日本社会運動内面史

日本社会運動内面史
          山崎今朝彌
      日本亡国の兆
 蓋し『日本亡国』は『日本建国』と一題一系の予定であつたが天の使命たる頁調節の都合で中途断絶の止むなきに至つた。茲に題号を改元して新に国を創める所以である。実は莫迦莫迦しくて厭になつたが今更仕方がない。
 僕の日本主義と悪戯とは両立し得る。僕は日本が自ら日本を亡さんとする趣旨を以て頻りに私刑殺人を奨励し、直接行動を煽動し、明かに新聞紙法に違反するといふ廉で、動かすべからざる証拠として同紙六月二十五日の一号、七月二十四日の三十一号、八月二十二日の六十号を添へて、事実上の社長たる被告小川平吉を、司法大臣としての小川平吉殿へ告発し以て、復た再び将に来るべき状態を予言し聊か先見の明を誇らんと企てた。がしかし、先方が余りに早まつて見事に大臣の椅子を辷り落ち、告訴も只の告訴となり皮肉と逆意と、興味と痛快味とがなくなつたから潔よく止めにした。法律の権威と秩序の維持のためなら、真面目に其れを商売にして居る筈の検事局があり、単に先見の明を誇りたい為めなら、疳作集や創作集に詳かなる通り曩に東京の各警察署を告訴修業で一巡し既に早く今日の暴力時代を先見し、亀戸事件では一書を時の平沼司法大臣に与へて其重大事件を予言したので沢山だ。
 一体僕は何の為めに誰も問題になんかして居らない日本新聞の事なんかコンナに長く書いたのだらふ、自分ながら訳が判らなくなつた。思ふに僕は、日本新聞の社会主義者、新人会、学生連合等の攻撃や大庭柯公君などに関する記事はホン二嘘八の記事で、全く甲と乙との人を混同し今と昔との時代を錯誤し、少しも当てになつたものではないが、大庭君の問題に就ては何時か好い時期に何か書いて見たいと思つて居り、今は其時期であると思ふから、此機会に少しく論じて見よう、就ては其序文として先づ日本新聞に其れに関する出鱈目記事が載つてるといふ事を書かう、と云ふにあつたらしいが、遂い癖が出て横道へ横道へと外れ出したのである。
      大庭事件の真相
 大庭事件の真相は幾つもあるが、大正十四年十一月一日発行の『解放』第四巻第二号に載つた、関係者たる田口運蔵、高尾平兵衛、富永宗四郎等諸君の真相が一番真相に近い真相であらふ。
 故意の位偶然、朝日新聞から(今十月四日の午後九時)電話で、大庭君は堺山川氏等の使嗾で露国に殺され、其真相を調査するために大庭柯公虐殺真相調査会なるものが出来、明日、長谷川如是閑、大山郁夫、山崎今朝彌外三十名の委員がコツプ大使へ談判に出かけると云ふ通信があつたが本当かと問合せがあつた。此間も同一のラヂオ・ニユースがあつたと聞いた。調査会の趣旨目的には反対もなく、多少及相当の好意好感を有する者でも、こう悪戯が無茶になれば贔負の仕様もなくなる、惜しいものだが困つたものである。
 日本の同志が打電して大庭君を殺させたいといふ風説は早くからあつたが、もし之れを信ずる者があつたら、其れは余り正直でも利口でもない人達である。強いて弁護する訳ではないが、却てオー・ケー・デペンダブルと打電して大庭柯公君信用し得べしと利かせ、改造社の会見では直接即時釈放を厳談した事など自分自身既に知つてるではないか。極端に恐懼心配し過ぎた事実こそあれ、君悪しかれと不為を計つた者のない事は誰にでも保証出来る。
 日本新聞が久保田某の談として発表した、当時在露の日本人共産主義者が挙つて大庭君を陥穽したのだとの記事も、大庭、荒畑、鈴木茂三郎君、及其他の米国党諸君が当時、時を同ふして在露したといふ出鱈目自体でも其価値は充分正当に評価出来る。荒畑君が初めて入露したは大正十二年三月中旬後である事は其筋が公文書判決で保証する処であるのに、大庭君は其以前大正十一年十二月二十四日頃イカデンブルグ辺から同年十二月十八日にモスクワ監獄から追放され明年一月末には日本へ着けるだらうとの手紙を在莫の和田軌一郎君に宛てて出した儘永遠に行衛不明となつて居る。其当時鈴木、田口、真庭、野中、二階堂其他の諸君等は明かに其処には居らなかつた。
