社会運動内面史


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社会運動内面史
          山崎今朝彌
      日本フエビアン協会、初めるから止めるまで
 昨一五日印刷所からは、明日より二日間休むゆへ今日中に全部校了にしろと云ふて来た。検事局からもマケずに・・・・・・何とか云ふて来た。ソコで忽ち或重大事情の為、折角校了になつた奈良正路君の「学生の見たる京都の学生検挙事件」十四頁を何かで埋め変へなければならなくなつた。遽かの総動員で編集局は大童。片山潜君の私書を公開して三頁を拾ひ、齋藤翁が死んで堺君の三頁を儲けた。が、其代りに校了後新穴六頁、差引積つてゼロとなる。本郷君を復活して五頁、岡、山内両君が一頁宛として、残り七頁。之れは久し振りに山崎さんの内面史で調節をと一決されて了つて寝た。寝て考へた。明後十七日は新フエビアンの創立総会。解放二月号には新居君の日本フエビアン協会の解散が載る。片山君の手紙で、片山君が、フエビアン協会の設立に、当時中々熱心であつた事を思ひ出す。そこで、明日は『日本フエビアン協会の成立より解散までの内面史』を初める。

 目が覚めるとモウ十六日。朝の用事が一通り済むとハヤ昼近くなる。『二月発行の雑誌『国粋』を建国号として国民精神を振興したいと思ひます。形式を問はず詩文、和歌、警句、創作、御感想を御漏らし下さい。伯爵大木遠吉。』の往復はがきに対しては、同爵の誼み、早速次の漢詩を返事した。季節が入つてるか、平仄が合つてるか、などの形式は眼中に置かなかつた。
   外国崇拝売国思想。保守迷信亡国思想。雑誌国粋見事無が。経営困難御察申す。
 御用済の端書を捨てるとき、ふと紙屑籠のゲラ刷『人と作品』が目に着く。拾つて読んだら面白くて耐らない。読んで了ふとすぐ感動して左の端書を新居、青野、小牧の三君に書く。
 同文はがき。いま二月号のゲラ刷を見て急に青野君、小牧君、新居君の創作又は随筆を解放社から出版したくなつた。又今朝の新聞広告を見て、序に真の無名作家のものを一緒に出版したくなつた。そして馬鹿馬鹿しい大広告をして一商売して見たい。広告は無名作家に限る。無名作家なら、イクラでも思ひ切つた、無遠慮な、突飛なストライキングの広告が出来る。三人合計以上の大家大天才とでも、ね。で、時期方法条件選択等よい智慧があつたら貸して貰いたい。正月号は今の処頗る景気よく、残品を除いては全部売切れ、二月号は廿三日になるらしい。
 よし色々の事情で解放社から出版出来ずとも、萬一商売社が競争でもするようになれば、尚更結構だ。などと興じてゐる処へ、階下から呼ばれて昼飯。

 愚図愚図しては居られない。今夜は六時から此処に総連合問題で機械連合の組合代表会がある。明日は協調会で規約綱領宣言の全国委員会がある。解放三月号は『プロ文連と総連合と新フエビアン』として頼んだり、創立委員であつたりする関係上、其等の会合に出席して見たくもある。忘れてゐた。明日午後三時からは、顧問だとあつて、華工共済会華僑連合会の新年懇親会に招待されて居る。サア大変、局外の締切は今日限りだ。此の寄稿は迚も違約出来る義理でない。留守は遣つても電話はかかる。不在であつてもお客様なら上がる。郵便が来る見たくなる。呼出状が来る受取らない訳には行かない。新フエビアンを聞きに来た新聞記者は悉く安部さんへ追ひやり、表へは、会合は今夜、明日は協調会の貼り札をする。其れでもかれこれ四時。とても。フエビアン内面史はもう止める。そして之れを此処まで書いた時は既に七時で代表会の真最中。
      五月メーデー
 会議のすんだが十時頃、独りヒツソリ閑と考案中一躍文士の葉山嘉樹君と青野季吉君とに驚かされる。マア上れで話しがハズム。両人の帰つた頃から時が分らなくなる。徹夜に遅いがあるものか。損して得取れだ。と、両君と共に話した一節を左の記事にする。

 解放五月号はメーデー特別倍大号とする。第一部評論欄百頁は、メーデーの起原歴史、意義効果に関する論文評論、示威運動参加の統計犯罪、挿話逸話、メーデーに関する著書論文の索引紹介等。敢て茲に読者の寄稿を募集する。第二部中間欄百頁は、思想労働其他各団体の現勢紹介。各団体の団歌団風、宣言規約、組織綱領、員数役員等の材料の提供又は寄稿投稿を熟望す。之れは軈て其儘年鑑にもなる事と信ずる。第三部創作欄百二十頁は、全部所謂無名作家若くは労働作家の創作若くは文芸論にしたいと思ふ。大体以上の如しだが、之れ以上の名案がキツト沢山あるに相違ない。切に読者諸君の提案を祈る。

