『平民法律』第11年10号

平民法律
          山崎今朝彌独集
前編
      僕の・・・・・・でありたい事
 (一)(法律家)としては、常に法律界の異端者、弁護士界の反逆者でありたい。
 (二)(社会運動者)としては、何事にも黙々と賛成する相談役でありたい、どつちにも味方となれる喧嘩の仲裁役でありたい、如何なる屁理窟にでも感心出来る苦情の聴役でありたい。
 若し夫れ(三)(家庭の人)としては、何にも知らない唯々諾々の好々爺でありたい、圧制極まる純粋無垢の専制君主でありたい。

 これは僕が、昨年暮某誌の創刊号によせた、貴下の・・・・・・でありたい事、と題する問合せの返答である。其後其雑誌は見た事がないが、僕は実際、反逆を好み喧嘩をすく。平和を愛し抵抗を厭ふ。自由を求め専制を欲す。僕の『偉大なる低能児の化石』も、遠く源をこれに発し、流れ流れて漸くここに問題に入つたのだ。

      森下代議士の除名と見舞状
 けふの新聞には、日本弁護士協会はトウトウ貴下を除名したとある。
 協会員たる事が左程名誉でありません以上は、除名も左程不名誉でありません。世の識者は多く貴下に賛成してゐます。此機会を利用して益々民衆の為め努力し其盛名を専らにせられんことを熱望します。別途「平民法律」赤印の点も、協会では問題中だとの事ですから、僕も追付け御伴します。尤も僕のは、今迄、協会の人権蹂躙騒ぎは、金持の為めにのみするのだから総て気に喰はぬ、貧乏人などからみると、富豪金持がタマにアンナ目に遇はされる事が痛快でたまらぬ、と云ふのですから、貴下のが、金持の為めにお上に逆らふてはよろしくない、と云ふ官僚的であるなら、其れは根本に於て二人は違つてぬます。

 代議士弁護士森下亀太郎氏は、帝国議会で、京都瀆職事件の際人権蹂躙で騒いだ弁護士の声の中にも報酬が多少雑つてるとシヤベツて、弁護士を侮辱するとの理由で協会を除名された。僕のは、『若し本件が三井三菱にあらず、又は富豪と云ふ程にあらずとするも、兎に角有産階級の人に起りたるものとせば如何、弁護士会の如きは直ちに蟻の甘きに集ふ如く、得たり賢しと、民事大家迄が、平素売名家と冷笑する熱心の常連を推し退けてまでも、人権蹂躙を叫はん、無産者なるが故に弁護料なきが故に本件を不問に附すとせば、司法権も糞もあつたものにあらず。』と云ふ一節(「弁護士大安売」日比谷警察人権蹂躙訴状参照)が悪いと云ふのださうだが、平素の素行が良いからと云ふので、除名猶予になつてるさうだ。

      青木博士の事件と僕の手紙
 世界には偉人があります、正義の為め真理のため、人のなし能はざる事を敢行します。日本では事国体に関するとなると、関すると否とを論ぜず、其善悪是非に拘はらず、之を沈黙に付するを例とします。先生は日本の偉人であります。先生は人の敢行し能はざる処を敢行しました。併し先生の偉人はまだ確定しません、試験は一にかかつて今後の態度にあります。中途ヘコタれ、確信なき哀訴歎願行為に出づるに於ては、商法学者必ずしも刑法を解せず、自分の地位を妄信して無茶の事をしたに過ぎず、との嘲笑を買ふにすぎません。某氏然り、某々氏又然り。切に先生の御自愛を祈ります。
   ×   ×   ×   ×   ×
 初め脱兎の如き勢を示した先生の談話を新聞で読みまして誠に嬉しく喜びました。先生の偉人が確定すると思ひました。然るに承りますと、先生は先生を心配する多くの友人の弁護を断り、極少数知名の弁護士の弁護に甘んずるさうですが、之れは非常なる先生の心得違ひと存じます。是非先生の御熟考を願ひます。
 私も此頃問題の論文を見ました、あれは確かに有罪となります。今の判事がどうしてあれを無罪にし得ませう。既に有罪として弁護人を付するからには、何か目的がなくてはなりません。悔悟謹慎、哀訴歎願。只管同情を求め憐愍を乞ふなら、「静かに温和しく、騒ぐなあやまれ、御手数かけずに御慈悲が第一」と常にオツシヤられる、老人心理官僚心理、有閑支配階級心理の持主に従ふに限ります。併し其れでは先生が立たなくなります、偉人が凡人となります、商法学者が刑法を知らなかつたことになります。それよりは先生の意見学識で凡人を教へ導くがよろしい。判検事を教育するがよろしい。判検事を教育した処が僅か三四人です、弁護人の四百人も付けて之れに傍聴させるがよろしい。之れが一種の裁判所教育方法にもなります。否先生が真実先生の新しい鋭どい処を弁護して貰ひたいと云ふなら、その気分を味ひそれに共鳴し得る新進気鋭の弁護人でなくては迚も駄目であります。自分から悪かつた失策つたと卑下すると、人もさう思ひます。すると気の毒になります、気の毒なら遠慮して誰も、より付きません、門前雀羅を張り事件が衰退します。有罪無罪は裁判所できめます、先生に関係はありません、世間には関係しません。断じて行へば鬼神も之れを避く、先生が威張つて通れば不景気は引込みます、世間は評判します、門前は市をなします。偉人凡人天下岐れ目の関が原であります。どうか先生の終りが処女の如からざらん事を祈ります。