 僕は尚又和田、渡邊、高尾、高瀬清君等が当時熱心に大庭君の釈放運動をした事も聞かされて居る。一時パツと立つた勢力争ひ、女の争ひ等の噂は、其後煙の如く霞の如く杳として消息が消へて無くなつたのでも其れが全くの虚報だつたといふ事が略推測出来る。
 高尾君の直話、荒畑君の文意、佐野学君の口吻、和田、富永其他総ての露国党諸君の談に拠れば、独り田口君の弁護あるに拘はらず、どうも片山潜君の尽力に少し遺憾が多かつたように見へる。併し之れは全く皮相の見で、よく露国、片山、大庭の三角関係を洞察すれば当然止むを得ない事である。僕は此点では飽くまで公平なるセンシビーキだ。日本に於ては四面楚歌の中に堅く議会政策を奉じ、少しく進んでは日本フエビアン協会を発企し、米国に在てトロツキーと交はるや稍ボルセヴイーキとなり、入露しては直ちに熱心なるレニンストとなつた片山君、僕は此の老片山に於て初めて、大勢を達観して総て之に順応し、特殊性を看破して悉く之を利用し、終始一貫よく天職を全ふして常に方向を変転し、一旦決するや遅疑する処なく直に実行に移る処の、真個偉大の職業的×××と典型的オポチユニストとを見出す。由来革命家と日和見とは実に日本紙一枚の差、否洋紙其ものの表裏である。質がよくなればなる程其差は全く無くなる。(新知識は振廻したいものである、が危なつかしいものである、僕は此節紙の事がわかる様になつたと威張つて居る。)此職業的×××家は大庭君を全く知らない、特に片山君は日本在世中より極端に知識階級を中間階級、女郎階級と称して擯斥した。此人に大庭君を信用しなかつた責任を帰せしむるは頗る本末転倒の感がある。勿論片山君が当時露国に於て有てる絶対の地位を利用して大庭君を保証したら、総ての解決は困難でなかつたらふが、今も云ふ通り其大庭君を片山君が実際知らないのだから仕方がない。片山君計りでない、僕は当時在露の日本人に対して少しでも大庭君釈放運動の緩慢を責める者があつたら、其人は地震当時の社会運動家の、逃避退亡を責める無理残酷を為す者であると断言する。現に高尾君も渡邊君も、あれだけの事をするにも生命がけで、下手にすると生きて帰れるかどうか疑問であつたと語つた。
 片山君は一旦提出した釈放請願書を撤回したらしいと云つた者もある、僕は其れが事実だとしても少しも片山君を責めない、色々言はれて一旦出して見たものの、よくよく聞いて見れば判然分らないとなれば又撤回しても仕方がない。斯ふ解釈して始めて僕には、片山君が大庭君の入牢を秘くした事、片山君は実は渋々だつたと高尾君の云つた事、大庭君がカザンへ視察に行た留守に田口君が高瀬君や和田君に、大庭はもう帰れぬかも知れぬと謎をかけたといふ事、田口君吉原君が大庭君を試験したとの事等、何も彼も少しの不思議も非難もなく、よく諒解出来る。
 職業心理に支配され又もや便々と長い弁護論に終つたが、要するに大庭君の死に就ては大庭君自身と露国の外には何人にも責任はないといふ当り前の決論に漸く到達したのである。

 僕は大庭君の事に就て露国に対して大なる不平と不服を有つものである。しかし多くの人とは其不服の要領が異ふ。僕は大庭君がスパイの嫌疑を受けたのも、拘禁されたのも、殺されたのも止むを得ないと思ふ。(大庭君の死因は今でも明かでない。釈放後帰国の途中餓死したといふ者、久保田某の如く監獄を引張り廻されてる中に窮死したと云ふ者、他の多くの反革命者と同時に序に殺られたと云ふ者、其他色々あるが兎に角今死んでる事は僕が今生きてる事より余程確かである。)露国だからマダよかつた、もし之れが外の国なら、革命どころか地震があつてさへ、日本人処か×××××人が、一人や二人処か、千人萬人位殺されたかも知れない。それでも僕は地震の際に多くの無辜の人が横死されたのもダンダンと諦めさせられた。只どうしても諦められないのは政府、当局が嘘を吐き、事を秘くし、知らぬ存ぜぬ、そんな事は無いと、どこ迄も我を押し無理を通した事である。凡そ世に正義の大看板を掲げて一の悪事を隠蔽するに十の詐欺を敢行する事程人の癪に障るものはない。資本家でもスパイでも苟くも頼まれさへすれば之れを弁護する程の弁護士と雖も、恰かもブルジヨア国家其ものの如く口に同志、カムレード、ハムサラダと賞美しながら、腹に外国人だ日本人だとバカにして、知らぬ存ずる、あつちだこつちだ、今出した、と何時までも事件を行衛不明にするはマダしも、断乎として洒々しく人の念仏を馬耳東風する者の弁護は出来まい。
