司法大臣に奉るの書


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公開状
司法大臣に奉るの書
          山崎今朝彌
司法大臣閣下 茲に謹で一書を貴下に呈します。常に特に此際は一層多忙でせうが、是非此書は御一読下さい。貴下が之を読で下さると否とは、直に人命に関し必ず天下の事に関することであります。
 私が貴下に呈する此書は、眇たる天下の一小問題、労働者虐殺に関する問題、即ち所謂亀戸惨殺事件に関して、司法権の活動を望むに過ぎないのであります。が、其延て波及し影響する処は断じて軽視すべきでなく、可成重大で、必ず後悔自責、遂に自決せざるを得ざるに至るかも知れず、私一個としても、貴下が之を読まない、聴かない、納得さしてくれない、となれば、茲に忽ち人間が一変し、性質と信念とが瀕変する底のものであります。
 熟読を乞ふ前に、私は、私が常に貴下を尊敬して居る事を一言します。之れは貴下が私を誤解することなく、よく之を聴いて貰ふ為に、強ち無用の業ではありません。貴下を尊敬するは結局自分を尊敬する事で、畢竟は自惚に帰するかも知れませんが、私は貴下を、僕のような人だと思ひます。血も涙もあり、理も情も解る人だと思ひます。貴下は僕より学問があり、文字を知り、地位と立場が違ふだけで、もし僕が貴下であつたら、矢張り僕も貴下のする事、考へることしか出来ず、貴下が僕になつたら、貴下も矢張り僕の通り行つたり考へたり、しただらうと思ふ。私はイクラ笑はれても、今の此濁つた世の中では、矢張り正義、法律、裁判所を信頼するより外、生て行く方法がないと思ふ。之が信頼出来ないなら、死ぬか殺すかの外、仕方がないと思ふ。貴下もキツトさう考へてるに相違ないでせう。
      ○
 私が急に之れを思立つたは、一昨十五日、文壇関係諸氏の平澤計七君追悼会で、其思出を新にした処へ、昨夜は筆にするに忍びない残虐を極めた、平澤君等の惨殺死体、首と胴との実物写真を見せられ、今日は又議会に於ける貴下の、期待に反した答弁を読まされ、喰はされたか、裏切られたかと、持つた玉を奪はれ、頼りにした人に死なれたような、限りなく切ない淋しい感を起したからです。でも、どういふ訳か私は今少しも、悲憤、慷慨、怨恨、復讐といふ熱が出ず、只ガツカリして、深い淋しさと物足りなさとを感ずるのみです。之が最後だ、一生の運勢の岐れ目だと、念のため諦るために、大勇猛心を出して、漸く之を書く事になつたのです。
      ○
 私は茲で事件の真相を語らんとはしません。私が不在の貴下を訪問して、秘書課長に「大臣がヤル気になりさへすれば、此事件は必ず成立します。要は大臣がヤル気になるかならぬかの問題です。」と云つた伝言。貴下にも見て戴くため、吾々自由法曹団の調書の一部として検事正に提出した、私の始末書中の「此調書を読んで泣かない者は人でない、日本人でない。之れで検挙の実を挙げ得ない者は無能である。低能である。碌盗人である。事実の真相を摘発するは寧ろ国恥である、国辱であるとして之を不問に付する者は、却て国賊である、悪党である。」との一節は今も尚之を維持します。全く、事件に関する警察側の発表は偉大法外の虚偽で、吾々の主張が真実であることは、あの調書で十二分に判明します。
 貴下は実際あの調書を読みましたか。調書中にある証人を取調べさせましたか。読みもせず調べもせず、只加害者側の報告其儘を信じたのではありませんか。イヤ確にさうです。検事正もさう言つた。吾々としては報告を信ずるより外ないと云つた。又被害者側の証人は一人も調べられてゐない。それで貴下はどうして報告を真実だと断言出来ます。ソレが官吏の御座なり答弁と同一でないと云はれますか。
