判も総長の印も免状用紙もないと断れば、ソレナラ此方で拵へて上げると迫る、お勝手にと答へてやると、間もなく驚く程立派な免状謄と印と判とを送り届ける。兎角先づ之れで一安心と漸く安堵すると、意気揚々たる平民大学最初の工学博士を公正証書にしてくれと愚図る。どう始末したらよいか私も之れには閉口して全く困つて了つた。近藤君は面白い面白いと手を打つて頻りに喜ぶ。
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 萬事浮世は金と金。さうだ金で追つ払うよりほかはないと考へ『研究したら公正証書に出来ない事もあるまいが研究手数、公証費用等千円位は費るが承知か』と脅すと千円は安い二千円大学へ寄附しませうと来る。今度は此方が怖くなる研究中二三日ホテルに待つて貰ひ、知り合の公証役場へ行き法律行為に関する陳述録取公正証書-私から田中君に工学博士を授けた旨の公正証書-を作成してやつと鳬を付けた。
 一難はさつたが一難がすぐやつて来た。田中君は一萬円出すから是非米国男爵を許してくれと頑強に強請するのである。既に心のドン底までおびへ切つてゐる私は、際限がないからここらが打ち切りところと信じ、『私の伯爵は一代かぎりであり、米国の法律では他人に男爵を許すことを許さない、平民大学令の爵位を許すことは認可されて居ない、仮令私が情実に囚はれ独断之れを君に許したところが、其れはどうせ無効のものであつて、畢竟潜称私称にほかならない、どうか之れだけは勘弁してくれ』と泣かんばかりに堅く断つた。田中君はではと悠々笑つて帰つてくれた。近藤君は、伯爵がばけの皮をはがれ、見す見す一萬円を逃し、小心翼々泣き面をして遂に許爵を許し得なかつたから全敗だと審判し、私は切上時がよく、上手に退陣したから全敗でないと物言ひをつけた。
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 秋去り冬来り、それから凡そ十年の年月が経過した。去年か一昨年かの新聞に田中金造君の学位売買詐欺事件が報導された。私は思はずギヨツとして全身肌へに粟を生じた。各新聞の報導を綜合すると、田中君は学士になると百円の俸給が百五十円に昇つた。工学博士をとるとすぐ公正証書を翻訳し米国の某大学から通信規則に基き工学博士を貰つた。茲に目出度日米工学博士が出来上り、技師長になつた。俸給は一躍五百円に昇進した。新に会社をおこし重役になつた。別に平民大学に倣つて新平民大学を設立し、米国の某大学と特約して盛んに各種日米の学位を売り巨萬の富を積んだ。が、中々法律的に上手に出来て居るから、一審は有罪になつたが二審広島控訴院では、犯罪を構成するものとして被告を有罪にするか否かは疑問で今や法曹界の大問題になつてると結んであつた。私は漸く胸を撫で下した。
 其後田中君の消息は聞かない、注意して居つたが大審院へは田中君の事件は来なかつた。無罪になつたのか又は執行猶予にでもなつたのか。それにしても私が一回も引合に出されなかつたは何故か、平民大学の件だけは田中君が口を割らなかつたのか。こうなつて見ると結局私が勝つたのか、田中君が負けたのか、兎に角私も損をしなかつたが田中君も尚更損をしなかつたわけだから、此点では双方引分けと云つたところであらふ。が、藍より出て藍に勝る田中君の人物は、人を人とも思はぬ洒々としてイケ図々しい点に於ては確に私より役者が一枚上だつたらしい。

      布施辰治君の懲戒裁判
 世には悪弁護士が沢山ある。弁護士は全国で約四千人、其約一割が検事局のブラツクリストに載つてる。と新聞は報じてゐる。
 ソレ程多い悪弁護士の裁判事件がナゼ滅多に社会に知れないだらふ。ソレは弁護士は紳士である、だから体面を重んじてやらなければならない。と云ふので裁判所も新聞社も極力事件を秘くすことに努力するからだ。刑事事件や犯罪事件とか云ふ程度に至らない、少々の悪徳事件、即懲戒裁判程度の事件は特に法律では秘密不公開ときめてある。
 これまでして法律乃至裁判所が弁護士を保護贔屓して下さるに不拘、近頃屢々懲戒裁判を公開してくれ、事件を公表してくれと迫る図々しい悪弁護士の頻出するは大胆の至りである。
 其図太い悪弁護士のトツプを切つたのが斯く申す筆者の私で続いて佐々木高木の両弁護士、最後に今回布施辰治君が控へて居る。
