私かにテーゼを論じ敢へて片山老兄へ寄するの書

私かにテーゼを論じ敢へて片山老兄へ寄するの書
      一
 片山老兄。病気の噂と達者の噂とをゴツチヤに聞くが一体ドツチですか、思ふに両方ホントなんでせう。僕等位の老人でもモウ身体が命令を奉かず、少し無理をすればスグ耐へる。歯○○目は○○歯目の順序で痛切に適用され、○○は十数年来、歯は昨今完全に総入歯、目も四五年弱く今年からは老眼鏡が離せなくなつた。昨年までは往復三里の道を毎日事務所へ通つて見たが、電車が開通すると同時にモウ徒歩くが大儀になつた。天丼三杯汁粉廿杯などの芸当はモウ夢にも出来ず漸く其の半分が関の山。年はドウしても争はれないものだ。僕よりも廿才も老兄の老兄、如何に頑健なりと雖も又推して知る可きのみと思つてゐる。
      二
 日本の事情も大きい所は色々の関係から老兄などの方が僕等よりよく詳しく知つてると思ふ、が細かい事は何んにも知らないでせう。老兄直系の善良なる藤田浪人は久しく八王子に病んで又立たずでもないがモウ駄目でせう。二人の子供に仕事を譲りボツボツ集めさせて病後を楽んで居る。も一人の鈴木楯夫君は得意だつたり失意だつたりして最後に名古屋で労農民衆党と云ふ地方政党の書記長をして居つたが、ツイ先日解党して社会民衆党に入り支部長か何かをして居る。ソノ昔し、人の顔を覚へるに妙を得て居た小林源十郎と云ふ車掌さんがあつたが覚へて居ますか。久しく藤田君等と演説師をして廻つたが、今は府会議員か何かで政友会の顧問(但自称)をして居るとの事です。其頃会場係ビラ書係りであつた水谷憲風と云ふ男は今はドウして中々、其後日本一の演説師(自称但堺君公認)になり、一人で日本中を駆け廻り、今度の総選挙にも政友会民政党実業同志会労農党と駆け持で、一日百円位になつたさうです。池田秀原茂郷既に死し笹井悟堂はトウの昔に圏外に去つた。が「片山先生」を担ぐ事は依然たりと。老兄や幸徳君が非常に望を嘱した若宮卯之助君は永く政友会幹部の指南番を勤め今は日本新聞と云ふ小さい反動新聞を主宰し、朝日、日日の大新聞代表と伍して政友会内閣の下に親任待遇とかの何々審査委員とかに任命されてる。斯くて昔しの片山直系はダンダン没落して行く。
      三
 労働農民党内に於ける希望閣派と労農社派の対立は先刻御承知の事でせうが、此頃の悪戦苦闘はマダ御存知ないでせう。人の悪い話だが、其れは中々面白いですよ。レニンだかキリストだかが「天下に無駄の事は一つもなし、馬鹿の真似をせぬ者は何の真似もせぬ者なり」と云つたさうだが、此のバカらしい喧嘩も日本の革命家にドレだけ読誌慾と研究熱とを唆り以て日本の運動に貢献するかマダ知れません。例の日本問題に関するコミンタンの決議を周はつて、先づ「労農」派がソレ見ろとアバく、「マルクス主義」「無産者新聞」が相手にするかへと鼻で応対ふ。「労農」がコレでもかコレでもかと書くは書く。「希望閣派」が手前達はドウだ、ザマを見ろと憤り出す。「労農」が「吠へる」「赤化する」、「マルクス主義」「無産者新聞」が「毒付く、騒ぐ」「悲鳴を上げる」。号外を出すビラを配る。アツピールすれば抗議する、取消をすれば又其取消をする。フアンが出来れば見物同志が喧嘩する。活動小屋には髪の毛の長い人が来なくなつたと云ふ位、ソレは誠に一世の偉観です。
