争議圧迫と無産階級


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争議圧迫と無産階級
-瀆職警官は何故起訴されなんだか-
          山崎今朝彌
      一、瀆職警官不起訴
 で、阿然天下を驚倒せしめた検事局の南千住署高等主任今泉某の不起訴理由と云へば『日紡の争議は四週間にわたつたが当時警察では毎日約五十名の警官を派して取締に任じてゐた、最近会社では取締巡査に二十銭弁当を出してゐたが一々出すのが面倒だといふので、弁当付一週間五百円と見なし数回に二千円を支出したものである、かかる場合会社が弁当を出すといふのは丁度出火等の場合握飯を出すと何等異るところのない、いはば日本伝統の淳風美俗ともいふべきである、法律的に見ても会社が弁当を出したのは何等警官を買収するといふ様な、贈賄の意味のないものであるから右の事実を直ちに贈収賄を以て論ずることは日本の社会通念に反する』と云ふにある。(八月十九日都下十八新聞)併し
      二、事件の経過
 は、警視庁特捜課の加藤警部補が八月十一日早朝元南千住署勤務巡査部長高等係主任今泉銀太(四〇)を留置場より引出し取調べをなすと共に七月来本庁に留置中の日本紡績株式会社会計係[甲野太郎](三〇)と対質訊問を行ひ、一方午後一時南千住署主席警部奥平進(三五)を突如休職処分に付すると共に任意出頭の形式を以て本庁に召喚し、有松特捜課長が長時間にわたり取調べをなし、同夜は検束処分に付せられた。事件は日本紡績株式会社及び花木ゴム会社職工の労働争議に際し今泉は職務を利用して慰労金または弁当料と称し署員に分配する名目で日紡から二千五百円、花木ゴムから五百円を収賄し、奥平警部も右事実を黙認して会社側に加担し争議団に圧迫を加へ、会社舎宅の表門に杭を打つて女工を監禁した等の事実もある。その後[甲野]は近く九州に転任すると称し今泉を神楽坂の待合に招待して饗応し、[甲野]は南千住署員に贈賄すると称し社金二千六百円を横領し酒食に費消した事件を発覚した。
 尚今泉は収賄額二千五百円のうち争議係数十名に拾円から五円を頭割にあてがひ総計約七百余円を部下数名に分配方を依頼し更に弁当代(仕出屋払)を差し引いて残り千五百円を自家にしまつてゐたのである、花木ゴムでも争議終了後[乙川]支配人が今泉部長に懲戒慰藉料として四百五十円を贈つたが、今泉は考へる処あつてこれは間もなく返送し、都築署長の知る所となつたので、七月末郷里佐賀に帰省し本月六日免職処分となり十日夜東京に護送された。当時有松特捜課長は『今泉が収賄したのは争議解決後で争議中でないから別に会社側に加担した訳でない、金は部下に分配しようとして署長の耳に入つたので会社に返した。他の人間なら書類だけ検事局に送るのだが警察官であるから受納の意志あつただけでも徹底的に取調べるのである』と各新聞記者に語つた。続いて東京地方裁判所検事吉弘基彦氏は取調の上十七日に至り起訴猶予と決定直に身柄は釈放となつたのである。(八月九日都下十八新聞)から之れに対し
      三、無産党及労働組合の憤慨
 は其極に達し、直ちに一致して左の抗議、決議、声明、告発となつた。
      抗議
 日本紡績及花木ゴムの労働争議に関し、会社側より収賄した事実の明白なる元南千住署巡査部長今泉某等の事件を東京地方裁判所の検事局は微罪として不起訴の処分をとられた。これは独立公正なる可き司法権の行使を労資によつて二三するものであつて我等の断乎として反対する所である。我等は司法権の真の独立を要求する為め茲に抗議するものである。
 昭和二年八月二十一日
          日本労農党
          労働農民党
司法大臣 宛
検事総長 宛