 何でも匿名で併し後日の為め自筆で-三四通出した様に覚へてる。青木博士慰労会と云つたような会合が、僕の発企で開かれた、其時は中々の大元気であつたときいた。発企人の僕には遠慮してくれとの事であつたから出席しなかつた。青木君は事件のために、事件がへつてシヨゲ出したと聞いたから、コンナ手紙も書いた。被告人心理が勝つて僕の考などは一顧もなく、コソコソと大審院で四ケ月になり、本月初め(今は大正十一年八月十六日で、茅ケ崎は盆だ)仮出獄で出たと新聞にあつたが、裁判の模様は知らない。博士の感想も聞かない。

      協会を代表して江渡君に答ふ
 日本弁護士協会に対する江渡弁護士の非難に対して「協会の一人」が二十日夕刊の本欄でお答をしたが、アレは吾々を代表した意見でないから不悪御承知を乞ふ。実はアレがアノ人の、くせで、吾々も殆んど常に困りヌイてる。依て東京弁護士協会長たる私は、独りで自ら進み日本弁護士協会をも代表してお答へをする。
 協会が京都事件に起つた理由は、全く世間一般が確信する如く、二三人の弁護料の為めである、からではない。所謂紳士紳商高位高官富豪金持の被告たちが、案に相違して優遇を受けず人間並の取扱を受けたに憤慨し、驚愕し、熱涙を流して商売関係、友人関係、主従関係の深い諸君に其不法を愬へ、其弁護人諸君が同種相扶け同病相憐むの心理作用から、哀心之れに同情して大に起たざるを得なくなり、利害関係又は其境遇を同ふする諸君が、之に附加随行したに外ならぬ。茨城でも弁護士会の問題になるは何時でも三井三菱の縁類や長者議員の片割が被告になつた時許りではないか、畢竟弁護士会の人権擁護は弁護料又は運動費の取れる見込ある時に限る、未来永劫、若し貧乏人の為めに人権蹂躙の叫びが弁護士会から起つたら此首を懸け申す、と云ふ趣旨の様だつた。
 協会幹部の御歴々は日本弁護士協会録事で之に対して、弁護料と人権擁護とは全く別問題、仮令貧乏人たりとも苟も少しでも官憲から無理無法の取扱ひを受けた者があれば、ソレコソ吾々は当然猛然として為に起つべきである。従来吾々が貧乏人の為に起つた事がないのは蓋し幸か不幸か貧乏人に限つて一度もソンナ事がなかつたからである、然るに森下君が神聖なる会員しかも代議士であり乍ら帝国議会で矢鱈に内情をシヤベツて仕舞ふと云ふは不都合であると弁明してゐる。
 今神戸では警官が上官の命令で適法に後から人民を斬つて居る。昨日の朝日新聞によれば貧乏人ながら無智無教育者の下級団体ながら、東京の各労働団体は事実調査の為めにも続々其会員を神戸の現場に特派して居る。我大日本弁護士大協会の人権蹂躙調査委員会は之に対して如何なる処置を取るであらうか。
 森下君は愈得意になつて大気焔挙げるであらうか、夫れともトウトウ首を渡すであらうか、協会の御歴々は千載一遇の好機が来た事により腕を示すであらうか、夫れとも既に弁解の辞を考へ出したであらうか。(八月三日朝日新聞鉄箒)

