明治大正社会運動内面史


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明治大正社会運動内面史
          山崎今朝彌
      第一編 緒論
 人名会名、本名誌名、之を極めるは中々六ケ敷い。況んや何を書くか内容もまだ判然きまらない中に御題目たけ先に付ける事に於てをや。本論称して社会運動内面史といふも、其予定する処必ずしも其内容に限らず。思ひ出すまま。ポツリポツリ。其れから其れへ。行当りバツタリ。何んでもかでも。其他色々。卒直無遠慮。蒙御免。飛び越へ飛び越へ。自叙伝ライク。知つてる通り。同志の事ども。批判を兼ねて。現在より過去へ。今昔物語。ランドムソート。であるから、標題はストライキングに時々変はるも、内容は併し見かけ倒しである。蓋し之れジヤーナリズム上当然の理か。材料の豊富は到底本誌一代のよく尽し得る所にあらざるも、毎号続くか否かは保証の限りでない。蓋し元来本史は編集部の命により、頁調節の使命を帯びて生れたもので、寄書広告の有無が絶対に生殺与奪の権を有つてる。号と号との続きが悪いは推して知るべく、文責概して記者に在らず。
      日本の脅威解放の復活
 読者の殺到本屋の狼狽、と云ふ新聞広告ですぐ本誌が再び生れる。或は、誌界の彗星解放の再現、世界の驚異、日本の脅威、となるかも知れぬ、同人はヘビヤンの老人(長老と云へば色々と都合が悪い)石川三四郎、小川未明、神近市子、山崎今朝彌、藤森成吉、秋田雨雀、下中彌三郎、元解放の関係者、新居格、高畠素之、赤松克麿、麻生久、青野季吉、宮崎龍介、平林初之輔、及び数月来の功労者、岡陽之助、山内房吉の諸氏である。ヘビヤン一の長老安部磯雄氏へは、吾々の如く軽々しく名を連て貰はぬ方が協会のために宜敷からんと、衆議一決して、態と話さなかつた。同人必ずしも悉く意見を同ふし運動を共同するにあらず、只本誌を共同して意見発表の機関に有つと云ふに過ぎない。従て同人同志誌上で論戦する事も往々あり得る。併し同人は皆無産階級の解放を志向する点に於て一致する。本誌の目的も亦此処にある。若し夫れ本誌に尚幾分の個人雑誌、小雑誌、仲間雑誌の臭味形骸があるとすれば、其れは過渡時代一時の現象であつて、本誌はドコまでも同人雑誌、大雑誌、一般雑誌の積りで編集経営して行く、従て読者本位、長生本位、世間本位、広告本位、・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。斯く論じ来れば余り日本の脅威でも又特に一項を設ける程でもないが、由来薬は効能書程利かず、どうせ経営記は書かねばならず。
      同志間道徳の確立問題
 さて愈々何より初めて然るべきか、今僕には八頁を与へられ其れで怡度十□の百六十頁となる訳だが、広告があれば又其れだけへる。にも拘らず先づ第一番に書きたい事が百番もある。済んだ計りの二重橋、日本共産党、福田大将の暗殺、偖ては又虎ノ門、之を機会に刑事弁護界の隠退、目下進考中の新聞『日本』告訴事件、之れに関連して大庭柯公君問題、進めの討閥、総同盟の分裂、政治研究会、其れから其れへの真相批判、迷ひ来れば殆んど枚挙に遑あらず。
 しかし、何れにせよ先決問題は、解放運動者として、同志の一人として、筆を執り、口を開き、耳を傾ける者、殊に自叙自慢の範囲を超へ、他人の運動を批判し、其功罪を究明し、其内面側面を語る者が、守るべく、犯すべからざる、道理原則、常識道徳の確立であらねばならぬ。故大杉栄君の横車を以てして尚且つゴマのハイの新熟語で私かに公憤を洩したに過ぎなかつたも、堂々たる日本共産党が纔かに流弾一、二発を以て之に酬いたに過ぎなかつたも、「進め」を中心とした所謂討閥運動なるものが、遂に漫罵悪口の独り舞台に終つたのも、大庭君の虐殺事件が同志間の公問題とならなかつたのも、日本共産党の秘密運動が公然曝露さるるに至つたのも、総同盟評議会の原則上の争が、遂にスパイ堕落日和見と、陰謀撹乱反動の悪罵に止めを刺したのも、要するに幸か不幸か未だ此の原則が同志間に研究考察され、公認確定さるに至らず、人々其由る所を知るに苦んだからである。之れに関して解放社は最近左の新道徳確立運動を起した。