      抗議
 日本紡績及花木ゴムの争議に関し元南千住署高等主任の収賄事実をみた。然し之れは表面に表れたる一事実に過ぎず此の程の関係により特に労働者の圧迫をみるに非らざるかと疑はる可き幾多の事例を我々は持つ。
 此の際我々はかかる事態の根絶を期する為め、当局に労資の争ひに於て厳重なる中立と絶対不干渉とを要求抗議するものである。
 昭和二年八月二十一日
          日本労農党
          労働農民党
内務大臣 宛
警視総監 宛

      決議
 元南千住署巡査部長某の瀆職不起訴事件は全無産階級の問題として我等は断乎として当局に抗議しその非を糺弾せんとす、此の運動の実行方法としては
 一、告発に関しては自由法曹団にそれを一任す
 二、社会民衆党労働農民党日本農民党革新党を誘ひ一大抗議運動を起す
 三、自由法曹団の告発後一大運動を起す
          日本労農党

      声明書
 さきに大塚君の急死問題を起せる南千住署の元高等主任某等に係る贈収賄事件に付検事局が之を不起訴にして葬り去らんとするは甚しき不当である。此の種の事実は多くの争議に於て事実内密に行はれ勝ちのものにして為に労働者に対する不当なる圧迫と見る。我等は之の資本家と官憲のグルになつて労働者圧迫の事実を根絶せしむる為めにあくまで当局と抗争しなければならぬ。而して之れは大衆の一団となつての運動によつて初めて可能である。
 即ち我が党はさきに、日労党及社会民衆党に対し共に当局への共同抗議書を提出すべき事を申込んだが更らに一歩を進め、全国的に無産者団体を糾合して糺弾委員会を組織して猛運動を起すべく前記両党に対し共にその提唱者たらん事を提議した。もし両党にして之を拒まば吾が党は全日本無産大衆の意思を代表してあくまで目的の貫徹を期するものである。
      我等の要求左の如し
 一、事件を起訴すべき事
 二、関係せる重役警官等を洩らさず起訴する事
 三、吉弘検事の辞職
 四、労働争議に於ける官憲の一切の干渉の根絶、罷業権の確立
 八月十九日
          労働農民党

      日紡争議瀆職事件に関する声明書
 過般大日本紡績罷業に際して、会社が南千住署警察官今泉某に金品を贈与したる事件に対し、司法官憲が之れを起訴猶予として何等の法律的制裁を加へなかつた事実は法律上は勿論、労働運動の合理的発達、更に引いては一般社会風教の上より断じて軽視する能はざる所である。
 抑、労働争議は資本主義社会制度下に於て必然的に発生する重大なる社会現象であつて、之れが解決の如何は国家の運命に至大なる影響を有するものである。故に之れが取締りの任に当る警察官憲の瀆職の如きは最も厳正なる処断を要す可きは云ふまでもない。
 然るに司法官憲は、その贈収賄の犯罪事実を認めながら、之れを火事場の握飯と同一視し、従つて多額の金銭の収受をも尚弁当代なりと強弁し、微罪起訴猶予となし、僅に今泉某一個人の行政上の免官処分を以つて足れりとするが如き、之れ明に本件の重大なる社会的意義を理解し能はざるに起因するとは云へ司法官憲が常に労働争議を犯罪視し、之れを弾圧する事を以つて能事終れりと思惟しつつある、保守頑迷なる官僚思想の所有者たる事を暴露せるものである。
 更に司法官憲が我が労働階級一斉の憤激と、公正なる社会的輿論の難詰に直面し、自らその非違を覚りながら、尚依然として官僚一流の面目に拘泥し、徒に躊躇逡巡して居るが如き我等の憤懣に堪之ざる所である。
 爾来資本家階級は、その営利の為めには一切を犠牲として顧みざるを其の特質とする。
 抑本件の発生は、大日本紡績株式会社が、労働者を搾取しその私利を計らん為めに、薄給に苦しみつつある下級警官の弱点に乗じ、これを買収して罷業団を弾圧せしめんとする陋劣なる心事に原因する。然るに司法官憲は斯る営利会社の役員をも、尚且つ不問に付して居るのである。