      大正弁護士会を嗤ふ(岸博士等の調査で)
 今日の夕刊を見ると、大正弁護士会の諸君は岸博士や鳩山代議士の毒瓦斯事件を問題とするのに、コレから態々調査を初めると書いてある、ベラ棒にお目出度いにも程がある。
 岸博士がチヨツト了解を求める為めに司法記者諸君をよんだとて頻りに義憤を発した諸君が、今更ソンナお節介をしなくとも、其点の事なら、瓦斯会社や同門同シユウの諸君が、其後新に充分調査を遂げた筈だ。現に岸博士の為めには専務の磯部保次君が証明書迄書いて居る。
 今になつて瓦斯会社の人達が、お抱へ弁護士の証明をしたり、同門同シユウ人達が矢鱈に人の人格を信じたりした処がアテになるモンジヤない、ソレ故吾々は新に調査に取り掛るのだと云ふのなら、ソレは余りに人を信用しなさ過ぎる。ソンナに人を疑ふなら、申立の打合せが出来ない予審中に、磯部や辰澤や浅川等が条理整然と全く一致して申立た申立も信用出来なくなる。
 僕は一体何を云ふてるのか、わからなくなつて来たが、諸君も一体何の目的で騒いでるかわからない。僕は元来弁護士に品位なく官吏に体面なしと云ふ論者で、之がため前後五回の懲戒問題を起し、今度これが問題となれば六回目になるわけだが、アノ絶対に信用すべき磯部辰澤浅山等の予審調書に拠つて、一体、岸、鳩山君が今回取つた行動に何の不都合があるか。今の弁護士にあの場合あの行動を採り得ない人が一人でもあるだらうか、あつたら手を挙げて見るがよい。
 此意味で僕は先日、此問題を盛んに論じ出した読売新聞に『岸博士弁護論』を投書した。二三日すると博士門下の某氏が、偶然僕の処の徳田君へ了解を求めに来た。僕の投書は没になつた。読売新聞は其後博士門下の弁明や例の保証書の外は、一切此問題を論じなくなつた。運動は結局ヒイキの引倒しだ、大正弁護士会は別だ、仲間が割れたり厭になる事もあるまい。(二十三日夜)

 コレも原稿があるだけで切抜がない、矢張り没書だつたらう。読売でない事は明かだが何新聞だかも解らない、二十三日頃ではあるが何月だかもわからない。イヤ考へたら、だんだん判かつて来た。此新聞許りでなく天下の新聞残らず此頃から絶対に此問題を書かなくなつた。そして其後新聞記者諸君が仲間喧嘩をした。読売へ投じた「岸博士弁護論」は原稿も無くした。僕の弁護論なら、牧野所長答弁書(『弁護士大安売七〇頁』)の類だと速断するも無理はないが、必らずしも皮肉計りではなかつた。僕の主として論じた処は、喧嘩其儘精力其儘強情其儘と云つた様な破格特長偉大の顔の持主なる博士は、どうか他の者と其選を異にし、思ひ切つて弁護士の為め官僚と喧嘩をして貰ひ度い、気を吐いて貰ひたい。何と後顧の憂ひはないではないかと云ふにあつた。

      被告人心理(高木弁護士の小僧判事)
 小僧判事で懲戒裁判中の弁護士高木益太郎氏は、曩に同僚三百五十人の弁護届を取つて、法廷に於て大に官僚式の征伐をやると云ふ意気込だと伝へられたが、此程になつて又心機が一転し、曩に依頼した弁護人は皆断つて、江木花井の両博士のみで専ら弁護をする事になつたと云ふ。之に就て口の悪い某法曹は、高木氏の懲戒は多年法律新聞に拠て平沼鈴木の一派と抗争した酬ひで、名誉でこそあれ不名誉でも何でもないのに、今更謹慎して年来の敵手花井博士の軍門に降り、哀を私かに官僚に乞ふの態度にでるのは、蓋し之れが被告人心理と云ふものであらうと語つた。

