東京弁護士会員平出修君


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東京弁護士会 平出修君
▲花が見える、美しい色だ、馥しい香だ、光が見える、赤い色だ、輝かしい閃だ、若い男の胸に先づ咲いた花は、恋であつた、先づ射し込んだ光は名であつた、血は幾度か湧き、心は幾度か踊つた、もし両ながら領し得た人があるならば、そは至大至幸のものであらうと自分は思つてる其頃も常にさう思つて居た、其後も常にさう思つてる、現今はどうであらう?、之は法律新聞記者の要求する問題でないから、答ふる必要があるまい
▲自分の様な、身体の弱い、従つて心の弱いものがどうして法律を学んだのであらう、それは自分を今日の位置まで養成し呉れた亡き兄の意思に遵つた丈けだ、どうして又弁護士となつたであらう(自分は弁護士と云ふものは、悪度胸の据つた人のする商売と解釈して居たのであつた)、単自分は東京に住み度かつた、唯それ一つである、そして三十七年二月以来、希望の如く東京に住まれる様になつたのは、偏に岸本先生と岡村先生との御陰であることは、自分が此問に対する毎に、常に第一に答へる処の詞の一つである、そして又弁護士は悪度胸がなくともやれる仕事であると云ふ確信を得たことも、茲に附記すべき必要事である。
▲自分は世に活きて居る以上は極めて汎き趣味界の空気を呼吸したいと思つてる、故に事務上必要なる法律書の外、政治、宗教、文学等の一切の書籍は、いつでも読みたいのであるが、中々読まれぬ、止むなく今は雑誌道楽をはじめて、毎月二十種以上の雑誌を通読してゐる、別に座右に置いて折々出して見る程の愛読書はない、尤も和歌の書殊に新派和歌の書と演芸に関する書とは、常に旅行鞄に収められてある。
<以上は、平出修氏(1914年没)が著作者である。>
<底本は、法律新聞社編『法律新聞[復刻版]』(不二出版)を用いた。底本の親本は『法律新聞』(法律新聞社)明治42年(1909年)9月25日発行、595号17頁。仮名遣いは原文のまま。旧漢字は適宜新漢字に直した。>
<平出修(露花)は、文人としても知られた弁護士である。大逆事件(幸徳事件)の弁護人としても名高い。山崎の自己紹介文が掲載された『法律新聞』の同一ページにたまたま平出の自己紹介文を発見したから掲載することとした。>
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