 愈々寒くなつて来た。何時だか知らないが随分遅いだらふ。イヤもう早いのだかも知れない。もう火も消へた。老人に徹夜は身体の毒。愈々となれば安い広告が一頁ある。自分の広告も一頁出来る。今日来たプロ連の宣言と明夜きまる新フエビアンの綱領とを集めれば優に一頁にはなる。するとアト一、二頁だ。一頁や二頁ならどうにでもなる。先づ寝るべし寝るべし大に寝るべし、寝る程楽な事はない。あとは、あとの事、明日の事。(十六日夜)
      局長横暴の問題
 いくら素人でも、一息に五枚十枚の原稿を書いた事は数あるが、年齢のせいか気候の関係か、今朝遅く起きた時は幾分手首手のひらが痛かつた。関西から乗込んだ委員の話を余所に聞き、新聞を荒読にして、局外の原稿半ペラ七枚を書き送つた時はもう昼を過ぎた。そこで先づ山内君と岡君に左の端書を書く。
 昨夜青野君と話した事と、暮に君達に話した事とを合せて、解放三月号から、評論創作適宜取交の新機軸で文芸欄を七八十頁とし、全部山内君の責任。岡君全部責任の評論欄五十頁、内二十五頁は論文評論、二十五頁は時評随筆其他中間的のもの。論文評論は三つ位に止め、長さは十頁以下に限る。出題、注文、原稿依頼等総て全責任の内。残り三、四十頁は横暴的に僕の責任。横暴は専政と異り、不能の場合も無能とならず、厭になつたら何時でも君等に責任が転嫁する。どうだらふコンナ工合では。早速三月号の御手配を乞ふ。尚此の案を二月号に公開して識者の批判忠言を求めやう、千人寄れば萬人の智慧と云ふから。
 敢て茲に之れを掲げたは、偏に其道読者の智識を搾取したいがため、豈他に意あらんや。最も今日の頭は随分変□にトツチン漢だ。処へ懇親会迎を受けたが、局外の七枚か何時でも役に立つからと安心して出掛ける(十七日)
      伯国大使と露国大使
 昨夜は生れて初めて終始一貫した正式の支那料理を御馳走になり、生れて初めて外国人の中で通訳付の外語演説をし、七転八起のフエビアン協会の創立に臨んで帰つた。サテ之から大至急局外の一部を役立たせる。印刷屋は原稿が一時間後れても附け込んで仕上を二日も後らかす悪い癖があるから。

 伯国大使は急用があつて夫婦で出掛けた。通行遮断とある。暫くは辛棒したが、まだまだ少しも様子が見へぬので耐らなくなり、少しは外国大使も加はり、向側に通過せんとした。外国人とさへ見れば特別に尊敬し、苟くもとなれば無暗に恐懼する日本人巡査だ、周章狼狽してプリンスカムヒヤと手を振つた。特別扱に慣れてる大使、英語はプリーズカムヒヤ、手振りはオイデオイデと取つた。片や、制止を肯かず生意気だ不敬だ此際だと思ふ。片や、人を招んで態と恥をかかせ害を加へると思ふ。其れ以後のバタバタ、ドシドシ、メチヤメチヤ、クチヤクチヤに理非曲直のあらふ道理かない。此れは僕が大使と巡査とから直接想像した真相だが、少しも間違はない。問題屋が問題にしただけで、問題となるべき問題ではない。日常の、巡査と、壮士、国士、代議士、官吏、新聞記者、社会主義者、とのケンカと少しも甲乙のないケンカに過ぎないと思ふ。

 片山潜君の手紙中、改造の悪口は削らふかと思つたが、蛇の道を蛇が考ふれば結局差支えもあるまいと思つて其儘にした。時々本性を顕す福田大将が、頻りに僕の事を露国伯爵だと悪口宣伝して歩くさうだが、所謂共産党の諸君からは、反共産運動の総本部のやうに思はれてる僕に取つては、時に取つての一興で、頗る我意を得たりと、独り悦に入つてゐると同様。共産党資金の取次所でもあるかのやうに云はれてる改造に取つては。片山君のこの怨言悪口は却つて蜚語雪冤の証明福音ともなるであらふ。(一五、二、一八)(二十日校了)
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正した。旧漢字は適宜新漢字に直した。>
<底本は、『解放』(解放社)第5巻2号150頁(大正15年(1926年)2月1日発行)>
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