此母に此子あり朧月夜


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此母に此子あり朧月夜
 話しは凡て仰山になるものである、甲府へ赴任した明治三十四年頃は女房も無いからお神さんも無かった。任命になってから愚図々々して居ると十二月になって監督書記が早く来いと催促に来て帰る時に甲府の或下宿を指定して呉れた、葉書で定めた日に其宿へ歩き込むと、宿のお神さんが否認して上げぬから、裁判所から清水監督書記に来て貰ふて漸く宿めて貰ふた。後で聞けば荷は一つも無し羽織は朧月夜であつたからだとの事であつた。
 僕等の受験時代には口述試験に風彩を中々騒いだ、友人の勧めもあるので筆記試験が済むと、母の処へ三ツ紋の羽織を注文したら染屋の過失で二ツの紋は肩の上へ拵へて呉れた。友人は見つともないと言ふ、僕は重く感じて肩が凝るので墨で其れを消したが、尚二ツの大紋が肩の上で朧月夜の如く光つて居た処から、友人が爾後僕及び其羽織を朧月夜と呼んで、山崎は能くアレを着て居ると頻りに賞めて呉れた。併し僕の親戚の者は、着てる今朝彌より承知で送つた親の方が偉ひと、今も尚母のみが独り褒められて居る。
<山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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