日本社会党


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日本社会党

 戦前期の日本社会党といえば、一般的には堺利彦らによる政党のことであるが、ここで紹介するのは山崎今朝弥を主幹者として結党された1人政党の日本社会党である。
 内務省警保局『特別要視察人状勢一斑第四』「第三款結社、第二章現ニ存在セルモノ」には、
「名称・・日本社会党
 組織年月日・・大正二年二月四日
 事務所・・東京市京橋区銀座二丁目
 主幹者・・山崎今朝弥」
とある。
 この日本社会党の「社則」は、
「第一条 名称ヲ日本社会党トス
 第二条 目的は憲政ヲ促進シ普通選挙ノ実行ヲ期スルニアリ
 第三条 以上」
(以上、上記同資料、同箇所より引用。)
という人を食ったものである。
 当局も、上記同資料で「右ハ主幹者山崎今朝弥平素ノ行動ヨリ察スルニ単ニ同人カ当局ニ煩累ヲ及ホサントスルノ目的ヲ以テ届出ヲ為シタルモノノ如ク組織当初ヨリ毫モ結社ノ実体ヲ存セス従テ何等ノ行動ニ出テタルコトナク全ク有名無実ノ状態ニ在ルモノ」と推測している。
 なお、森長英三郎氏は『「党則」とすべきを「社則」としたのも一種の韜晦であろう。』としている(森長英三郎『山崎今朝弥-ある社会主義弁護士の人間像』(紀伊國屋新書、1972年)108頁)。確かに、上記『特別要視察人状勢一斑第四』に掲載されている他の政党は「党則」としている。しかし、治安警察法第1条には、主幹者は「社名、社則、事務所及其ノ主幹者ノ氏名」を「届出ツヘシ」とあるから、「社則」とした山崎が正しい。この点は、いかにも弁護士らしいというべきか。
 結社届出以降、この「日本社会党」は継続して当局の監視対象となっていたようである。内務省警保局文書から、日本社会党についての記述を抜粋してみた。

「日本社会党ノ組織 山崎今朝弥主幹者トナリ大正二年二月四日「日本社会党」ト称スル政社ヲ組織セリ其ノ目的トセル所ハ憲政ヲ促進シ普通選挙ノ実行ヲ期スト云フニアルモ組織当初ヨリ何等活動シタルコトナク全ク有名無実ノ状態ニ在り」
(『特別要視察人状勢一斑第四』第五款行動、第一章東京ノ部、第三節時々ノ行動(18)より引用。)

「主義ニ関係ヲ有スト認メラルル結社トシテハ其ノ後新ニ組織セラレタルモノナク従テ其ノ現存セルモノハ第四編第三款第二章ニ掲クル「日本社会党」ノミナルモ同党ハ依然トシテ何等ノ行動ニ出テクルコトナク有名無実ノ状態ヲ持続セリ」
(『特別要視察人状勢一斑第五』第三款結社より引用)

「本人カ大正二年二月四日組織ノ届出ヲ為シ居レル彼ノ「日本社会党」(第四編第三款第二章参照)ハ依然トシテ有名無実ノ状態ニ在ルモ堺利彦カ選挙運動ニ際シ「日本社会党有志」ナル文字ヲ用ヰタルハ((A)ノ部参照)蓋シ該党ノ名義ヲ利用セルモノナラン歟」
(『特別要視察人状勢第七』第四各地ニ於ケル要視察人最近ノ言動、(イ)内地在住者、(1)東京、(K)より引用。)

「△山崎カ大正二年二月四日組織ノ届出ヲ為シ居レル「日本社会党」(第七編一三丁裏面五行以下参照)ハ依然トシテ有名無実ノ状態ニ在リ」
(『特別要視察人状勢一斑第八』第四各地ニ於ケル要視察人最近ノ言動、(イ)内地在住者、(1)東京、(I)より引用。)

「本期間ニ於ケル団体状勢ハ政社トシテ甲号山崎今朝弥ヲ主幹トスル日本社会党(大正二年二月四日届出)及甲号宮武外骨同厚田正二等ノ組織セル民本党(大正八年二月六日届出)ノ二アルモ何レモ其ノ名目ヲ存スルニ止マリ全然行動ノ記スヘキモノナク」
(『特別要視察人状勢調』(三)集団関係より引用。)
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