 僕等「後入主」の組も、今度のコミンタン決議では、此のマルク労農の喧嘩を通して大に得る所がありまして只管感謝して居ります。ドダイ僕等は、共産党の労農党への化け込み融け込み、乗取りのための合同、和合の秘訣結合前の大喧嘩など、確かに間違つた愚論闘争だと云ふ事を百年も前から知り抜いて居りツイ時々口にも筆にも洩らして了つた事がありますが、矢張り、俗学的、常識的、非マルクス主義的だなと嗤はれるが柄にもなくコワさに、人並に、ワカリもしない議論をワカつたような顔をして居つたのです。処が待てば海路の日和見とかで、マルクス主義でもレニンズムでも唯物史観でも弁証法でも矢張り曲つたものは曲つて居り、真直ぐなものは真直ぐだとコミンタンが決議したと「労農」でも「マルクス主義」でも訳してくれました。特に「マルクス主義」には其の全文が訳されて大に助かりました。
 コウ云ふと何だか僕が自分の頭脳明晰を誇るように聞こへますが、よく聞いて見話して見ると十人が十人までは皆僕と同じ様にワカつた振りをして居たに過ぎないとの事です。希望閣派(詳しく云へば無産者新聞、マルクス主義、農民運動、労働者、インタナシヨナル、政治批判派等々で日本では此頃別に之れを福本派福本主義などと呼んでます)の口真似をする人々と見られて居た人ですら只暗誦して居たに過ぎなかつた、信じて居たワケではないと云つて居ります。山川均君は何かの雑誌でソンナ事は社会主義のイロハだと書きました。スルト僕も他の日本の学者と共にイロハの試験に及第した事になります。
      四
 コミンタンのお蔭でイロハ試験にパスし勇気百倍で若返つたはよいが、コミンタンの決議並に此の決議と一致暗合する老兄の手紙にも多少疑問の起きる点が出て来たには弱りました。が年寄に遠慮は毒(太閤記十段目参照)ですから衛生上言ふだけ言はせて見て下さい。ソレに神聖犯すべからざるものの如き感あつた福本主義ですら、間違つて居たと批判さるる世の中だもの、萬が一コミンタン決議に誤りの点なしと誰に云へませう。特に老兄のドノ手紙にかありました通り老兄ですら遠く離れた日本から不充分の材料を得るに過ぎないのですから、コミンタンが日本問題に付て老兄以上に権威のある筈がないではないですかと云へるように思はれるがどうでせうか、間違つて居りませうか、外国人が外国及外国人の特殊具体的事情を精確適切に知り其れに応じた適切の策を建てると云ふ事は尤も困難の事であるに相違ありません。忌憚なく云へば老兄などもモウ真実の日本の事情を知る事は頗る困難でせう。尤も信ずべき方面からは尤も誇張又は曲歪された報導しか得られません。老兄に面会を求めて遂に面会を得ず空しく日本に帰へつた人が随分あります。此等の人々は異口同音に老兄周囲の日本人に面会を阻まれたと言ひます。のみならず其の周囲の日本人は露国内に於ける其人の言行に対しても生命を脅迫してまでかなりの干渉を加へるとの事です。話し半分にしてからも略想像が出来ます。スルと老兄などの日本に関する知識は書物新聞雑誌の外は誇張曲歪された報導の外何物でもありません。況んや(と思ひますが又ソコに何か異つた論拠があるものでせうか)コミンタンの決議などもヨモ之れ以上ではありますまい。之れがコミンタンの決議の或部分に対し大胆に疑問を起す所以の根拠であります。
 で私はコミンタンの決議など問題にする必要なき日本労農党などが、コミンタンの決議を鵜呑にして福本主義を攻撃してるのが寧ろオカシイのです。お前達はソンナ事を云ふが本家ですらコウ云ふではないかと云ふなら尤もだが、コミンタンでコウ決議したからお前達はモウ敗けだと云ふのは日本労農党としては意味をなさない。ソコへ行くと何時も乍ら労働農民党の方が感心だ。労働農民党と日本共産党と異る事は勿論の事だが、共産党の勢下にある労農党、評議会、統一同盟と堂々決議されたり又は共産党が自己を滅却して我等の労農党労農党と労農党へ化け込み融け込むのが悪いとお叱りを受けたりする位の間柄であるのに、日労新聞が時々全頁をコミンタン決議に浪費するに拘はらず労農新聞は之れに関してウンだともツブレたとも云はない。