 我等は斯の如き時代の正義心と懸け離れたる刑事政策が、必ずや将来社会に恐る可き風潮を醸成する事ある可きを信じ飽くまで司法官憲の責任を糺弾し、その猛省を促さんとするものである。
 我等は斯る不祥事の絶滅を期し、茲に贈賄者並に収賄者を告発して、其の再審を促すと共に飽くまで輿論の喚起に努め仍つて以つて之が最善の解決に努力せんとするものである。
 昭和二年八月二十日
          日本労働総同盟中央委員会

 <日本労働総同盟関東同盟会会長松岡駒吉、片山哲、松永義雄による、東京地方裁判所検事局宛の、大日本紡績会社社員用度課長[甲野太郎]、元南千住署高等係主任今泉銀太に対する告発状。略>

 <上村進、中村高一、武藤運十郎、山崎今朝彌、山崎常市、山中正直、松谷与二郎、牧野充安、水上孝正、三輪寿荘、神道寛次、東海林民蔵、瀬尾蔵治による、東京地方裁判所検事局検事正吉益俊次宛の、元南千住署高等主任巡査部長今泉銀太、休職警部補元南千住署勤務奥平進に対する告発状。略>

 <海老原武雄、林嘉兵衛、山口光五郎、鈴木定吉、宮瀬権一による、東京地方裁判所検事局宛の、奥平進、今泉銀太、外氏名不詳巡査六名に対する告発状。略>

 之に対する
      四、当局の意見
 として新聞に表はれたものは前記吉江検事の不起訴理由を別として
      木島警務部長
 は新聞記者団との問答に於て(八月八日法律新聞)
 問「弁当問題はあのままで済ましていいものでせうか」
 答「私共の立場から司法省の御意見に対しては是非の論をすべきでない、別に問題はないはずだ」
 問「司法処分として問題にならずとするも行政上の立場から放つておけないでせう」
 答「絶対に貰つては悪いといふ訳ではない」
 問「よい事ではなささうですが改めて訓示か何かお出しにならないですか」
 答「別に訓示を出す必要はない」
 問「また間違ひを起して免職や休職になる者が出るかもしれませんね」
 答「今泉や奥平は弁当料をもらつたばかりで行政処分にしたのではない、アレ等は他にも面白くない行為があつたからだ」
 問「それは将来とても弁当や料金をもらつても差支へないといふ事になるのですか」
 答「時と場合による、たとへば大暴風雨とか・・・・」
 問「いえ、先刻からの問題は主として労働争議などに警官が一方から弁当料を支給される場合のことですが・・・・」
 答「たとひ、敵といへども餓ゑたる時は糧をおくるのが人情だ、だから絶対に食事を受けるなとはいひ得ない」
 問「今回の場合は、いいことですか、悪いことですか」
 答「よいことではないが・・・・悪いとも断定出来ぬ、まあ中間だ、食事を受けたことによつて争議団を圧迫したことは微塵もないのを断言する」
 問「しかし、一飯の徳に報ゆるといふのも人情でせう、厚意に対する厚意の起るのは当然ぢやないですか」
 答「あの争議は僕が監督してゐたのだから、そんな手心のなかつたことを保証する」
 問「それにしても弁当料の先取りは、司法処分を免れてもあまり香ばしいことではないと思ひます、弁当料一千二百円は会社へ返さないですか」
 答「それは何とも考へてゐない、返さうといふ者があれば返さうし返せとは命令しない仮定の場合についてお話しすることは困るあまり長くなるからこれで失敬」と云々。
      宮田警視総監
 は意外にも東京朝日新聞記者に
 「争議のやうな両方の監督警戒を行ふべき警官がお茶とかまたは麦湯ならいざ知らず、僅かといへども弁当代などとして金品をもらふといふことは自分としてはさせたくない。それが争議が解決したお礼としても中間に立つべき警察官はその厚意のしるしに金品を受諾するやうなことがあつてはならない、近く署長にこの問題について厳重に訓示するつもりだ」と語り