 私のは上告状に、間違つた裁判を下した原審判事を罵つて『偉大なる低能児』と書いた所謂判事低能事件。佐々木弁護士のは雑誌に、近頃の判事の頭は石コロ同然だ、と書いた『石コロ判事』事件。高木弁護士のは法廷で判事を小僧と呶鳴つた所謂『小僧判事』事件。布施君のは、先般大阪共産党事件の公判廷で、『ソンナ裁判長がありますか、お控へ召され』と呶鳴つた『裁判長叱責』事件だ。
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 懲戒とは読んで字の如く懲らし戒しむことだ。ところが私でも、布施君でも、コンナ懲戒を、名誉とこそ思へ、少しも悪かつたとも損だつたとも思はないのだから、懲りもしなければ戒しめにもならない。然るにお上ではナゼ本気になつて糠に釘を打つたり、狂人に刃物を持たせたりするのだらう。
 ソレはかうだ。私共は判事でも弁護士でも友人でも他人でも労働者でも金持でも、馬鹿は矢張りバカ、低能は矢張り低能、お控へ召されは誰にでもお控へ召されだ。と考へてるが、お上の者の考へは又別だ。長い物は何時でも長い、地頭は何時までも地頭だ。労働者風情が金持に楯突いたり、弁護士風情が判事を友達扱にしたりするのでは我日本の国は到底持つて行かれない。困つたものだ驚いたものだ呆れたものだ。早く何とかしなくてはならない、何とかと云つた処が、懲役に入れる法律もないから、懲戒にでもするより外はない。と、コンナ馬鹿堅い、糞真面目の考からで、毛頭塵芥程も悪心があるからではない。
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 懲戒は--一、叱り置き。二、罰金。三、一年以下の停職。四、極刑除名となつてる。除名は弁護士の登録取消又は資格剥奪でなく、加入弁護士会からの除名だ。日本には数十の弁護士会があつて一つの会に加入すれば全国で商売が出来る。懲戒裁判中又は除名裁判後に別の弁護士会に加入したら、除名や懲戒はどうなるだらう。除名より一段軽い停職なら、尚更今迄の弁護士会を退会して別の弁護士会へ加入すれば商売が出来さうだ。実験の為め私は今一度懲戒になつて見たい気もする。
      ○
 私が自ら被告になつて法廷に立つこととなると色々面倒の問題がある。弁護士又は弁護士会と云つた類のものは、氏から云つても育から云つても、裁判所又は裁判官と同穴の狸だとは平素の、主張だ。で、第一これ等親しい人々に弁護の依頼が平気で出来るかどうか。いま時の懲戒は寧ろ名誉だと心得てるから、お上の御親切は飽くまで辞退して裁判の公開を要求しなくてはなるまい。われわれは検事被告対立論で検事論告の際に起立は出来まい。われわれは判事弁護士同等論から座席同等を要求せねばなるまい。忌避をせねばならず抗議運動を起さねばならず、曝露戦術を闘はねばならず、大衆運動を初めねばならない。要するに正面衝突だ、実力と実力との戦争だ。
      ○
 私の喧嘩哲学はかうだ。喧嘩は戦争だ。損すりや敗けだ。腹立ちや損だ。喧嘩は和気靄々損して得取り、愉絶快絶、転んでも只では決して起きないことだ。ソコで私は敵の力と自分の力を計り、先の見通しを付け、先方は先方こつちはこつち、お互双方自由勝手、バカと気違には一切関り合はないで面白半分調戯半分の端書や手紙を出しツ放しにし、裁判所へは一回も顔を出さなかつた。お蔭で判決はアンナ事でも四ケ月の停職と云ふ素晴らしい。重刑だつたが、其代り働きかけて新聞雑誌が大に書いてくれたので、名声嘖々、商売は一世一代の繁昌振りであつた。
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 私の懲戒事件の問題は「若し之をして強ひて安寧秩序を破壊するものなりとせば、日毎日常の新聞雑誌は悉く秩序紊乱となり、之を不問に付する全国の司法官は、原審判事山浦武四郎江木清平西豊芳二郎三名を除く外皆偉大なる低能児の化石なりと云はざるを得ず、天下断じて豈斯くの如き理あらんや、原裁判は真に呆れて物が言へず」と云ふ上告理由書で、言はないでもよい余計の文句を書き、弁護士としては不謹慎の言を吐いたと云ふ理由で有罪になつた。が、之れも初めは原判決取消し被告は無罪、弁護士御構なしで無事に済んでるのを、私が新聞雑誌に自ら投書し無理に平地に波瀾を起したのが禍して、止むなく検事局の問題となつたのだ。