 吾々は、何れ民事訴訟を提起することになつてゐます。其裁判で、首と胴とを切離されて、打捨られた写真を証拠に提出し、其処で、其れが殺し方は刺殺で、死体は丁寧に葬つた被害者達だと、確かめられたらどうしてくれます。其時陳謝つたではおそくはありませんか。今になつたら殺す現場を見た人も出て来ました。死骸を舁ぎ込む所を見た人も、鉄砲の音を聞いた人もあります。写真を撮つた人もあります。四日の朝、積重れた死体を見た人は最初よりあつた。殺された場所と日付とが違つてゐることは最初より確実であつた。此等の証書中には警官の名も指してあつた筈です。
 貴下は警察側の悪宣伝に気が付かないですか、貴下さへ平澤計七一派が不穏の行動ありたるため検束された、などと云ふはどうした訳ですか、新聞は書き振りで種の出場所が判ります。種は総て警察から出たものです。警察は死者や遺族を慰めようともせず、却て自分等の非行を掩ひかくすがために、犠牲者を悪く云ひ触らします。その宣伝の効果は驚くべきもので、近頃発行の出版物にも其通りに載つてゐます。コレでは死者も浮ばれません。平澤計七君と河合君等とは全く無関係別派のものであること。検束の際は彼等犠牲者が皆別々に、就寝中、夜警中を抜刀土足、正服私服の、巡査憲兵隊に襲はれたこと。只一足、一分の御蔭で其場を脱れた者のみが、運よく助かつてること。被殺者の中には、人中では物も言へぬ屁も放れぬ、只ホンノ巻添に過ぎぬ人が居ること。動かす可からざる確証ある、塚本労技会幹事殺し、寺島の柔道師刺殺ですら、今日に至るまで、知らぬ存ぜぬ、放還したのと云張る世の中に、甘粕の調書でバレタで止むを得ず、急遽治安上最も秘くす必要ある時に発表したこと、其迄は同じく支離、滅烈、不用意に、シヤアシヤア乎として、知らぬ存ぜぬ、放還したと云張り嘲弄したること、被殺者は皆当時人助け、知人見舞、手伝、警戒等に熱中して居たこと。殊に親思ひ、兄弟思ひで有名の河合君は、麻生より飛んで家に戻る帰途、倒潰家屋中より瀕死の二幼女を救ひ出し、老母の身を案じつつ一昼夜之れを看護養育し、漸く其幼女を隣人に預けて帰つたこと。等到底かくすべからざる事実を知つたなら、彼等に不穏の行動があつたなどとは到底信じられないではありませんか。当局者が流言を妄信し、大災害大動乱を未発に防止せんため、涙を振つて馬謖を斬るべく、国家のため覚悟して引致したのだ、と断言しても、決して悪意の解釈とは云へないではありませんか。当時亀戸署には、日、鮮、支三国民約七、八百の検束者があり、大部分は保護検束で、当時の情況、心理状態として、今にも殺されるかと、全く生心地なく、一同相警め相慎しみ、吐息もつかず、小便さへも出ず、騒擾反抗所の話でなかつたと云ふことは、軍法会議の判決文からでも間違ない事実ではありませんか。急に遺骨発掘を拒むに至つたは実は死体何個の実数暴露を感付いたからです。全部の遺骨なら受取りたいと申出たは、死体が何千あつたか、其人種別の割合、生焼半焼全焼の比率、鉄砲か大砲か刀剣か、首があるか無いかを知りたいからです。尤も遺族の人情は別で、若しそれが本物であるなら、髪の毛一本でも欲しいと、殆んど半狂乱になつてさわぎました。か、似よつたものもない事になつたのではありませんか。其を一昨日の警察種は、遺族が遺骨を引取らぬから警察で埋葬すると報導し、飽くまで人心をタブラカさう、世間をゴマかさうとするではありませんか。一の悪事を隠蔽するためには幾つも悪事を犯さねばなりません。
      ○
