我輩の懲戒問題

我輩の懲戒問題
         山崎今朝彌
   一、『小僧判事』の蔭口
 で忽ち天下の同情を十身に蒐めた弁護士高木益太郎氏の法律新聞第千九百五十五号(三月十八日発行)に「山崎弁護士の奇異な上告趣意」と云ふ題で、又仲間が一人増へたそうな。
 米国伯爵、法学博士、医学博士、哲学博士、平民大学総長、其他色々の肩書を有する奇人弁護士山崎今朝彌氏は今回「民権新聞」に対する新聞紙法違反事件に付きて刑事上告趣意書を大審院刑事第一部横田裁判長に差出し、藤波判事主任となり、目下取調中なるが其趣意書中の一節に曰く
 若し之をして強いて安寧秩序を破壊するものなりとせば日毎日常の新聞雑誌は悉く秩序紊乱となり之を不問に付する全国の司法官は原審判事山浦武四郎殿、江木清平殿、西豊芳二郎殿三名を除く外皆偉大なる低能児の化石なりと云はざるを得ず、天下断じて豈に斯くの如き理あらんや云云、原裁判は真に呆きれて物が云へずと云はざるを得ず云云。
 猶同氏は曩に麹町警察の巡査某及び警部遠藤某とを傷害被告人として、東京区裁判所へ告発したるが萬一検事が右暴行巡査の氏名をさへ遠慮するが如きことありては由々しき一大事なりとて左の如き文面を葉書に印刷し塩野検事を始め諸方へ配布しつつありと。
 終りに、私は一月末日、陛下の赤子を態と公然傷害した麹町警察の巡査某(人物は判明し居るも署員の同盟罷口により氏名は不詳)と警部遠藤某とを告発仕り候(東京区裁判所塩野上席検事係)マサカとは存候も、その一検事が右暴行巡査の氏名さへも遠慮するなら、誓て遂には由々敷不祥事を続発せん、斯くては真に邦家の一大事、平素愛国の貴下は是非此点に特別の御留意と御監視とを賜り度此段得貴意候也・・・・・・山崎今朝彌
と云ふ記事が出ると、間もなく都下十数の新聞に、僕が其の為め又懲戒裁判に付せられたとかの記事が大々的に報道された。二三日我慢したが僕が遂々敗けて各社に。
   二、左記取消文を送つた
四五日前の貴紙上に、私の出した上告趣意書が過激だつたとの理由で、私が懲戒裁判に付せられた旨の記事が出ましたが、あれは途方もないウソ間違ひですから宜敷御取消を願ひます。元来私は懲戒されない事を左程名誉とも思つていませんから、懲戒された処が決して不名誉とも思ひませんから、此点では取消して貰ふ必要もありません、がアノ記事の為めに当然無罪になるものが有罪になつたり又は常に事を好み上を憚らざる不届者奴がなどと其筋からニラマレたりしては困ります、既に懲戒裁判があつたものと早呑込して四方八方から悔みや見舞を受けてるにも弱つています。元来アンナ無茶の判決を攻撃叱咤するにアノ位の文句を使用する事は吾々の権利であらねばなりません。思想問題に関しては大審院は下級裁判所より厳刑主義を採り、原判決を取消すなどの事はソレが仮令従来にない例であらうとも、コレに限つては必らず原判決が破毀され被告は無罪とならねばなりません。カヨウな確信の下に書いた私の上告趣意書少しは過激に渉つた点ありとするも一字一句、一句一節のみ読まず文章全体を読んで貰へば、ソウ大した問題になる程の不穏文書でない事は、私が誓て全国の司法官も保証する処であります。右全文御掲載の上全部御取消相成度し。
 然るに飽く迄非を遂げ我を通す新聞社は期せずして一致して此取消を出して呉れなかつた、依て私は貴誌を借り問題の論文と問題の上告趣意書とを発表して総てを解決する。
   三、問題の上告趣意書
一部大正十年(れ)九九号
   丹悦太、小川孫六上告趣意書
      第一点