 大庭君の殺られたのが大正十一年十二月末から翌年一月中である事は間違ひあるまい、誰が知らなくとも、今日は出さぬ、明日出すと高尾君等を欺ましたチエツカは知つてる。イクラ困乱のロシアでも其事は一、二ケ月後には政府にも知れる。同時に遅蒔ながら日本の同志からもブツブツ云つて来た。時間が潰れて却て面倒だから一ソ、ザツクバランに話して了つたがよいと提案した人もあつたが、今少し待てば都合のよい口実も出来、先方もツイ忘れて了ふ、其れに毎日矢の催促を受ける訳でも、運動に支障を生ずる訳でもない、在露の日本人なんか、オドスもダマスも問題でない、其道を以てすれば君子も欺ける、況んや日本人の同志なんかは、といふ説が圧倒的多数で勝を占めた。其中ヨツフエの渡日となり、熱心の釈放運動も台頭し、歴史的必然のボロもソロソロ出た。此処いらでは誰が考へても謝罪り処で、謝罪つて仕舞つた後の気持の晴々しさは矢鱈に味へるものではないが、其れは貧乏人の云ふ事で、支配階級や貴族階級に属する人々に分かる事ではない。在日のヨツフエは在露の如く、剣もホロロの挨拶も出来ず、何でもオーライ即時の釈放、逃げて仕舞へばコツチのものだと、得手に帆を揚げスタコラスタコラ、後は野となれ山となれ、尻でも喰への大馬鹿野郎で、馬鹿を見たのは随喜の涙を澪した日本人、舌を出したは露国とヨツフエ。筆の綾は多少あるにせよ、此事実に大した誤りはない。あつたら代は御貰い申さぬ。
 僕は露国が日本人を、特に同志を、舐めてる事を憤慨するよりは寧ろ其馬鹿つたらしい事に呆れざるを得ない。何んでもない事ではないか、事実有りの儘に報告すれば其れでよいではないか、悪い処は謝罪れば其れで済むではないか、済んで仕舞つた事を謝罪つて勘弁しないなら、勘弁しない者が悪いのたが、間違つた事をしながら強情を張つて謝罪らないのは人をバカにしてるからだ、呆れた馬鹿のする事でも矢張り腹が立つ。もし機会が無かつたなど云ふなら尚更人を馬鹿にしてる。ロスタ通信良し、新聞記者良し、ステートメント良し、此つちからは行く、彼つちからはくる、アントノーフも来た、ヨツフエも来た、大使も来た。機会は前に千百回もあり、今後は毎日刻々にある。
 僕は此事に就て大庭君の親友である長谷川如是閑大山郁夫両君の説を聞きたい。僕だつて若し露国から弁護料でも貰つたなら、其時は心から本当に弁護理論が出て来よう、又真の雄弁金の雄弁も守らふ。日本に於ては古来之れがマルクスの原理となつて居る。しかし大山、長谷川諸君が沈黙するは如何なる我等の傾向批判に基くか。所謂共産党の諸君に対してはセメテ露国になりと、少しの危険もなく又犠牲の払はずに出来た真相の発表を為さしめ得なかつた事に極力遺憾の意を表する。若しスカシ屁は音がしないから臭くないといふ論なら、其れは間違つてゐる。怨敵評議会、日本共産党、第三インテルの三角関係を極論公表して左傾分子の排斥を専業とする総同盟の諸君、特に赤松克麿君に対しては、露国の踊つ子や役者や飛行家を特に歓迎する科学的日本主義の根拠を問ふ。進め一派の大庭柯公虐殺真相調査会に対しては、真相の発表を御願して若し許可されなかつたらドウする積りかを聞きたい。其呆れさ加減に於ては寧ろ露国に一歩を譲らぬ。(十四年十月十日校了)
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正した。旧漢字は適宜新漢字に直した。>
<底本は、『解放』(解放社)第4巻2号174頁(大正14年(1925年)11月1日発行)>
最終更新:2009年10月25日 23:00
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