大会で、共産党が福本主義と名乗つて労農党へ化け込み、盛んに切り取り合同論をヤルが其れは悪い事だ間違つた事だとコミンタンで決議され、其の翻訳が二ケ月も前に雑誌に出て居る、そして労農党の切り取り合同論と其の福本論とは全然同じである、本部は之れに対して如何考へるかと質問すれば、日本に共産党があるか否か、福本主義が何であるか、コミンタンが何であるか、決議があつたか翻訳があつたか少しも知らないと答へる。それでは党首が昨日までは切り取り合同論を唱へ今日之れに正反対する無条件合同論を唱へるは如何と突込めば、ソレはコミンタンの決議や改正福本主義に追髄したのではない、昨日までは切り取り強盗論が正しかつたが、今日からは無錠軒強盗論が正しいのだ、コミンタンと労農党と何の関りあらんやと党首自ら出て突張る。コミンタンと関係なき固よりだ、ダカラ何もコミンタンが日本の共産党へ命令した、如何なる要求やスローガンも労働者農民の政府の樹立なるスローガンに結び付けろとの日本に於ては実現不可能の指令に義理を立てる必要はないではないか、との拡大執行委員会に於ける質問に対しては成程コミンタン指令の労働者農民の政府樹立の真意は日本に於ては非合法的急激的の革命的意義に相違ないが、コミンタンの決議など屁でも景清糞でも喰への我が労農党の意義としては、合法的漸次的改良的意義と解すればよい、と答へ飽くまでコミンタンも決議も権威も追従も否認する。由之観是(夕飯を食べて又ココから書き出したので何だか続き工合が悪い)コミンタン決議に金甌無欠の神聖不可侵の権威を認めぬ者は僕一人のみではない。と云つて沢山ある訳でもないから何等かの方法で左の疑問に付き老兄から教へを乞ひたい。(ココでもつと書く事があつた筈だが飯を食べてる中に忘れて仕舞つた。頭が疲れて来たのだらう。コレ位なら飯前に一段落付ける処だつた)
      五
 今茲に「社会思想」の翻訳と「マルクス主義」の翻訳とあるが、「マルクス主義」の方が後に出たのと伏字の少ないのとで読み易いから、之れに依つて不審を並べる(殊に今頃はコノ翻訳は既に老兄の手元にあると思ふから)一の日本帝国主義と戦争、二の国内情勢、三の日本革命の推進力は、僕等「後入主」組は只モウ感心するのみだ。第四の革命とその役割の最後の部分から不審が起りかける。
 一体今日迄の日本共産党の諸君は、日本に共産党ある事を公表しないのみならず之れを秘くし、若し日本に共産党ありなど云ふ者あれば、其れを中傷だ逆宣伝だとスパイ視して居た。然るに今度の決議や老兄の手紙などで見ると、共産党の存在は大々的に宣伝し只誰が共産党員であるかを秘くせと云ふ趣旨に帰着するようだ。ソコデ共産党諸君は直ちに命を奉じ総選挙の真最中日本共産党何々班などと如何にも日本人全体が共産党員でもあるかの如き名を以て、可愛い可愛いの労農党候補者推薦のビラを撒き、武運拙く全部落選させて仕舞つた。決議にもある通りソンな伝統も経験もなき日本に於て、日本の如き探偵制度警察政治の国に於て此の指令は当を得て居るだらうか、或は僕の解釈が当を得た解釈でなかつたのだらうか。
 序に小問題だが此処にある同志××と其れと同一人らしい六の共産党と労働組合の冒頭の就中同志××は誰だらうか。其処の同志×××が福本氏である事はハツキリわかるが××はワカらない。堺氏では辻褄が合はず山川氏では×××でなくてはならず薄氏もオカシイ、論戦で見ると。「希望閣派」の諸君は××は労農派特に山川氏らしく云ふが。清算主義的傾向、僕の所謂化け込み又は解け込み主義--も従来福本派の方が多分に存して居たではないでせうか、或はコノ辺の事は老兄よりも日本に居る僕の方がヨリよく知つてる筈かも知れませんが。
