山崎君は去つた(吉田三市郎)


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山崎君は去つた
          吉田三市郎
 わが山崎今朝彌君は、遂に去つた。
 東京法律事務所の名物男山崎君は、私達と別れて事務所を出て仕舞つた。
 実に意外な出来事であつた、運命の神様の気まぐれにも程がある。と、神様のいたづらを恨まぬ訳には行かなかつた。
 けれども、今にして之を思へば、山崎君が出たのでもなければ、私達が出したのでもない、自然の成行であつた、山崎君は歩く可き道を歩いたのである。

 『それではさうしやうじやないか』
 かう言つて、皆んなが顔を見合せたのは去年の十二月廿八日の夕方、燈のつく頃であつた。
 『その方が山崎君としては本来の面目を発揮し得ていいだらう』
 誰かがかう云つた。
 それから暮の中に事務引継ぎの打合せや、清算の相談や、事務所引払ひの日取りなどがすらすらと決められた。
 大正六年一月八日に山崎君は東京法律事務所を引払つて平民法律所に移つた。

 『どうも君、山崎君は此頃チトやり過ぎるやうだね、堺君や大杉との往復が烈し過ぎるじやないか』
 『四谷へ越してから調子が戻つたよ、大杉とは隣りださうだし、山田嘉吉君の裏だと云ふので、アノ連中の集り場所だから仕様がない。越すと言つた時に何んとかすればよかつたのだがもう遅い』
 『事務所で社会主義の会をやると云ふじやアないか?』
 『君、なんとか山崎君に話さうじやないか』
 去年の、秋から冬にかけて、かう云つた談話が私達の間に繰返されてゐた。かう云つた話の出る度に私の心は事務所創立の当時を往来して。山崎君を入れる入れないは一寸問題であつた、好い人だ正直で親切で、仕事も神経質に熱心にやるやうだから其点は都合がいいが今の調子では困る。あの社会主義と、例のはがきを印刷する癖と、変人的様子とはなほらぬものだらうか。と、之れが問題であつた。
 山崎君がアノ調子で行くことは彼れ自身の為めにも決していいことではない、われわれが仲間に入れて、周囲から干渉してだんだんなほるものなら、なほした方が第一彼れの為めにいい、山崎君を呼んで話して見やうじやないか、是非変人調、社会主義でやると云ふのなら仕様がないが、止めると云へばいいじやないか。と、かう云ふ話が私達の間に交換されて遂に山崎君と、事務所創立問題の交渉が始まつた。山崎君が常になく、馬鹿に真面目な顔をして考へて、私達の希望を容れた其時の様子は今でも私の記憶に生きてゐる。
 事務所が出来て、私と山崎君と田坂君と三人は毎日一所に大森から新肴町の事務所へ通つた。『山崎君が愈々新らしい帽子を買つたさうだ』。『山崎君も此頃俗化した』。『山崎は馬鹿に立派な羽織を着て歩く』と云つたやうな話が一大事件でもあるかのやうに伝へられたり、如何にも滑稽な矛盾でも語るやうに笑はれたりしたのも、この時分であつた。
 社会主義を標榜した、加藤時次郎君の経営に係る平民病院が其姉妹事業として平民法律所と云ふものを始めると云ふ話が私達の耳に入つたのは十一、二月の交であつた。加藤君の友人である山崎君が、相談に与つてゐることも聞かぬではなかつたけれども、蓋をあけたのを見ると山崎君が堺利彦君と相並んで監督として広告されてゐたのは意外であつた。
 この頃、事務所では来年度の経営方針に付ての議論未だ決せず、雑誌改革問題も懸案になつてゐて、屢々会議が開かれてゐた。この時に山崎君の平民法律関係は問題になつた。社会主義は兎も角、又其目的が平民の権利擁護であるにしやうが、金持の事件は受けぬやうにしやうが法律事務所の一種である
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 同人山崎今朝彌君は年来の社会主義の為めに吾人と袂別せざる可からざることと相成大正五年十二月三十一日を以て当事務所 脱退せられ候間此段公告仕候也
 大正六年二月
          東京法律事務所 同人
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性質上競争事業である、其監督などになるのは道理に反する。又組合契約にも反すると云ふ考へが平民法律所を問題にしたのであつた。山崎君もこの道理を認めて、表面上監督の名を出すことだけは止めてもいいと言つてゐたが之れと相前後して、前から自然に問題に成つて来てゐた社会主義を、更めて問題にして来た、前からの私達の社会主義制限問題を、山崎君は社会主義公認問題として提出した。

 つらつら惟るに自分は社会主義を以て立つのが最も得策である、社会主義は自分の最もよく研究したものである、自分の趣味に合するものである。又社会主義ならば変人調子や、衣物や持物を取かへる必要もない。周囲の事情、友人の関係なども社会主義をやるのに都合がいい。で、自分は社会主義を以て立つから之を公認せよと私達に要求するのが山崎君の社会主義公認問題であつた。社会主義をやるのは碁将棋、酒、女、玉突、写真、謡曲、踊などの趣味若しくは道楽と同じことである、之を制限される理由はない、などとも言つてはゐたが、こんなことは、戯言半分でもあつたらうし、此要求が私達の中の或人々に対しては気の毒でもあり、又無理でもあると思つてゐたことを私は、知つてゐたやうな気がした。
 山崎君は、今年中に一切の問題がきまらなければ当然事務所を脱けたことにするなどと言つたり、退散届けなど云ふものを出して、皆んなを騒がせてゐたか例のいたづらと解されてゐた。
 かうして東京法律事務所では創立以来の大問題として相談や会議が繰返されてゐる間に平民法律所と山崎君の関係はだんだん密接になつて行つた。
<以上は、吉田三市郎氏(1953年没)が著作者である。>
<山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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