所謂男根事件の珍裁判


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所謂男根事件の珍裁判
 横浜始審裁判所判事寺尾亨が、神奈川県高座郡倉見村農[甲野太郎][花子]夫婦間の男根不能婚姻取消請求事件に付き下したる、婚姻は素と単に肉体の快楽を得るを目的とせざれども其主たる目的は、人類の継続を謀るものにして其快楽は造物主の命ずる処なれば、完全なる快楽は天与の道理に適せざるべからず、然るに被告は結婚前より陰萎病に罹りしことは自ら認むる所にして原告も最初より之を知りたらんには婚姻を承諾せざりしこと明なり、因て被告は原告の請求に応じて離婚すべきものなり。との判決に対し、東京控訴院評定官鳥居断三木村喬一郎伊藤悌治は(代言人渋谷慥爾、皆川広済)明治廿三年二月十日左の判決を為たり
 本案被控訴人の主張する処は要するに控訴人[太郎]の交合不能者なることを知らずして結婚せし者なるが故に之を取消さんとするに在り、夫れ如此理由を以て結婚の無効を主張せんと欲せば先づ控訴人が交合不能病者なることの確証を挙げ次に其不能の治癒すべからざることを証明せざるべからず然るに被控訴人は結婚以前より交合不能なりし事実を証明すること能はざるのみならず其不能の原因は生殖器の奇形等外形に於て一目瞭然たるが如きものに非ざることは事実上明白なるを以て少なくとも二三年間同居して果して交合不能なりや否やを確めざるべからざるは当然の事なるべし。然るに被控訴人は事此に出でず、明治二十年十一月中に結婚し翌年五月に至り疾く既に其居を別にして同年九月出訴したるが如きは早計に失するものと謂はざるべからず、且甲第一号証に拠れば控訴人[太郎]は生来虚弱なりしが医療に依りて全治し身体強壮と為り、明治十九年の春腰部に疾病を発したれども是れ亦軽快を得二十年三月頃より旧病再発し云々とあれば、縦令結婚の当時陰萎せりとするも是れ一時の疾病に因れるものと見るべし、且医科大学の鑑定及び乙第二号証に拠れば甲第一号二号証の病症は最早治癒せしものなれば、被控訴人は到底[太郎]の交合不能の病は治癒すべからざるものなりとのことを証明すること能はざるものと謂はざるべからず、被控訴人は医科大学の鑑定第六問答に将来交接不能の病再発の虞なきを保し難し云云とあるを取りて議論すれども此の如きことを本訴の理由となすことを得ば、生者必ず疾病なきを保し難きを以て夫婦の結合は一日も安全なること能はざるに至るべし
 抑も我邦従来の慣行に拠れば、婦は一たび夫に嫁したる以上は容易に婦より離婚を請求することを許さざるは、社交の原則なりしも近来世界の趨勢を参照し、萬已むを得ざる事情の存するときは或は其請求を許す傾なきにあらずと雖も、本案の如く僅に結婚の当時肉体の交接を為すこと能はざりきとの理由のみを以て離婚の請求を為すが如きは、実に社交原則に背馳し夫婦の大倫を乖乱するの緒を啓くべき訴訟なりと謂ふべし故に被控訴人[花子]の請求を棄却す
<[ ]内仮名>
<山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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