 第五共産党と社会民主々義及び第六中の要するに社会民衆党及日本労農党の幹部をヤツツケて大衆を獲得せよと云ふ事と(此の事は老兄の手紙には一層明瞭に云つてる)切取強盗論とはドウ違ふか即ち第六の共産党と労働組合、共産党と大衆的労働者組織、統一戦線の問題中の大衆組織論、分離結合愚論闘争、主体完成排斥論、孤立遊離警戒論と、大衆潜入、評議会精力の扶殖、幹部排斥内部撹乱、絶対不譲歩的、戦線統一特に日労労農合同論、即ち、切取合同論とを如何に融合し調節せしむるか、ココの処はイクラ読んでも僕等には矢鱈に分らない。老兄でなくてもよい、誰かコミンタンの決議解釈に付て「独自の見地を保持し得る」人が即ち無理のコヂツケをする義理のない人が親切に解釈してくれればよいと思ふてます。労農党(はコノ決議に少しもコダワリませんが)でも此辺中々六ケ敷いと見へて合同具体論に付ては色々意見や問題があるやうです、指令がコンナに面倒のものなら合同はキツト面倒です。
 次に第六中の知識分子排斥労働者崇拝論ですが(老兄の手紙は此点が一層ハツキリしてますね)日本ではドウでせうかね。羮物に懲りて膾を吹くの類ではないでせうか。「マルクス主義」はこの指令と暗合してインテリゲンチヤを引込め労働者組合の人の名でのみ論文を発表しましたが、僕の知つてる十人の購読者(悉くが不思議に組合の人)は七人まで、渡邊政之輔君等が確かに誰かから書いて貰ふならよいが、自分で書くのジヤ買ふ気になれないと云つて購読を止めました。此人達は昔しの事のみ考へて今でも尚自分等の方が渡邊君等より偉い、物を識つてると思つてるのです。呆れて了ふが一面の真理はあります。労農党でも之れに関係なく早速総選挙に老兄の手紙通り労働者農民第一主義で候補者を立てました。が、労働者農民仲間同志の投票はカラ入らなんださうです。西尾末廣、松岡駒吉、野田律太、山本懸蔵君などは日本ではモウ天下の名士で誰も労働者とは思つて居ません。私は日本では労働者農民はマダ府県会議員候補者止まりと思つて居ます。尤もコミンタンの決議は何も国会議員の候補者には労働者を立てろ、新聞雑誌の記者には労働者をしろと云ふワケでもないかも知れませんが。
 最後にモ一つ伺いたいのは、日本共産党は次の如き行動綱領を提出し、次の如きスローガンを発しなければならぬ。そして六×××の廃止、とあることです。之れが日本の「関係的、全体的、具体的、特殊的」事情とかを攻究しての上の指令でせうか。之れは日本で公然発行する翻訳文ですから「×××の廃止」とありますが原文は勿論生地でせう。可愛相に共産党の諸君は指令通り総選挙の際に労農党候補者の推薦と共に之れを生地でやりました。労農党候補に投票しようとして来た人までが吃驚して投票せずに逃げ出しました。宮内省貴族院枢密院の人々から反動内閣へ取締が寛大に過ぐるとの抗議がありました。評議会の勢力を組合に張るどころか、大衆が続々評議会を脱退します。日本では之れが当り前の特殊事情になつてます。法律も手続も無視した大弾圧が来ました。ソレでもヤツた方がよい其れ以上の効果があるからといふなら其理由根拠が僕にはわからない。大杉栄君は死んだ村木君や和田君等とよく、紙幣に無政府主義共産主義の判子を捺して流布せしめたり市内の電柱へ矢鱈に××××××に上げよなどのビラを貼つたさうですが、後には大杉君自身すら小供らしい仕事だつたと語りました。今の言葉の小児病でせう。歴史は繰返すからコミンタンが大杉君に追随するワケでせうか。ソレともココに云ふに云はれぬ妙法哲理があるのでせうか。内証でもよいからゼヒ教へて頂きたいのです。
      六