 御高見を御洩らし下さい。無産者解放運動の手段方法乃至主義主張は今後益々分派を生じ、論争愈々猛烈を極める事と信じます。併し運動者は各々立場の異るに拘らず無産者解放に同じ志をもつ点で同志でありますから、其間に各自が各々則るべき共通の積極消極若くは作為不作為の原則若くは道徳と云つたものがあるべきだと考へます。(例へば一方の同志の運動が他方の同志の運動に迷惑若くは妨害となるとき、一方並に他方の同志は各々如何なる標準で運動を遠慮若くは継続し又は其功罪を批判し、又、如何なる程度範囲で自己の主張運動を抑制し又は反対の同志の秘密を厳守すべきでせうか)。此の準則若くは道徳を一般的且決定的に確立する為め、『解放』十一月号は各方面の意見を充分に集めて見たいと思ひます。就ては御多忙中誠に恐入りますが、貴下が曽て此の点に就て当面せられた実験又は平素抱懐せらるる御高見の一端を、端書なり開封なり長短御随意で、抽象的よりも寧ろ具体的に、九月二十五日の締切までに、是非御洩らし下さる事を幾重にも偏に御願致ます。大正十四年九月解放社。

 問者自身が既に一定のセオリーを有つにあらざる限り、質問は到底完全であり得ず、答へは恐らく例の通り極文句にきまつてるが、此の質問中には公然と理想運動が禁ぜられた場合、吾々は純然たる秘密運動に行くべきか或は又公然たるマヤカシ運動に行くべきか、此相違が如何なる点まで発展すれば敵味方となり、如何なる程度までが同志と見らるべきものか。公然の秘密も本人自身が参つたといふまでは秘密の域を脱し得ないか。双方から秘密を打明けられた場合の処置。運動のために資本家、同志、露国から金を貰ふ可否及其影響を論ぜよ。悪いとすれば露国からの利権は如何、震災救助金は如何、併し金と運動と唯物史観の関係は如何。又、厳正批判と攻撃、攻撃と摘発、摘発とスパイ、運動と私怨と公私の区別。前衛と闘士と幹部、宣伝と教育と論勝、乗取と撹乱と陰謀等は如何。ホンの例へば今も話した僅か急用の一例に過ぎないが、意見に相違を来したからとて今迄専門に指導弁護の地位に居た急進派の人々が忽ち雲となり雨となり、総同盟を糞味噌に云ふは主義の為故、気持よきものなりや、其昔信友会正進会を振つたのも同一なりや。又今日は、僕等の趣旨を継ぎ大庭問題に関して露国大使を詰問するのだといふ大庭柯公虐殺真相調査会の福田大将が来て、賛成して通告書に判を押せといふ。大庭事件に就ては僕にも大に意見があり通告書には不賛成がない。併し佐野学君は先日僕の意見に賛成して此の通告書の如き実現に努力しようと云つた。僕は佐野君との話を其儘此処で狂二君に話すべきか、寧ろ先廻りして此の通告書を堺君にでも見せべきか。大庭問題と云へば先日国民新聞が吉川守邦君の話に尾ヒレを付けて有る事無い事書いた。後で聞けば荒畑寒村君など(或は堺利彦君も多少)僕を疑つて居たとの事だつた。しかし当時はマダ今の如く公然の秘密とはならず吉川君も被告として審配中であつた。僕は自己弁解の為め残らず有のまま話すべきだつたか。又は人々の騒ぐのを黙つて面白く傍観すべきだつたか。一昨日布施辰治君が来て、「進め」保証金の出場所に就ての北原龍雄君と福田君との告訴ゴツコで弱つて居た。布施君は双方に対し又は証人となつたとき如何なる態度を採るべきか。機械連合の人達三四人が頻りと、若し吾々が車両工のストライキ破りを水に流せぬと仮定したら、名を以てした総同盟を責むべきか、実を以てした当事者たる、共産党や評議会の人々を憤るべきかと尽きない論をして居た。何れを採るべきか。共産党で、今日来た無罪の田代常二君を思い出した。田代君は運動の為なら何事も諦める、併し共産党の諸君に一片の人情があるなら、申訳はないが君は誰と間違へられたのだから我慢して呉れと一言云つて貰いたいと、言ふのだつた。が、トウトウ酬いられず不信用の儘で終つたらしい。僕も其際、折角の使者島中雄三君にさへ実際の話が出来なかつた。其ため一時は田代君とも絶交するの止むなきに至つた。田代君の注文が無理か、共産党の言分も無理がないか、僕も聊かも無理がないか。等々々及び其他無限の問題が包含されてる。世人動もすれば此の問題を以て日本共産党活躍以来の新問題の如くツブヤクも、僕としては其昔堺片山大杉三君の三人三脚以来、継続して脳まされた古い問題で、其造詣や頗る奥深く堂に入つてる積りであるが、徒らに難句を連ねて矢鱈に事を六ケ敷く言ひ、故らわけを分らなくして無暗と理窟をこね廻すは到底僕の柄でない。僕は只従来為た事為なかつた事、今後為る事為ない事に就て、随時到る処で御筆先を少々書けば以て足りる。之れを祖述し解釈し、帰納し演繹し、組織し系統し、セオライズして完成する事は別に幾多の学者が存する。
      日本建国の由来