      小山検事総長
 は、「今泉は既に官吏として、最も苦痛とする免官処分となり、此上刑事上の罪人とする必要もないと認めたので、将来を戒め起訴猶予としたものである、今後今泉が訓戒を守らなければその上は起訴も出来る、労働争議を火事場に例へて、官吏が弁当代を貰ふことを習慣美風として不起訴にしたと云ふのは誤伝で検事局では決してそんな見解は有つてゐない、元来不起訴処分の理由は検事局で発表すべきものでないのが、一般に伝へられたのは、何人かが大袈裟に伝へたものと思ふ」と釈明し
      某司法大官
 は、「南千住署の警官の収賄問題については検事の立場として起訴、不起訴は事が労働争議に関する場合と否とにかかはらず、客観的に贈収賄が成立するか否かによつて決するより外はない、例へば選挙違反事件に対する大審院の判例を見ると選挙中に候補者もしくはその運動員等が選挙民に対して昼食等を出したとしてもそれが「社交上の儀礼」としてなれば違反とは認めないといふことになつてゐます、警官が会社から弁当を出されたとしてもそれがやはり社交上の儀礼としての範囲を出でなかつたとしたらそれをすぐ瀆職として罰することはどうかと思ふ、非常に厳格にいふならば瀆職かも知れないが、さうすればお茶一杯といへども官吏はうかつに飲めないことになるし、大臣連が銀行集会所の餐食会に呼れても瀆職といふやうなことになる。先頃福島県下に起つた炭坑争議の際も警官が会社に寝とまりして会社から弁当を給されてゐるため争議団を圧迫するといふので苦情を持ち込まれたことがありますが、調べて見たところ附近には警官が宿泊すべき適当な家がないから会社の一室を借ただけで、弁当代も後から支払つたといふことであつた、今度の問題は知らないが、労働者側にしろ資本家側にしろ昼食時にそこに居合せた者に茶を出したとか、弁当を出したとかいつたとてそれをすぐ買収といふやうに見るのはあまりに人情に反した見方ではないであらうか。と云つて居る。(都下各新聞)が、
      五、世論大衆
 は囂々と之に反対し、新聞紙中論説又は短評を載せないものはない。
      労働農民党の大山郁夫氏
 は、検事局で争議の場合に出す弁当代を火事場の炊出しにたとへてゐることは驚くべきことで争議団を火事と同様に危険視してゐる訳だが、そんな理屈は一顧の価値もない、だが理屈を超越して労働者の争議を火事にたとへて資本家を保護するのは明かに労働者を敵視してゐるものだ、今回の場合を社交上の儀礼と見るのが社会的通念であるなどとは数年前ならば司法官の化石で笑つてゐられたが、現在ではさうは行かぬ、現在のやうに資本の全線的攻撃が激甚になつてきた場合、その側に立つものは最早や階級協調といふ様な偽善の衣を着けてゐられなくなり、公然労働者を敵視することをはばからなかつたものと見るのが至当といはれてもしかたがない、だからその結果から見れば彼等は労働階級に敢然と挑戦し、労働階級抗争の戦術の基準ここにありと教へてゐると同じことになる、それ以外の解釈はわれわれには出来ない。
      東京朝日新聞
 は、公平なるべき官憲が、かりそめにも争議者一方の使用人化することがありとすれば甚だ怪しからぬ事である、警察官吏が、意識的に争議を売物にして金銭に代へ、自から資本家側の傀儡となつて、労働者側を圧迫しようとするが如き事があつては容易ならざる事である。而して若しかかる事が事実とすれば、其方面の官憲の綱紀紊乱を暴露したものであり、更にかれこれとトン辞を弄して有耶無耶にこの問題を葬らうとするが如き心事が少しでも官憲にあれば事は些細に似て実は社会の大事、我国行政より観て誠に恐るべき現象であると云はねばならない。なほ又怪し気な金の使ひ残りを返却したから帳消しだ、などと公言するのは臟品も之を返せば盗罪は成立しないと云ふ筆法であつて、甚だ滑稽な話となるであらう。云ふ迄もなく警察の品位と権威は、常に些事と雖も、公正を厳守することに依つてのみ保たれる。