 検事局の問題になつてからでも温和しくして居れば立消に請合の事件だつたが、占めたと計りに私が用紙や端書に、『追て小生懲戒の件、小生は、和気靄々の裡に厳しく懲戒され、電光石火寝耳に水で世間をアツと云はせるを唯一の楽しみに従来堅く秘密厳守の所、今回図らずも、事、検事局の洩らす所となり今は却つて迷惑を感じ候次第、此上は止むなく大勢を天下に発表して広く知己の裁判に訴へ、以て損して得するの外無之、就ては僭越ながら茲に拙著「懲戒になる迄」一冊(定価弐円近日発行)御購読被下度候』と刷り込んで方々へ配布したのが訴送を挑発したのだつた。
 懲戒裁判開始決定後に於ても黙つて居つたら、叱り置位の処で、マサカ四ケ月の停職にはしなかつたらうが、今考へて見ると、今の牧野大審院長其他の係判事を忌避したり、其忌避申請書に、懲戒開始決定書を文字通りモジつて、『被申請人(牧野裁判長以下の判事)は東京控訴院に於ける懲戒裁判所の判事にして其職務に従事中、曩きに大正十一年四月十九日申請人(私)に対し懲戒裁判開始の決定を為すに当り云々との語句を羅列したるものなり。右の事実は本件懲戒裁判開始決定書に徴し之を認定するに充分なり、右は開始決定書として甚しく不謹慎なる有罰の予断を弄したるものと被認其行為は疑もなく明かに偏頗ある裁判を為すことを疑ふに足るも、毫も判事の体面を汚さざるものなるを以て云々右忌避申請に及びたる次第なり。追て申請人判示羅列の語句が頗る常套を越え多少矯激に走りたる傾きは之れを認むるも畢竟は之れ皆慨世の余憤遂に反省を促す警世の文字となりたるに過ぎざれば寧ろ其為め弁護士の地位を向上せしむる憂ひこそあれ毫も其体面を汚すべきものにあらずと信じ候。されど申請人は強ひて無罰を希望する者に無之候へば、五月十一日の裁判には出廷も仕らず、又一言の弁解も不仕候へば、判検事水入らずにて充分御勝手の御裁判呉々も奉願上候也』と書いたり『拝啓 明後日は拙者の大安吉日に付き例の懲戒第一号事件是非々々御進行相成度、忌避申請中並に拙者欠席中の裁判なれど、男子の面目に懸け絶対に異議苦情申間敷、後日の為め一書上申依て如件、大正十一年五月九日。追て小生は此処数日間重病に相也候条御承知置願上候』などと上申書を出したりして裁判所をカラカツタのが悪かつたのだつた。
 停職四ケ月を言渡され其れがすぐ確定すると同時に当時の左傾新聞雑誌には一斉に左の広告が載つた。『今般所長の懲戒休養を利用し一般法律事務特に社会、労働、思想問題に関係ある事件を専門に取扱ふ。東京市芝区新桜田町十九(電銀二〇七七)平民法律所。所長弁護士法学博士山崎今朝彌。弁護士ドクトル徳田球一。弁護士弁理士藤原繁夫。弁護士法学士細迫兼光。』私は又自ら例に依て左の端書を配つた。『私は大審院で、全国の司法官は偉大なる低能児の化石なり、と喝破した為め第一、二審共重罪の被告を無罪とし、其の効能を以て休暇四ケ月の恩命に接しました。が病気も殆んど、全快人物払底の今日、悠々閑々休養之れ事とするは却て恩命にも背くものの依て当分は只平民大学総長法律博士米国伯爵の資格を以て、誓て、熱心激烈、取り敢へず一、悪家主悪差配の征伐、二、悪富豪悪会社悪官吏の問責、三、悪法律弾圧法規の即時撤廃、の実行に従事します。弁護士山崎今朝彌』マサカ懲戒ばかりのセイでもあるまいが、此時から大地震に焼けなかつた時までの期間が、私の弁護士商売繁昌の絶頂期で、一世一代の黄金時代であつた。どう考へても懲戒なんて詰らない、下らない、理窟に合はない、持つて来いの悪戯である。
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 人には各々流儀があり、性質がある。与太は与太、真面目家は真面目で行かなければならない。布施君は布施君流に愈愈正々堂々の法廷戦を今度の懲戒裁判で戦ひ抜くと宣言した。昭和四年十一月廿九日第一回からの裁判は、龍騰虎躍と云はふか、巨弾爆裂と云はふか、壮観痛快、奇策縦横其面白いこと例へんに言葉なしだ。
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正した。旧漢字は適宜新漢字に直した。>
<底本は、『世界の動き』(世界の動き社)第1巻2号14頁(昭和5年(1930年)2月発行)>
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