3.19・判決(大正十一年(れ)九九号)・劃時代的の判決

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判決(大正十一年(れ)九九号)           小川孫六           丹悦太  右新聞紙法違反事件に付、大正十年十二月二十六日広島地方裁判所に於て言渡したる判決に対し、各被告は上告を為したり。因て判決すること左の如し。       主文  原判決を破毀す  被告孫六、悦太は無罪  押収物件は差出人に還付す       理由  各被告弁護人山崎今朝彌上告趣意書に縷々陳述する所あれ共、要するに第一、原判決が安寧秩序紊乱として判示したる被告等署名発行の本件記事は「自由? 死?」と題し、第一段に現代社会の幸福は所謂「ブルジヨアジー」のみ享くる所にして無産者は毫も顧みられざる事を論じ、其例として言論の自由は憲法に於ては保障せらるる所なるも、事実に於ては保証金なき「プロレタリア」は一新聞をも発行するを得ざる事を挙げ、第二段は社会運動が常に不法の圧迫干渉を受くる事、総ての法律規則が特権階級に有利にして無産者の保護に欠くる所ある事、罰則の適用も亦「ブルジヨアジー」には比較的寛大なる事を説き、末段に於て現在の特権階級は跋扈跳梁専恣横暴を極むるか故、我等は全力を尽して無産者の為暁鐘を撞かんとするものなりとの趣旨を述べたるに過ぎずして、事実を事実として掲げ、些の膨張なく又虚飾なく文詞用語も亦頗る冷静にして平凡、奇矯に失せず激越に渉らず、十数年来萬人の文章演説に上り、都鄙到る所に行はれたる常套の論議なるを以て、毫末も社会の平静を紊り共同の生活を乱すものに非ず、原審が之を安寧秩序の紊乱なりとし新聞紙法第四十一条に問擬したるは違法にして、被告の所為は罪とならざるを以て、原判決は破毀を免れずと云ふに在り、依て案ずるに、帝国憲法は言論に関する臣民の絶対的自由を認めず、唯法律の範囲内に於て其自由を保障するに過ぎざるを以て帝国臣民は学術の研究、社会政策其他何等の名義を以てするを問はず、常に必ず法律の範囲内に於て言論を為す事を要し、其範囲外に於て言論の自由を享有する事を得ざるは勿論なり。然り而して新聞紙法は安寧秩序を紊る可き事項を新聞紙に掲載する事を禁じ、其第四十一条に於て刑罰の制裁を付するを以て、新聞紙に掲載したる言論が安寧秩序を害する時は、発行人編輯人は同条に定る刑罰の制裁に服従す可く、言論が安寧秩序を害するや否やは主として其当時に於ける社会観念を標準として客観的に之を決す可きものにして、其判断は社会状態の推移に依り自ら異らざるを得ずと雖も、国法を無視し国家の権力を否定し国民の道義心を壊乱し人の生命身体財産自由に危害を加ふべき事を以て、威嚇又は煽動し、暴力其他不法の手段を用ひ、又は急激に社会組織を変更し、其他一般に国家の生存発達を阻害し、公共の平和を撹乱するの虞ある言論は安寧秩序を害するものとして、新聞紙法第四十一条の制裁を当行す可きものと解せざる可からず。然れ共新聞紙に掲げたる記事が、単に現行制度の不備社会組織の欠陥を指摘して之れを攻撃するに止まり、何等不法の手段を用ひ又は急激に之を変更せん事を試むるものに非ざる時は、仮令其記事が社会の現状に不満を懐き、而も其前提に判断の誤謬あり事実の膨張ありて、其の措辞亦多少矯激に渉るものありとするも現在社会状態の安定を破壊する虞れ無き限り、未だ以て安寧秩序を紊乱するものと謂ふ事を得ず、従つて此種の言論は現行の新聞紙法上言論自由の埒外に逸したるものとして同法四十一条の規定を適用処断する事を得ざるものとす。而して原審が本件に於て被告が其発行人兼編輯人たり又は記事の署名人たる新聞紙民権新聞に掲載したりと認めたる記事は、要するに現代に於ける法律制度が有産者に利にして無産者は殆ど其保護に浴せず刑罰の適用も亦有産者に寛大にして無産者に厳なるのみならず、社会の現状も亦特権階級独り其の勢力を擅にするものなりとして、現代に於ける法制並に其適用を難じ、所謂特権階級を呪咀したるものなる事は疑を容るるの余地無く、其の罰則の適用、例へば「ブルジヨアジー」には寛大に「プロレタリア」には峻厳苛酷を極むと謂ひ、特権階級は跋扈跳梁専恣横暴を極むると称するは、詭激に失し、論旨穏当ならざるに拘らず尚社会の現状に対する批評の範囲を脱せざるものとす。而して此の記事は「我等は全力を発揮して無産者の為め暁鐘を撞かんとするものなり」との結論を掲げ、民衆の覚醒を促かし、暗に自己の利益を保護するの策を構ず可きことを諷したるに過ぎずして現社会に対し不穏の挙に出づべき事を以て挑発又は煽動したるものに非ざるを以て、其の記事は未だ以て社会の安寧秩序を紊るの程度に達せざるものとす。故に本件被告の行為に付ては刑事訴訟法第二百二十四条に依り無罪を言渡すを相当とす、然らば原判決が事茲に出でず、之を新聞紙法第四十一条に問擬処断したるは擬律の錯誤ある違法の裁判にして論旨は理由あり、原判決は破毀を免れず。  