 原判決が安寧秩序紊乱として判示したる被告署名の本件の記事は判示の如く自由?死?と題し、第一段に現代社会の幸福は所謂「ブルジヨアジー」のみの享くる所にして無産者は毫も顧られざる事を論し、其例として言論の自由は憲法に於ては保証さるる処なるも事実に於ては保証金なき「プロレタリア」は一新聞だに発行するを得ざる事を挙げ第二段に社会運動者が常に不法の圧迫手段干渉を受くる事、総ての法律規則が特権階級に有利にして無産者の保護に欠くる所ある事、罰則の適用も亦「ブルジヨアジー」には比較的寛大なる事を説き、末段に於て現在の特権階級は跌扈跳梁専恣横暴を極むるが故我等は全力を尽して無産者の為め暁鐘を撞かんとするものなりとの趣旨を述べたるに過ぎずして、事実全く其通り、少しの誇張も虚飾もなく、文詞用語も亦頗る冷静平凡、奇矯に失せず激越に渉らず、十数年来萬人均しく文章に演説に都鄙到る処に言ひ古され語り尽されたる有触れたる論議なるは、毫末も社会の平静を紊り共同の生活を乱すものにあらず、若し之れをして強ひて安寧の秩序を破壊するものなりとせば日毎日常の新聞雑誌は悉く秩序紊乱となり、之れを不問に付する全国の司法官は原審判事山浦武四郎殿、江木清平殿、西豊芳二郎殿三名を除くの外、皆偉大なる低能児の化石なりと謂はざるを得ず、天下断じて豈此の如き理あらんや。然らば原審が奮然と意を決して之れを安寧秩序紊乱と目し、新聞紙法第四十一条に問擬したるは不法も亦甚だしきもの、真に呆きれて物が言へすと云はざるを得ず、原判決は畢竟破毀を免れず被告等の無罪を信じて疑はず。
      第二点
 原判決は理由に於て「被告孫六は呉市に於て発行する民権新聞の発行人なる処・・・・・・同新聞第一号に自由?死?と題し云々の記事を掲載し被告人悦太は右記事・・・・・・に署名したるものなり」とのみ事実を認定し之れに新聞紙法を適用せり。
 然れども右事実の認定のみにては右民権新聞が果して出版法により発行する新聞にあらずして新聞紙法により発行する新聞なる事実明かならず、然らば原判決は犯罪構成の要件たる事実を完全充分に判決に掲げざる不法あり。
 仮りに判決に謂ふ新聞とは、当然一定の題号を用ひ定期に発行する出版物のことなりとせば、原判決には証拠に依らず事実を認定したる不法あり。蓋し原判決掲記三個の証拠には如何なる部分(証第一号は記事のみを採用したる点に注意)にも本件民権新聞が一定の題号を用ひて定期に発行する出版物なることを推知するに足る記載なければなり。
      第三点
 原審は法廷に於て検事の論告に対して起立せざる被告を退廷せしめ被告最終の供述を聴かずして裁判せり然れども公開を禁じたる法廷に於て聊か被告が我意を通し検事の論告の際起立せざればとて裁判の威厳を損するものにあらず、否却て斯る事にて判事が我意を通し意地を張り、悉く所謂児戯的形式的官僚的に出て、其特色を発揮して啀み合う方が却て裁判の威厳を損するものなれば、強制して迄も起立させべきものにあらず、従つて起立せざることは勿論起立せよとの説諭に従はざる行為と雖も之れを不当の行状なりと云ふを得ず。
 然らば之れを不当の行状なりして被告に退廷を命じ被告最終の供述を聴くことなく、こつそり審理を続け弁論を閉ぢたるは公判手続上重大なる違法あるものにして、原判決は此点に於ても到底破毀を免れず。
 大正十一年二月廿日
              弁護人 山崎今朝彌
大審院第一刑事部 御中
   四、総て無罪の判決
 右事件の大審院判決言渡は、延期に延期を重ねていたが、本日四日午後一時刑事第一部横田裁判長係りにて、『原判決を破毀す被告を無罪とす』との言渡があつた。之れで私の杞憂も、杞憂に過ぎなかつた事となり、全国の司法官にも愈々尊信が加つた訳である。マアよかつた。(校正の際追記)
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正した。旧漢字は適宜新漢字に直した。>
<底本は、社会問題資料研究会編『中央法律新報第二巻上』(東洋文化社)1054頁、底本の親本は、『中央法律新報』(中央法律新報社)第2年(大正11年、1922年)第8号12頁>
最終更新:2010年01月19日 23:44
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