      東京日日新聞
 は、争議の際に警官に差上げる「弁当代」は我が法官によつて「伝来の美風」といふレツテルを貼られた。貰ふものなら夏でも小袖だ、何で悪い気持が致しませうぞ、而も社会の船底には紙幣ツけがちつともない今日だ、貰へ貰へ「弁当代」を、さうしてこの「弁当代」を争議の圧迫料と見れば、差上げる側に取つて、二千が三千でも安いもんだそれに争議場は火事と同じことだ「人と見たら泥棒と思へ」に「労働者と見たら火事と思へ」ツて対句が出来上つた、だがかうなつては労働者の方でもこれからは争議費の勘定書に「弁当代」の一項目を殖やさないと弁当代戦でやつつけられる虞れがあるぜ、何しても我が労働史に新しく書き加へられた「おビールや弁当代の公認」は一方に有難く他方に有難くないことだ。
      警察通読売新聞
 は、争議の取締を行つた巡査に会社側が弁当料を出した、会社の魂胆は巡査を買収する意思である、戸籍調べの巡査にお茶を飲むことさへ禁じてゐる警視庁、弁当料なぞ以ての外だ。お茶一杯さへ執行が曖昧になるのだ。況んや弁当に於てをやではないか。巡査が取締に行けば三時間以上三十銭、六時間以上四十五銭、九時間以上六十銭、十二時間以上七十五銭の非番手当が出る、その外に会社側が弁当料を出す理由に法の根拠があらうか、手当の少額が余儀なく弁当料を出させるものとすれば、正に手当額の改正が必要であらう。
      報知新聞
 は、検事局がこれを不起訴として問題を片附けんとするは決して問題の解決ではなくて、擬解決である。斯る問題は各方面の澄徹した批評に傾聴した後、これを参考として解決すべきものである。労働界の一部分ではこの事件を中心として警官の中立といふ問題が論議の焦点となつてゐる。即ち警官は資本側に対しても労働側に対しても中立を厳守しなければならぬといふ主張である我々は警官の中立を理論上に最も妥当なものであり、且つしかくあらねばならぬものであると考へるものであるが、果してこれは現実の諸条件に於て履行されるであらうか。この社会から独立して即ち、社会の境界外に住んでゐない限り、如何なる人も多かれ少かれ金品によつて自分の行動を左右されるものである。換言すれば各人の行動は金の出所に服従するものである与へられた個人の行動を批判するにはその人が如何なる方角から金品を得てゐるかを穿鑿しなければ不充分である。而も工場の争議に際して、かやうな金品を提供し得る側は労働側でなくて資本側である。されば警官の中立は経済上の理由から破れ易い可能に満ちてゐるのである。この可能を艾除するには峻厳な制度を要する。然るに検事局はこの事件を不起訴とした其の理由は警官の「弁当代」を火事場の炊出しと同一視したことにある。而かもこの「弁当代」を交際上の儀礼と認めて「火事騒ぎで世話になつたといつて巡査や消防手に金品を贈る者もあるが、こんな場合は交際上の儀礼と認める範囲に於ては上司はこれを許してゐる」と云ふ。これは如何にも当然であらうか。この場合巡査に弁当代を出さない者は消防手に炊出しをしない者と同じく真つ先に社会から憎悪されるであらうか。国家の権力は警官を通じて直接に民衆と接触する。その警官が「弁当代」によつて行動を支配されるに於て、民衆の受ける印象はどんなものであらう。と云つてゐる。が
      六、結論としての私見
 は極簡単で左の上申書に尽きてる。
      瀆職警官告発補充書