 国民新聞には恁んな事があつた。僕が似た事を話した翌日か翌々日だつたから、口の悪い法曹とは蓋し僕の事だらう。

 『小僧判事』事件の内容は、不思議にも当事者たる高木弁護士が之れを秘し隠しにしている故、ホントの事実は決して解らない。表面に現はれ新聞に伝へられただけの事では、決して秘さねばならぬような事柄ではない。秘くすからには何か秘くす訳があるかと疑はれるだけでも損である。大きな手柄でもしたように余り之を吹聴するのは子供らしい、紳士の採るべき態度でないと云ふなら、馬鹿と狂とに関係をせず只だまつて見て居る方がよい。喧嘩をどこ迄もしようと云ふなら、正々堂々議会の如く、鳴物入りでやるがよい。俺れはその積りだが友人が心配して呉れるから、此度は降参して御祭り騒ぎはよしたといふなら、何もコソコソと二三人でやつては了はずともよい、尾崎弁護士佐久間代議士以下、天下の直参レツキと二十人や三十人は付いてるではないか。今更節を屈して花井博士を通してでもあるまいジヤないか。僕が見込んで東京市長にまで推薦した人物だ、立派にやつて貰わないと僕が困る。コンナ事を国民の薬師寺君に話した。


附編
      其後の近況と法律萬能主義
 病気は全快した。僕は六月初めから肺炎をやつた。しかし、抑々の初まりは去年頃から続きの風邪の続きらしい。達者の間は工合も随分悪く、熱も可なり高かつたが、愈々たまらなくなつて寝てからは却て頗る楽になつた。
 当時僕の懲戒は忌避申請の却下中で、色々の都合上五六日病気にならなくてはならなかつた。ソコでその旨を早速裁判所へ届けると、すると今度はホントの病気になり、自分ながら心外の至りで、到底事実とは思へなかつた。ソレにも拘はらず病気は用捨なく全快せず、全治には到底三四ケ月を要すと医者は鑑定した。総てを計算に加へ、二十九日大審院の懲戒控訴を取下げ、七月十一日に相州茅ケ崎へ転地した。茅ケ崎へきてからも二三週間は薬を呑んでみたが、何時とはなしに忘れた。七月一杯は運動が過ぎたり、勉強が過ぎたりすると、胸の辺が病人らしかつたが、八月の何時頃からか、病気も遂に忘れて仕舞ふた。其後アラシのあと、冷へたり下したり神経痛が起つたりし、今後も又ドウなるか判らぬが、これは別問題で、病気は全く快くなつた。

 僕の懲戒問題、これは世間の新聞雑誌がバカに詳しく報導してくれ、又近々に、「懲戒になるまで」と「低能になるまで」との二著を一つにして、「偉大なる低能児」といふ小説を出版する筈だから、茲には省く。この小説は、僕なり人間なり、判事なり検事なりの気持なり心理なりを、詳しく書いてあるといふ事よりは、型が従来にない破天荒のもので、キツト世間がアツと驚く類の小説だといふを期待に、是非読者に読んで戴きたい。申込があれば誰にでもすぐ送る。読んで、期待に背くと背かぬとは敢て僕の関する処にあらず。

 病気中は寝ていて優に二人分の仕事をした。日に四五十人位の客に接すると、熱は二三度位上つたが、翌朝はケロリと元の通りになつた。コレではたまらないからと、転地させられてからも、金曜日母には帰宅して。一週間の事務を綺麗に片附けた。書きもの。調べものは平常より余程はかどつた。
 妻子合計二人が九月四日帰宅してからは、僕はたつた一人で、漸く小説に手を着けた、九月杯に、「偉大なる低能児」「侵すべからざる偽善」「戦慄したるテロリスト」外二編を書上げて、十月からは久し振りで二週間計り日本国中を世界漫遊する。

