正当派無産派文芸理論の確立


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正当派無産派文芸理論の確立
          山崎今朝彌
 と云ふ題で実は文連綱領規約の素人解釈を試みてみる。
      一
 第一に文芸とは何ぞや。玄人は一致して文字を以てする芸術だと云つた、従て漫画演劇文芸にあらずと。道理でプロ連は初め文芸連盟と称し後に芸術連盟と変へた。僕は文学芸術之を略して文芸と謂ふと思つた。今規約全体を通覧するとドツチがドツチだか一向にワカらない。
 次に党派的文芸とは何ぞや。例へば文線一派の如く文放一派の如しと。然らばデロ連一派の如きは如何? 暫くして答へて曰く、文連は可を可とし否を否とす、故に一派の故を以て可も否とし否も可とする党派にあらずと。矢鱈に六ケ敷してヤヤコ敷事斯くの如く、寧ろ一人で静かに考へるの勝れるに如かず。
 第三に正統文芸とは何ぞや。正統は正当にして又正道なり、既に邪道に陥りたる文芸を正道に恢復するも正統なり、之れから正当なる文芸を樹立するも亦正統なり、色々議論多かつたが之れ位の処が素人に一番よくワカル。
 次に綱領第三は仮発企中の大問題であつたに拘はらず創立総会には少しも問題でなかつた。文芸は本質解放運動の現役たり得ない、予備後備の第三戦線文化戦野以上ではあり得ない、併し我等は第一戦線に政治戦線に経済戦線に立ち得る、又ねばらぬ、が其れは其人一人の事であり個人の事である、団体として連盟が行動するときは必らず文化戦野の範囲内に限られる。といふのが此頃の眼目であつたと思ふ。此の意味がお手のものの文芸上此の文面に充分表はれて居るなら其れで問題なし。
 最後に日本無産派文芸連盟とは、日本プロレタリア或は労農文芸連盟の事である。初めの触れ出しは労働文芸農民文芸の略称日本労農文芸連盟であつたが、其れは労農ロシア日本出張所の文芸連盟の如くにも聞え又日本労農党一派の文芸連盟の如くにも響くと云ふ理由でムザンヤムサンハとなつて了つた。すると結局どうしても日本無産派文芸連盟は日本プロレタリア芸術連盟に対立するもので、其本質根本上の差異区別は、デロ連は洋語左書、ムサ連は漢字右書といふ点にある。
 も一つ最後に驚いたは、無産文芸といふ奴中々面倒な小六ケ敷い屁理窟もので法律のように常識と理窟で、素人にでもワカるといふ簡単なワケには一寸行かぬものだといふ事であつた。素人論なら、文学だか文芸だか芸術だか知らないが、絵にしろ小説にしろ芝居にしろ、泣くか笑ふか憤るか、面白いか或は又考へさせるかするものが即ち芸術で、ヨリ良く利くのがヨリ良い芸術である。畢竟芸術はカラ畑の肥しであるからソレコソ全く糞の役に立つに過ぎない、其れが芸術唯一の功徳効能であらふ。が其れ以上の何物でもない。成程無産文芸ならビラ広告宣伝文にも立派に役立つ、だから誰れも芸術にビラ効なしとは云はぬ。が文芸批評とか理論とかいふ六づかしい高等議論に至つては文芸家を以て任じない無産大衆に取つては只もうアクビの種のみで之を以つてはビラ一枚も貼れなければ屁の足しにもならない。理を作るより詩を作れ、詩を作るより田を作れ。流石にレニンはウマイ事を云つた。
 かくて問題は進展する。されば文芸は本質上解放運動に何等重要性がない。精々ビラ書き装幀立芝居に過ぎない事が、素人にもよくワカる。だからフラフラフラツと全線的政治闘争的一斉的進出を宣言号令し折角自己陶酔し、大声叱呼コノ証拠を見よと叫んだ処で出て来るものはポスター日記に無産者のタばかりだと云ふ事になる。ソレ見た事か組合主義だ折衷主義だ正体を曝露した、モツト左翼戦線戦線と力んだ所が文芸の落行く先は結局文化批判に過ぎない。否否千度も否萬度もギツチラコ僕等の方には検束がある、示威運動に参加したと威張つて見た所が其れは其人個人の功績に属すべき事で文学と何の関りあらんやだ。誰でもよい素人にワカル国語縦書の出来る人から此辺の説明を教わりたいもんだ。
      二
 今度は規約の番だ。規約に就ては入会者には制限がないか、除名は出来るか、規約の変更はどんな条件かと云ふ質問があつただけで少しも議論はなかつた。
 仮設例として文戦文放の同人が入会申込をした場合が問題となつた。可とする者曰く、文線の如き其後数回主張を変へテーゼを取消し之れを中止し今や最近号に於てはあわただしくもコンミニ文芸を抛棄して我々の綱領と全く抵触せざるに至つた。二夕月も三月も前の事を云つてはならないと。否とする者曰く、其れは余り厚ツペラでない一人か二人の事であらふ、陣営内の整理、共産党文芸の宣言は僅々一昨日の事ではなかつたかと。しかし何でも構はぬ、通過した法律否規約には「連盟の綱領に賛成して入会する者を会員とす」と書いてある(傍点筆者<「綱領に賛成して入会する者を会員とす」まで傍点>)苟も日本人-否外国人でもよい-である以上仮令其れか何であつても文芸家でなくつても苟も金一円を出して綱領に賛成した者は入会出来ると解すべきである。が一体全体好んでコンナ杞憂を杞憂するに至つてはバカゲた話である。お先様がお笑なさる。
 除名も規約変更も、別に禁じてないから勿論大会の多数決で何時何ん時でも出来ると解すべきだ。大会の年一回は定期だから臨時大会は何時でも幹事が召集し得る事と解釈出来る。
 尚各部門の細則は当然各部門で定められるが支部準則と大会細則は如何にして定めるか、別に定める事が規定され定める必要があるから其れは連盟事務の一部で、事務は幹事が処理するから幹事会で定めべきものと思ふ。
 序に総会で各部と其担任者とが挙げられ其担任者は当然幹事と云ふ事になり僕は庶務会計兼出版部担任となつた。他の担任者と同様献身的にやらねばならぬとなれば到底事実ヤリ切れぬ、ソコで僕から其為め一人を特に頼む事として其人選を幹事会に依頼し幹事会は松本淳三君を選定してくれた。で責任はトモ角事実出版庶務会計の事務取扱(従つて其幹事)は松本君であつて僕でない。
 出版部の主なる仕事たる機関の雑誌は『解放』ときまつたが之れも一言を要する。連盟と僕との協定は文芸一切は連盟の自由処分に任せるが評論思想其他文芸以外のものは旧態依然矣。併し此方も編集の実務は松本君がヤツてくれる筈。オイタがハゲしくて同居人が逃去すか騒ぎがヒドくて階下が引越すかは何れ時日が決定する。忘れて居た、各部の部員は担任(御担当と云へば囚人頭の言葉で面白いのだが)がキメる事になつたから出版部即編集部の部員には幹事と仮発企人たりし人になつて貰つた。其中から常任又は専務を松本君に頼んで貰ふ事になつて居る。
      三
 かくて一応は正統無産派文芸の理論が確立された。されなかつたら吾々は更に又其機会に有つであらう。
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正した。旧漢字は適宜新漢字に直した。>
<底本は、『解放』(解放社)第6巻8号70頁(昭和2年(1927年)6月1日発行)>
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