 八月廿六日付奥平進、今泉銀太に対する告発に関し左に補充仕り候、
 一、「火事場の握飯」「お客様の弁当」に付ては今や既に世論一定し、検事局も全く其非を認め事実上之を取消し、積極的瀆職の事実あれば直に之を起訴するとのお話故、告発状も検事局の顔を立て敢て此点を論ぜず、只新事実をのみ上申したのでせうが、私は是非此点に就て一言を費したいのであります。(告発状起草に事実上私は干与せず)
 二、火事と選挙のお客様には喧嘩相手がないが、労働争議には相手がある。故に争議を火事に例へるは甚だ当を失してる。よし争議が火事であつても其れは贈賄側だけの事で収賄側の例にはならぬ。例なら之れは、原被両告が火花を散らす真最中、当然の職務を有する判事が、其のために忙しかつた事苦労した事を理由に一方から招待を受け又は車代弁当代を貰ひ弁当代の出せなかつた一方が訴訟に負けた場合だ。世間では此の判事を、この訴訟の結果を何と云ふか相手方は之れを何と思ふか。検事局では皇国伝来の美風として之れを表彰するか。而かもだ、此判事実は車代弁当代を要したのではなく、同僚にやるのだ弁当を沢山食べたのだと云つて詐り取つたのだ。そして其れを持逃げして郷里で警視庁に捕へられ、手の切れるやうな二千余円の札束を預金銀行から押収されたのだ。判事に果して収賄の意思がなかつたと強弁出来ようか、訴訟の負けたは収賄の結果でないと言張れようか、詐欺か横領か収賄がなかつたと考へられようか之れが微罪不起訴で司法の公正が保てようか、然るに検事局では尚此上に其警官が其収賄に依つて不当に労働者側を圧迫した新事実を挙げて来いと云ふのは無理の骨頂ではなからうか。私は既にお取調に依て明瞭なる前記の事実だけで、翻然と司法の権威を既倒に恢復されん事を熱望するものであります。之れが此程度では不起訴だなんと云へばそれこそ忽ち天下の大問題であります。
 三、私をして忌憚なく言はしむれば、検事局が之れを不起訴にしたのは、之れこそ皇国伝来の美風たる同僚思、部下思の致す処だと思ひます、日本の検事や判事は愚論の攻撃や上からの圧迫には何時も実に気持よく立派に毅然として司法の公正を保持します。が事一旦同僚の事、部下の事となると誰しも一寸弱ります。併し物も事にこそよれ、苟も天下の安危人心の帰向を双肩に荷ふて法を執る者、大義は親を滅し、奉公は私情を捨てねばなりません。殊に警視庁でさへ呆れ、涙を振つてスタートを切つた程の事件であります。私は曽て震災当時の亀戸虐殺事件に関し時の司法大臣平沼騏一郎閣下に一言を致し其起訴処罰を論じ、然らずんば必らず一大恨事を惹起せんと断じ、不幸予言は適中し内閣は更迭するに至りました。(「地震憲兵火事巡査」第十版十七頁以下参照)其重大性に於て其の刺激性に於て彼此毫も優劣なき本件の此白日的事実は到底隠蔽する事が出来ません。此の爆弾的憤激は断乎抑圧することが出来ません。非理屈弁無茶徹底は遂に身を亡し国を危く致します。私は邦家の為め切に当局の再思三考せられん事を懇願いたすものであります。
 昭和二年九月九日
          弁護士 山崎今朝彌
東京地方裁判所検事局 御中
~~~~~~
 <牧野充安、水上孝正、東海林民蔵、山中正直、武藤運十郎による、日本弁護士協会理事に対する、千住署係官不起訴問題の提案と題する書面。略>

<[ ]内は仮名>
<以上は、山崎今朝弥氏、日本労農党、労働農民党、日本労働総同盟が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正して、旧漢字は適宜新漢字に直した。>
<底本は、『解放』(解放社)第6巻17号7頁(昭和2年(1927年)10月1日発行)>
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