 茅ケ崎は涼しかつた。僕の居た家は風が強く通し過ぎるので、日中でも戸を開け放す事が出来ないほどだつた。近年にない暑気だといふのに、僕は又近来にない寒い夏だつた。イクラ友人を誘つても、水瓜サツマ芋位では、汽車賃を損しては誰も来なかつた。水瓜はツイ最後迄、直接百姓から、取りたてを買ふ事を知らなかつたため余り甘いのに当らなかつたが、サツマ芋と来ては実に天下一品甘かつた。ソレに新しいせいだつたのか、生れて初めて魚も甘いと思ふた。
 海へは毎日行かなかつたが、それでも隔日位には小供に連れられた。徳利のように水へも二三度、は入つたが、二三分で疲れてグツタリした。家を外に、仕事を人にしては心配で、到底休養などではあるまいと、人も許し自分も信じたが、二三週間中には馴れて平気になつた。最初は場所のせいか身体のせいか、寝ても寝ても、眠くてねむくてたまらず、朝から晩まで眠り通していた。ソレでも新聞といへばパツと目が覚めた。何と云つても茅ケ崎中は、事務所から毎日送つてくれる、読み殻しの古い新聞が唯一の楽しみであつた。僕はどうせ仙人にはなりきれない。
 喧嘩相手と遊び仲間が二人共帰宅してからは、北原龍雄君の家へ通ふて食事をした。恰度其頃から北原君が家に居着いて居たので、一人が余り寂しくもなかつた。ソレに南湖院から支那人朝鮮人が時々やつて来た。

 事務所は藤原君細迫君の両弁護士、ソレに事務員の百瀬勝郎君とで、結構やつてくれて、心配した程の事もなかつた。事件は例年の暑中より不思議に多かつた。尤もこれは懲戒事件で広告がよく利いた計りでなく、幾分僕の智慧も手伝つてゐたようだつた。
 家の留守番は岩佐作太郎君夫人が、事務所の番は細迫弁護士がしてくれた。細迫君は何処で何と虚言をついたか、尻へ腫物が出て、殆んど僕の妻と入れ替りに自宅で転居療養したが、間もなく全快した。岩佐夫人は岩佐君が九月二十七日に四ケ月の別荘から帰ると同時に家へ戻つた。
 事務所は僕の留守中何時の間にか、細迫君等が肝煎している、対露非干渉同志会の事務所にもなつていた。藤原君は既に詳しく紹介した。五月から新たに入所した、細迫兼光君は、東京帝大法科を優等で出た法学士で新人会系の雄弁家である。
 僕の懲戒は六月二十九日に取下と同時に検事の控訴期間十四日も満了して、停職四ケ月に確定した。が僕の道楽には変りがなかつた。しかし道楽は、差支のなくなる迄内証にするのが、道楽の道楽たる所以であるから、多くは雄弁に沈黙する。
 待兼ねた七月に入ると、僕はすぐ左の端書を方々へ配つた。

 私は大審院で『全国の司法官は偉大なる低能児の化石なり』と喝破した為め第一、二審共重罪に処せられた被告を無罪とし、其効能を以て休暇四ケ月の恩命を蒙りました。が、病気も殆んど全快の域に達した人物払底の今日、悠々閑々休養之れ事とするは却て恩旨にも背く事と思ひ、其間社会奉仕的道楽の意味を以て平民大学総長法律博士米国伯爵の資格で、誓て、熱心激烈に、取り敢へず
 一、不当の値上明渡の要求に苦しむ借家人の為めに悪家主悪差配の征伐
 二、不当の解雇首切り轢き逃げ殺傷人権蹂躙等で損害を受けた貧乏人の為めに悪富豪悪会社悪官吏の問責
 三、天下の悪法違警罪即決例及び行政執行法即時廃止の期成
の実行に従事し及相談に応ずる事に極めました。
 就ては平素私を  せらるる貴下は何卒、筆に口に、別に費用のかからぬ方法を以て、之れを一人も多く世間の人に吹聴宣伝し、遂に私を忙殺するか若くは降参閉口せしむるよう御尽力あらんことを、暑中伺に代へて御願致します。
 大正十一年七月
          東京市芝区桜田町十九(電話銀座二〇七七)
          弁護士 山崎今朝彌
 追て『弁護士大安売』は又々新版発行、評論小説『懲戒になる迄』は十月頃発売、定価各々二円に有之候。
 尚不当の要求に応ずる事、正当の主張を控へる事は、他人に迷惑をかけるから、悪事であります。
 此端書は又新聞雑誌で大に受けて、全部又は一部を、其儘又は色々の形ちで「吹聴宣伝」してくれた。そのため僕は一時「遂に忙殺されるか若くは降参閉口しさう」であつたが、事務所は其コボレで時ならぬ潤ひがあつた。
 入獄で赤化した自分の経験を以て、僕を頻りに赤化しようと企んだ者があつた。同時に殆んど全部の赤色新聞雑誌に左の広告が載つた。

