目的の変更を論ず


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目的の変更を論ず
          山崎今朝彌
 去年の何時頃だか、信州諏訪で久しく弁護士を稼ぎシコタマ貯めて判事となり、広島へ赴任した原田好郎君の送別会で横山勝太郎君に会ふたら、同君は云ふた。平民法律では屢々君の奇抜論を拝聴するが此度の、高木博士推薦論は、僕が十五年も前に思ふた陳腐の説だ、当時の大審院判決録に出た判例は破毀も棄却も全部、少くとも九分九厘、高木さんだった。僕は其時から法律解釈の統一と云ふ点で高木さんは博士に成るべきものだと思ふた。と。
 其当時の話を聞くに、高木博士事務所では年に五百件位あつて百円以下はなかつたとの事であつた。又或地方では上告は高木博士が裁判所から一手に請負ふてるのだと思ふて居たとの事だ。今では上告専門家及び上告取扱事務所が可成沢山あるが、其れも、刑事専門家一派の上告調査を除けば、後は皆判事上りと私との外は皆高木博士の分派である位に思われる。成程横山君の云ふ通り博士推薦理由に上告の点を加へなんだは理由不備である。が今の判例では之れが破毀の理由とはならぬ。
 東京法律事務所を初めた私の一つの動機は上告事件を一番多く集めて見度いと云ふにあつた。算盤に乗る乗らぬは別問題で『一番多く』其れが単純の目標であつた。去年高木博士の処では四百件と私は睨んだ処、私よりヨク深くを知るべき人は今は三百位だと云ふた。東京法律事務所では四年に百七十八件五年に百九十八件だつた。昨年は他人でモウ判らぬが、十件と違はぬ所で百五十件と思ふ。僕の百件を加へれば今一息で将に塁を磨する危険に近く処となつた。之れを思ふと僕も遺憾に堪へない感慨が起り、何んだか淋しくなり、夫婦喧嘩には仲裁人の必要なる事をツクズク感じて来た。従つて僕はどうしても之れからは『成績の第一番』を目標とする事に改正する外ないと思ふ事にした。
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      大正六年上告成績表
 上告専門所デ大正六年中ニ言渡ヲ受ケタル総数ハ百四件、中二十三件ハ調査ノミヲ託セラレタルモノニシテ当所ノ名ニ於テセズ。此中六件破毀。徳島選挙違反ノ十四件及他二件ハ全部棄却トノ事ナルモ当所ノ名義ヲ貸シタルノミニ止マリ、其外ノ四件ハ期間経過後又ハ印紙不足等ナレバ、之レモ控除シ。残余ノ六十一件ノ結果ハ左表ノ如ク、破毀ノ割合ハ被上告代理ノ三件ヲ除シ、下調査ノ分ヲ加ヘ、民刑ヲ通ジ、二割八分強ニ当ル。
 表中破毀敗、棄却勝ハ被上告代理ノ結果ニシテ、多数当事者ハ一人ノミヲ掲ゲタリ。
 <以下、事件番号、当事者名、判決言渡内容が並ぶが省略>

<高木博士推薦論とは、法学博士学位請求論文(『弁護士大安売』収録、初出『平民法律』)のこと。>
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に修正した。>
<底本は、『平民法律』第7年1号5頁。大正7年(1918年)1月。>
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