塩谷恒太郎氏と新井要太郎氏


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塩谷恒太郎氏と新井要太郎氏と
 明治四十年頃私が未だ狂かつた(他人の説に拠る)時分、信州の新聞やロンドンタイムスに大広告を出したと云ふので弁護士会の除名問題が起つた当時、故平出露花が飛んで来て「塩谷君が非常に憤慨してるから何んとか消火運動を講じたらどうだらう」と注意して呉れた、私は初めて東京弁護士会に塩谷と云ふ弁護士がある事を知つた。そして其人は弁護士会の長老で会の実権を握つてる人の様に感じた、私は露花に「問題の起るも承知の上だつたが今に誰か僕の処へ来て見れば問題は消滅するから心配して呉れ給ふな」と答へた、案の条、僕が其当時迄前例のなかつた、米国の華族になつた腕でも、東京を喰詰めて田舎へ逃げた時分には是を問題にする者もなかつた、其後東京法律事務所で東京監獄へ無料相談部の派出所を出した時も、興信所の報告に依れば、所謂差入屋弁護士以外の人で風紀問題で騒いだのは塩谷弁護士位の者だつた、此時も私は何小さな事件を分けてやる様にすれば問題は消滅すると、高を括つたが、事務所で小事件を外へ出す様になつたら、問題は流れて仕舞うた。会館や裁判所で塩谷弁護士に会ふと、私は何時でも大西郷頭山満河野農相等を連想し何となく愉快と親しみを感ずる。以上の事実を彼是綜合して之を考覈すれば塩谷新会長は所謂正義清節高風の好々爺で兎もすれば人に致され利用さるる目の利かぬ人、過てば逆賊となり城山の霧とも消え兼間敷人と思ふ。
 卜部さんが弁護士の副会長となつた時、私はこれは適切り赤門策士の悪戯だと思ひ、私かに憤慨した、然るに後に至り卜部さんが非常に(マサカ非常でもあるまいが)喜んだと聞いた。花井さんが弁護士会長に当選した時私は、永々意地を焼かせたから屹度辞退をするだらうと独り極めた、然るに何少々の運動の傾きがあつたと云ふ人を聞いた。大隈伯が此度こそ侯爵を突つ返して大に溜飲を下げて呉れるだらうと思ふたら早稲田出の者を呼んで大に爵位の有り難さを語つたと聞いた。由来浮世の事は到底常識では判断がつかぬ、果して然らば、新井新副会長の当選は大に祝すべき理由がある、君はどう見ても我々と人種を異にせる桃李倶楽部の幹部とは肌合の合ふ人ではない、君の態度歩行振り物言ひ振り顔の色皆日本人そつくりだ。桃李倶楽部が副会長にするに二つの方法があるらしい一つは運動上手の者を順番出世にする事一つは異人種の骨抜方法、君は此後者に編入されたらしい、折角注意して人間を保たれ度い、君が駄目なら評判のよかつた石山副会長の二代目は又当分来そうもない。
<山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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