 『社会主義検討』の北昤吉君と『天無口』の若宮卯之助君とが、時の司法大臣小川平吉氏を擁して日刊『国粋』を創刊し、其社の敷地として大臣私舎の潰家跡が選定され、縁起が悪いとて中途取消になり、大木平沼等の大東文化会が仲間になり、其大木平沼等が政府の補助金中止の取消運動を起し、軍閥の諸君が加入して立所に『国粋』が亡び、三百萬円三年間の予算で遂に日刊新聞『日本』が勃興した。といふ類の風評は時を異にし或は時を同ふして随分古くから聞いた。
 小川氏は俺が村の出身であり、我が弁護士界の大先輩であり、若宮君はウノ・ダブリユのペン名を以て幸徳一派と汗胆大に相照した時代よりの米友であり、北君は元祖革命心酔家北一輝君の令弟である処から、僕は日本を全然没交渉のものとは思はれなかつた。特に憤然と連盟して蹶起した北君と若宮君とが、社会主義検訴と天に口無しとで、何れも均しく均山川君に遣つつけられた歴史的の勇者である事実は初めより、否初める前より尠なからず僕の興味を唆つた。
 北君の「社会主義検討」が実は先日死んだ久津見蕨村君の翻訳であり、北君は之れがために「自分に無智売名の譏は幾重にも重々あらふが、中外社と社会主義者とが結束策謀して同じく売名のために自分を奈落の底に陥れたは酷い」と骨髄に徹して深く中外社や久津見君や山川君や堺君等を恨んで居ると云ふことは、天下周知の風説であるから此点はオミツトするが、此のため高畠素之君と堺君との仲が悪くなつたと云ふ噂に就ては一言したい。高畠君の取巻連、で悪ければ味方連、慥か遠藤友四郎君だつたか北原君だつたか茂木久平君だつたか或は又其他の諸君であつたかよく記憶はないが、誰かが僕に、堺が若し公平であるなら、あの北の社会主義検討の検討は、順序からするも役柄からするも、高畠に遣らせないといふ法はない、堺は何時も山川を推して高畠を押へる、一例に過ぎざる此偏頗が高畠を怒らし吾々を怒らし遂に敢然反旗を樹てて売文社を乗取つた所以の一原因である。といふ意味の話をした。其時僕は答へて曰つたか曰はなんだか忘れたが、其後中外社の内藤民治君や堺君の話を総合すると、堺君は検討の検討を高畠君に遣らせたく、内藤君にも提案したのだが、内藤君は元来山川君の方が好きでもあり、一つは営業上、当時よりより有名の山川君を取つたのが事実らしい。
 話の序だが、此間岡陽之助君が、内藤といふ人は人の悪口と泣言を云つた事のない人だと話したが、成程考へれば内藤君から人の悪口を聞いた覚はない、泣言を云はない人は珍らしくもないが、蔭口を利かない事は出来ない芸当だ。特に到底数ふべからざる多くの欠点を持つ内藤君に此芸当ある事は転た驚嘆に値する。
 運動の結果若宮君の尾行が全く解かれたは古賀廉造、川崎巳之太郎時代であつたと記憶するが、堺君と公に手が切れたは何時頃であつたらふか、問題の「天に口無し」は中央新聞ではなかつたらふか、其れを罵つた山川君の「天に口あり」はへちまの花時代か、新社会時代か、天に口有りを読んだ若宮君が僕にもうアンナ雑誌は送らぬ様に云つて呉れ、オレはアンナ雑誌は読まうとしないから、と云つた処から考へると当時はまだ公に手が切れて居らなかつたらしい。新社会は其後大正九年一月堺君より僕の経営に移つて新社会評論第七巻第一号二月号となり、同年十月より再変して社会主義となり社会主義同盟の機関となつたが、其時は既に引継名簿に若宮君の名は無かつた。僕が忠実に若宮君の伝言を通達した際、堺君等が正直に名を削つたものであらふ。

 さて日本の成立事情此の如しとすれば其の国是憲法推して知るべきのみだ。加之、社長は赤化防止団の資格と材料とを以て鬼の首でも得たらん如く、原敬古賀廉造時代を錯誤し若しくは誰一人知らない者なき事実を無視して、頻りに大杉栄君の事で後藤新平に喰つてかかつた強の者である。日本は日本が一人で背負つて立つてゐると自負する事も、日本は今将に亡国に瀕してると憂慮する事も、風声鶴唳禽羽音、皆革命の瑞証にあらざるはなしと考案する事も、少しも無理はない。或は贔負の引倒しだと云ふ者もあらうかなれど、兎に角僕は非常の期待と興味とを以て『日本』を読んだ。尤も実は、時々友人の処から借りて読んだに過ぎないが、僕等辺でも四谷麹町あたり辺でも市内到る処、支那の廻し者の仕業かとも思はれる位、戸毎に「日本御断り」と堅く日本排斥同盟が成立してる中を、迫害に屈せず熱心に借読を続けた僕は満更日本贔負でないとは云へまい。(九月十日校了)
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正した。旧漢字は適宜新漢字に直した。>
<底本は、『解放』(解放社)第4巻1号149頁(大正14年(1925年)10月1日発行)>
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