第二、原審は法廷に於て検事の論告に対して起立せざる被告悦太を退廷せしめ、被告最終の供述を聴かずして裁判せり。然れ共公開を禁じたる法廷に於て被告が聊か我意を通し、検事の論告の際起立せざればとて裁判の威厳を損するものに非ず、又判事は被告を強制して迄起立せしむ可きものに非ず、従つて起立せざる事は勿論、起立せよとの説諭に従はざる行為と雖も之を不当の行状と謂ふを得ず。然らば不当の行状なき被告に退廷を命じ、最終の弁論を聴かずして弁論を閉じたる原審は公判手続上重大なる違法ありと云ふに在れ共、公判廷内に於て秩序を維持するは裁判長の職権に属するを以て、訴訟関係人は秩序維持の為にする裁判長の命令に服従する義務あり。而して刑事裁判所に於て裁判長の被告人を訊問するに当り、又は検事の公訴事実の陳述若くは法律及刑の適用に関する意見の陳述を為すに当り、裁判長が被告に起立を命ずるは従来久しく慣例の存する所にして、此の慣例は特に法廷の威厳を保全し、静粛なる秩序を維持するを目的とする法規の精神に適応するものにして、毫も法律に違背するものに非ず、従つて此正当なる慣例に基き起立を命じたるに拘らず、被告が故意に此命令に従はざるは、裁判所構成法第百九条に所謂不当の行状を為すものに外ならず(大正五年(れ)第二三五〇号事件同年十二月十一日判決参照)原審公判始末書を査するに、公判に於て事実取調終了後の弁論としての論告を為すに際し、裁判長より被告悦太に起立を命じたるも、検事に対し敬意を表する能はざる旨を唱へて起立を肯せず裁判長は被告人の起立は検事に対し敬意を表する所以に非ず一に法廷の威厳を保持せんとする事を諭示し起立を命じたるに、被告人悦太は頑として起立の命令に服従せざるものなるを以て、前記被告悦太の法廷の挙動は、裁判所構成法第百九条一項の不当行状に該当するものと謂ふ可く、原審裁判長が悦太を退廷せしめたる上、対席として公判手続を進行し審理を終結したるは、即ち裁判所構成法第百九条第一項及刑事訴訟法第百八十二条第二項の規定に遵拠したる適法の処分にして訴訟手続上何等の違法なきものとす。故に論旨は理由無し、但し其余の論旨に対しては説明を為す必要を認めざるを以て省略す。  右の理由なるを以て原判決は之を破毀し、直に本院に於て判決す可きものとす。依て原審の認めたる事実を法律に照すに、被告両名の行為は罪とならざるを以て刑事訴訟法第二百二十四条に依り、被告両名に対して無罪を言渡す可く、又押収物件は同法第二百二条に依り差出人に還付す可きものとす、依て主文の如く判決す。  検事溝淵孝雄干与  大正十一年四月四日           大審院第一刑事部           判事 横田秀雄、水本豹吉、平野献太郎、藤波元雄、相原祐彌。 劃時代的の判決  此判決は色々の点でエポツクメーキングのものである。従来大審院の判事は年齢のせいか、下級裁判所の若い判事が、青春の血を湧かさせ人を挑発するから風俗壊乱なりとの理由で、有罪とした記事を無罪とした例はあつたが、新時代を了解し、之に共鳴する事の出来る新進気鋭の青年判事が、秩序紊乱の記事にあらずとして原審で無罪を言渡した事件は直ちに之れを有罪とするに極まつていた。然るに此大審院の判決は、一審二審共有罪であつた秩序紊乱の記事を思ひ切つて無罪とした。又書き直すは大儀だからと云ふ訳でもあるまいが、従来大審院は弁護人の提出した上告論旨は其趣意書と一字一句も違へず之を判決文に引用する事になつてゐた。然るにコレは又極めて上手に敵の戦略の裏をかいて、裁判所の欲しない厭な文句は判決文に載せずにすむ事を発明した。即ち例へば「縷々陳述する所あれ共」を以て「偉大なる低能児の化石」や「真に呆れて物が言へずと云はざるを得ず」を葬り、事実全く其の通りを、事実を事実として掲げ、とやつて退けたるが如し。此判決あつて後秩序紊乱事件に付き下級裁判所の態度は可成りガラリと一変し此の理由の理由で無罪になる被告も多かつた。今考へてみると、判決言渡の延びたは、懲戒問題を起さなくとも裁判所の威厳に差支へない様に判決文を作る為だつたのではなかつたかとも思へる。尤もコレは、此判決に関係した某判事が、某席上で某弁護士に、ホントに検事局ではアンナ事を問題にして騒ぐかね、と如何にも却て結果を悪くして困ると謂つた風な態度で話したと云ふ話しをきいたからでもである。(本年になつてきいた話であるが、去年の暮大審院で新人会機関誌「ナロード」の新聞紙法違反上告事件の公判があつた際、係りの小山検事は、矢張り此の判決に引いて此判決以来下級裁判所の判事が矢鱈に無罪にして困ると、二時間も論告をしたとの事である。「ナロード」は其為めか、一審二審無罪であつたが大審院では罰金百円宛になつた。-此括弧内の頃大正十二年一月追記) <山崎今朝弥著、山崎伯爵創作集に収録>

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