 今般所長の懲戒休暇を利用し一般法律事務特に社会、労働、思想問題に関係ある事件を専門に取扱ふ。
          東京市芝区新桜田町十九番地(電話銀座二〇七七番)
          平民法律所
          弁護士法律博士 山崎今朝彌
          弁護士ドクトル 徳田球一
          弁護士辯理士 藤田繁夫
          弁護士法学士 細迫兼光

 この悪戯者は、これを以て尚飽き足れりとせず、百尺竿頭一歩を進んで、此広告を切り抜いたり、いろんな事を書いたりして裁判所へ送り、以て検事局を挑発したらしい。しかし、コンナ事で僕がマサカ入獄したり再び懲戒になつたりする訳もなく、ただ原稿まで役得できるような面白い事件が矢鱈にふへ、事務所が独り丸儲けする計りであつた。

 転んでも只起きないのが僕の主義である。病気中は、甘い物を沢山食べて太つてやらうと心配した。休暇中は、色を黒くして目方を増し本を一冊拵へようと考へた。これは孰れも成功したのみならず、元気が出、勉強がで来、身体が達者になり、頭脳がハツキリし、仕事も増へた。特に目方の如きは約二貫目もふへた気持がする。しかし、惜しい事に子供はどうしても駄目だつた、尤もこれはトウの昔に諦めては居つた。
 兎に角来年からはキツト二月計り宛避暑休暇をし、寝たり起きたり、食つたり働いたり、そして其間に一年中に書いたものを纏め、尚残りがあれば其処等辺をウロツイてみるといふことに決心した。

 僕は去る六月号で、徳田君と入れ替りに一年間、外国へ遊びに行く積りの広告をしたが、其後政府がどうしても旅行免状をくれぬから、あの広告は止むを得ず取消しにする。すると、高利貸か、金庫の番人か、土方の親分か、国粋会の役員か、の外何も出来さうにもない、しかし、これとても、到底すぐには出来さうもない僕としては、二重生活上止むを得ず矢張り熱心に真面目に、弁護士を通す外はない、蓋し之れが一番楽に喰へる道で又一番適した法らしい。そして僕は矢張り民刑上告事件と無料道楽事件とを専門に担任し、一般訴訟事件の組立、調査、監督、作戦等を兼任する。

 僕が病気にならなかつたとする、マサカ停職を口実に避暑でもあるまいから、あの弱つてる処へ、あのゴタゴタした処へ、今年の暑さでは、今頃は大病人にでもなつていたかも知れない。僕が停職にならなかつたとする、マサカ病気を口実に転地療養でもあるまいから、あの病気にこの暑さ、この忙しさでは、今頃は死んで了つていたかもしれない。今更敢て神の摂理を信ずる訳でもないが、思へば思へば神様のする仕事には無駄がない。
 それにしても、人間のする仕事にはなぜかう無駄計りあるだらう。規則を造る者があれば之をモグル者が出来る。掴へれば逃げる。押へれば弾ねる。殺せば祟たる。損をさせて懲らそうとすれば得をして懲りそうにもしない。僕は事の根本を究むる事を知らずして単に法律や刑罰、監獄や裁判所のみを以て、世道人心を嚮き又は之を経世済民、治国平天下の具に供せんとする、所謂法律萬能主義なるものの跋扈を悪まずには居れない、悲しまずに居れない、笑はずには居れない。彼等は馬鹿でなければキツト泥棒である。
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正し、旧漢字は適宜新漢字に修正した。>
<底本は、『平民法律』第11年10号。大正11年(1922年)10月。>
最終更新:2009年12月02日 19:11
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