 時計がないからよくワカらないがモウ彼れ此れ十二時でせう。皆んな寝静つて仕舞いました。今日は四月三日で紀元節です。此の大祭日を利用して解放四五月合併号の編集を思ひ立ち、掲載を延し延しした老兄の手紙のみで埋める事にしたのですが、凡そ十頁も足りなかつたのです。ソコで此の手紙を書いたのです。実はコレハ雑誌の原稿です。老兄の手紙も全部安着とは行きませんが、僕の手紙も安着しないやうですね。併し雑誌は皆届きますから此手紙も雑誌になつてから雑誌で送ります。頭がズキンズキン目元がピクリピクリします。十頁にはならないがモウ止めます。頭で思ひ出しましたが堺利彦君が軽い中気だか、脳溢血だか動脈硬化だかで倒れ今は殆んど全快した事を知つてますか。此頃の日本の特殊事情は老人の弱い事が流行する事です。昔は若い者が弱いとバカリ思つていました。コレは自分の知つてる人が昔は若い者で今は年寄のセイでせうか。死ぬ者は多く其の中気とか脳溢血とか云ふヤツです。昔しの人で今度倒れるのは僕、死ぬのは堺君ソレカラ僕と云ふ順序になつて居ます。近火だ近火だ。但し僕の家の系統は長生ですから、老兄の死なない中は大丈夫死ぬような事はないと安心しています。昨日藤田浪人から社会運動の写真画報を出すから写真を送つてくれとあつたから、今日自分の写真と共に中味の赤い爆烈弾を持つてる老兄の写真を送つてやりました。藤田で神田三崎町の藤田老を思ひ出しました。息子が二月十五日の夜明に大検束された事で相談に来て会ひました。随分老いました。今日の新聞では又議会は解散になりさうです。政界の事は書きますまい話が腐つて無駄ですから。外では雨がドシヤ降りです、手首が痛くなりました。明日一日痛むでせう。事務所から持つて来た原稿紙も之れで尽きました。厭でも応でも之れで終りです。
(山崎今朝彌)
      追伸
 此手紙にはマダ謎のような所とお筆先のような所が沢山ありませう。コレは実は日本では去る三月十五日の払暁、日本共産党の大検挙があつて一時千余名の人が検束されたが差止命令で書くことが出来なかつたからです。尤も私が随分思ひ切つた事を平気で書けたのも此の故ですの実は僕は貴兄の事を書くのでも、今迄は日本へ帰へつても直ぐヒツククラレないようにと注意して書いたのですが、アノ前のアドバタイザー声明事件以来気楽に自由に書けるようになりました。サテ其の差止命令は丁度此の校正の出た昨四月十日一部解禁になつて、此手紙が最早バカバカしくなりました。が今更折角の組版をどうする勇気もありません。
 通説によれば政府は労農党と日労党との合同を待つて日本共産党の大検挙を開始し無産党を一気にツブシて了ふ予定だつた所、例の○○制廃止のビラで待たれなくなつたのださうです。共産党、日労党を救つたとでも云ひませうか。解禁一部公表と同時に労農党評議会青年同盟が結社を解散されました。がすぐ新党が組織されませう。今の形勢ではお上上共産系抜きの弁護士本位らしいが、サテそれでお下の戦闘的労働者、学生的インテリゲンチヤが納まるかどうか、詳細はこの事件の特種を満載する新聞と次号に譲りますが、弾圧がヒドク大ゲサであつたため、労農党は所謂反対エセ無産政党から非常に同情と支持を受けて居ります。コレが拾いものの役得でせう。田口君病み近藤君立てず、「片山一派のメリケンコム」も久しく振はず。(四月十一日夜)
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正し、旧漢字は適宜新漢字に修正した。>
<底本は、『無産者法律(社会科学選集(8)片山潜集)』(無産法律社)第 1巻4号21頁。昭和6年(1931年)8月1日発行。>
最終更新:2009年10月26日 00:45
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