人智の発達に伴ふ法律解釈方の進化に就て

「人智の発達に伴ふ法律解釈方の進化に就て」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

人智の発達に伴ふ法律解釈方の進化に就て」(2009/10/25 (日) 20:41:04) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

人智の発達に伴ふ法律規則解釈方の進化に就て  私が法律学校の学生時代には谷中村事件で有名の足尾銅山鉱毒問題があつて世間が非常に騒いだ。政治に興味の無い私は、人の騒ぐ憲法問題人道問題政治問題に気乗りがせず、之れを法律問題として、被害民を原告とし訴訟費用の救助を受けて、足尾銅山の営業主古河王を被告とし、特に注意を要する除害工事の設備不完全即ち工事に対する相当注意の不足を理由とし不法行為を原因として、損害賠償の請求を起したら面白からふと提唱した。処が恁んな突飛乱暴の議論は書生の議論だとて誰一人耳を傾けて呉れる者はなかつた。先生の講師に質疑しても相手にはせず、どの雑誌に投じても申合せをしたかの如く皆一列に没書となつた。併し其後浅野セメントの降灰問題時代より、学者がソロソロ工業施設不備に起因する損害の責任を論究する傾向を生じ、実際問題としても屢々訴訟が起り、判例も出来る様になつて、今では此穏健平凡なる通論には誰一人疑を懐く者はなくなつた。私は時々当時の原稿を取出しては独り鼻を蠢かす。  明治四十四五年は米価の昻騰其極に達した。正米商岩崎清七中村清蔵濱野茂等の買占が其主たる原因を為した事は、当時の新聞紙に其買占の方法本人等の手柄話騰貴の程度等が詳報された記事に依て明かである。併し政府は之れに対して米穀取引所の立会を停止した位の事しか為なかつた。  明治四十五年夏私の処へ、京橋小田原町の車夫小更松太郎と老車夫の恩人で労働者の味方と云はれた、社会党の故野澤重吉とが来て、買占の為めコー米が高くなつてはやり切れぬ、吾々労働者の為め何んとか出来る方法は無きものかと相談があつた。私は物の買占は当然物価の昻騰を来し、物価の昻騰は自然他人の生活安を侵す、利益の為め他人の生活を害するは必要にあらず、必要なく他人の利益を損するは不正なり、不正の行為により他人の権利を侵害したる者は其損害を賠償せざるべからずと云ふ見地より、二人を勧め同志を語り証拠を添へて、三人に対して損害要償の訴訟を提起した。処が当時法律界の権威『法律新聞』が堂々と極力此訴訟に反対したる為め、同志弁護士に異論が起り次に原告等の憤慨となり遂に訴訟中止の止むなきに至つた。  社会は進歩し人智は発達す。寺内内閣は遂に成立した。併し物価は依然と昻騰し、買占は当然と続行した。此時此際政府は断然買占売惜を禁じ之れを処罰する規定をさへ設けた。蓋し、今や『法律新聞』が其社説に於て理路整然之れを論断するが如く、買占売惜の行為は自由競争場裡に於ける腕力の如く国家社会の公安秩序に危険を与ふる不法行為にして、吾人は之れに対して民法上の損害要償権を有するのみを以て足れりとせず、宜しく之れを禁止し之れを処罰すべきものなる事、何人と雖も殆んど一点の疑を存せざる所なればなり。私は実に今昔の感に堪へない。(六、九、一五) <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。