 今日は十八日になりました。前の続きが判然分りませんが、事件の内容は言はぬと云つて、遂少々云つたようです。余り口頭無証、一片の出鱈目だとされるも遺憾と思ひ、一言に及んだのです。もう之れで打切ります。終りに臨み一番の急所を一言させて頂きます。
 此事件の真相を明にすれば、勢ひ、支那人朝鮮人日本人が自警団や軍隊などに、殺傷された数、場所、方法、其死体の取扱方、埋葬方法が明になります。軍隊と警察とが一番悪いものになります。国威にも関し、国際問題も起るといふ事になります。しかし此処が一番考へて貰ひたい処です。
 物隠すより表はるることなし、天知る地知る人が知る、国の内外を問はず、洋の東西を論ぜず、事件に興味を持ち、利害の関係を有し、成行に注意を払ふ人で、今は既に事件の真相を知らない人があるでせうか。人誰か過ち勿らんや、過て改むるに憚ること勿れ、は小学校のみの教訓ではありますまい。無理が通つて道理が引込む時、吾々ですら随分突飛な考へを持ちます。階級的に境遇的に利害関係を一にする、自覚した労働者の感慨は果してどうでせう。遺恨骨髄に徹し、意気天を衝く、友人や同志や仲間や遺族は、どうして其の鬱憤を晴らしませうか。彼等も忠臣蔵で育つた日本人ではありませんか。特に、目前に、決議の告訴、告発、訴訟提起、追悼会に組合葬等があります。彼等の怒れる血は恨を新たにする毎に愈々狂ひます。目に目の刑法、因果応報の判決で之を防ぐにあらずして、どうして之れが止まりませう。其が法治国ではありませんか。どうか法治国の実を挙げて下さい。そして無政府主義の哲学に勝利を与へないで下さい。私が前に事、人命に関し、天下国家に関すと云つたは此事であります。思想は実行で充分倒すことが出来ます。
      ○
 私は貴下が私を了解して、私の無礼を許して下さること、並に貴下が正義と法律とを非常に怖れる人であることを堅く信じます。
      ○
 以上を読直したり清書させたりする中に廿一日になりました。今朝の新聞を見ると横山君への答弁書が出て居ます。二、三、四項は今の処水掛論になるから何も云ひますまい。一項は余り酷いと思ふ。でも私はまだ貴下を信じ、之は下僚のした事で、貴下は只盲判を押したに過ぎないと思つてゐる。僕の確信する処では検束は名のみで、此時は既に殺す積りで引張つたと信ずる。併し之も水掛論だからどうでもよい、が、革命歌を高唱したの、流言蜚語を放つたは酷いではありませんか。警察ですら、ソンナ風説があつた、投書があつたとか言つてる切りではありませんか。誰が見たのです、聴いた者がありますか。各警察に当時検束された者は百や二百ではありますまい。無事に帰れた者は、其が如何に兇暴の者でも皆、保護検束だ・・・・・・の恐れあると認定して行政法に基き検束したのだと弁解してるではありませんか。又彼等と共に居た確実の証人を待たなんでも、誰が聞いても、疑あつたから治安保持上検束したと云ふ方がホントと思へるではありませんか。私は首を懸けます日本が帝国でなくても、私が死んで居ても、彼等が当時救助と夜警に従事し、革命歌を高唱せず(革命歌を知らぬ者が三人、聴いた事もない者が一人あります)流言蜚語を放たなかつた事は、世界の存する如く確実であります。どうか私を信じて下さい。ソシて直に良心に命じて正義の法律を使用して下さい。然らずんば年を迎へずして必ず思当る事が起ります。(大正十二年十二月卅一日)
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に修正した。踊り字は修正した。>
<底本は、日本弁護士協会『日本弁護士協会録事』第292号、大正13年(1924年)2月号>
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