自分の性相観


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自分の性相観
 虚言とも思へる話だが真実自分はまだ自分の目の先や鼻の周りに有る自分の顔や頭を見た事がない。が、写真や鏡で薄々知つた自分の顔貌はドウも龍城子の云ふのと違ふてる様に思ふ。龍城子は額が額の上側がとナンでも自分の額又は額の上側が他人と異状してるかの様に云ふが、自分のは岸博士や磯部博士等の如く凸助頭でも福助頭でもない、普通人の普通顔と少しも異らない。
 自分の知人の家に絵が好きな小供がある。自分が行くと直ぐ自分の顔を画く、其時第一に着手するは眉間の疵である。自分の顔に特徴があれば眉間の疵は其であらねばならぬ。
 自分は幼少の頃より行く先でモンキーとか猿とか秀吉とか云ふ仇名を付けられる癖があつた。面貌を云ふのか態度を云ふのか知らぬが猿らしい処があるに相違ない、又自分の貌を見ると可笑しくなると云ふ人が中々多い。
 在米中の一友に猶太人の娘絵師があつた。此娘が時々自分をモデルにして日本人を画いた、出来上つたのを見ると何時でも幅広い四角の輪廓中に外国人の書いた日本人の眉毛と目を入れた様な人間の顔と非常に高いノド笛とが特に目を惹く。ソレでも外国人は皆酷く自分に似て居ると賞讃した。其後注意して他人と一処に撮つた写真を見ると、成程自分の痩せた顔は、頤が非常に張つてる為に広い大きな形に見へる、又ノド笛が頗る高い。
 眉間の疵、高いノド笛、猿の面、頤の張出しは性相に関して何の交渉もないとしても。自分の異つた性質を変らぬ額に持つて行く事は畢竟不解の説ではないだらうか。
<山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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