反逆者の立場から

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反逆者の立場から          山崎今朝彌    一、成功謝金に就て  弁護士が成功謝金廃止に反対する理由ほど理由のないものはない。が其廃止を主張する理由も亦負けずに理由がない。弁護士界の反逆者を以て自任する我等は、弁護士会の決議に反する高柳教授の意見を朝日新聞で見たとき、矢鱈に嬉しくて堪らず、充分敬意を表して之を熟読したが、遺憾ながらコレは成程と思へる程の理由を読めなかつた。教授の所論筋道は長いが之を要するに、弁護士は公職であるのに風儀が悪い、成功謝金を止めれば弁護士の風儀がよくなると云ふにある。僕は成功謝金がなくなつたからとて急に格別弁護士の風儀がよくなるものでもない、有つても無くても、毒にも薬にもなるものでない、ドツチでもよいことだ、が別に損になることでもないから、人が廃せと云ふなら止めたがよからうと思ふ。  一体世間の人が、弁護士の取扱ふ事件には皆成功謝金があるように考へてるは間違つてる。僕の計算では普通平均弁護士の取扱ふは  無料事件   二割  御礼事件   二割  得意事件   三割  虫喰事件   一割  飛込事件   二割 で、最後の飛込事件のみ成功謝金がある。虫喰事件は、虫喰の虫喰たる所以で時に或は費用を損する事さへも往々ある。御得意様の事件には極例外の者を除けば先づ成功謝金が無い、御礼事件とは無料事件に毛の生へた位のもので、時に或は菓子折一つが折々ある。即ち知る八釜しい成功謝金問題は実は其報酬の十分の二以下の問題である。而して其成功謝金も半分は成功せず、成功した謝金の半分は遂ひ取れぬが普通である。又報酬の歩合もサウ高いものではなく、到底吾々に歯の立たぬ、及びもない、何十萬と云ふ民事々件や之に匹敵する刑事々件の事は暫く之を措いて、普通千円以上一萬円以下の民事々件なら、終局迄一割以上二割以下の範囲で、之れを手数料と成功謝金とに振り割り、刑事々件では手数料成功謝金とも二百円なら悪くはないとしてある。之れ以上は所謂札附事務所の事で、依頼者は依然と警戒を要する。吾々は東京瓦斯会社で訴訟費用八萬円を計上したからとて、之れが皆既に一人二人の弁護士報酬になつたものだと速断する必要はない。  後金の成功謝金がなくなれば、前金の手数料が増へるは論ずる迄もなく、弁護士に損もなければ依頼人に得もない、成功謝金があればとて裁判の遅延する道理がない、寧ろ謝金欲しさに事件の解決を急ぐと云ふ理由があり得る。成功謝金が何で弁護士のスリ、カタリ、サギ泥棒、カツパライに関係あらんや。成功謝金欲しさに健訟乱訴があり得るなら、手数料に付ても同一であらねばならぬ。唯一の杞憂は弁護士の偽証教唆であるが、其れならモツト利害関係の深い当事者は常に偽証教唆者であらふか。最も多く大事件を取扱ふ一流大家は、常に必らずシツコク、コセコセ悪辣であらふか。僕にはどうしても、成功謝金が無くなれば弁護士の風儀が忽ち良くなり、営業が一躍して公務になると云ふ理由が造られぬ。  然らばナゼ我輩は成功謝金の廃止に賛成するか。僕の前述の議論には極少数の例外がある。其れは所謂上流社会の富豪金持のみの御用を達し自らも富豪金持となり、一般の社会民衆とは全く没交渉の人達の事である。之れ等の人達には、成功謝金制度の存続は、之れ等の人達と常に接触して其の事情をよく知る、司法省の役人や学者達の憂ふる如き弊害があり得る。之れが即ち、一般弁護士や一般民衆や裁判事務に少しも関係のない成功謝金禁止に我輩の賛成する所以である。併し心配は無用、司法省は近い内に弁護士法改正の委員十名五名を、公平に弁護士から挙げるさうだ、其の委員は必らず常例により一流大家若しくは其ノ使に甘んずる系統の人計りで、従て事は之れ等の人の都合のよい様に談笑の間に極まるに相違ない。併し其れも更に心配はない、弁護士法がどうあらうと、成功謝金がどうならうと、訴訟費用もなく弁護士も頼めない一般民衆に其れが一体何の関係があらふ。吾々は只ダマツて何時までも法律の公平と裁判の自由とを憲法で保障されて居れば其れでよいのだ。    二、地域限定に就て  全国の弁護士約四千、又其約半数が東京に居る。正確の見当は付かぬが、事件は東京が全国の何十分の一だらう。仮りに十分の一として、弁護士は今の四分の一で適当の割合となる訳だ。ソコで東京弁護士は随分多く全国を股に掛けて出稼ぎする事となる。一人の弁護士が事件を沢山取扱ふ事、来客が多くて裁判所へ出る時間が遅くなる事、弁護士が病気で仕事を休む事、等さへ訴訟を遅延させる、況んや多数の弁護士が内を外にして全国を馳け廻つたら、何と理屈を付けてもアツチでもコツチでも訴訟の進行を妨げるに相違ない。又其馳け廻る無駄な時間労力旅費は一体誰が損するだらうか。之に依つて是を見れば地域の限定に対しては全国の弁護士は挙国一致して之に賛成すべきである。併し人間は誰でも慾がある。  色々に世間は評判するが人の身代収入は中々一寸解らぬ、が弁護士から年々十何萬円以上の収入を挙げる者が東京に十人位はあらう、此人達の身にとれば地域限定は年々何萬円若くは十何萬円の問題である。ソコで東京弁護士の輿論は地域限定反対とならざる得ぬ。併し自分の事は自身が一番よく知つてる。金銭の事で身勝手の議論を立てるは日本では利己的だと卑しまれる。ソレに平素公職の手前もある。故に当然だが不思議にも東京では所謂大家が地域限定に親ら反対の声を揚げて議論をした者がない。併し其代弁者は露骨に大要コウ論じて無智の弁護士の輿論を煽つてる。第一依頼者が信頼する人を頼めなくなる、第二ソレでも東京弁護士が減らぬ、第三大家のみ事件が集中して多数の者が困る、第四地方出張事件が無くなり困るものは新進の人だ。  併し第一は多数の弁護士には自惚れだ、少数の金持及び少数大家にはソンな事もあらう、成程成金時代に東京から四五の大家を見栄坊から地方の区裁判所事件に連れ行き却つて重い刑を受けた等の話もあつたが、コレは必要ではない、イヤ僕に云はせるとドツチでもよい事だ、之れがため多くの不利不便を忍ぶ必要はない、のみならず謂ふ処のヘボ弁護士でさへ一般民衆には自由に頼めないのだ。第二は、前提が誤つてる、僕は必らず減ると思ふ。当座暫くは困る者間誤附く者もある、しかし、其中各裁判所で正確なる事件数の統計を公表すれば、人物の分布も自然適当に出来て、或は今の四分の一位迄に減るかも知れぬ。第三第四は、吾コソは一廉の弁護士なりと自惚れてる人達の、訳もなくゴマかされる利己的の議論だが、コレもスツカリ間違つてる。  僕は弁護士業を純然たる営業と解し、専ら其営業を道楽化せんと心掛けてるのみだから、天下国家の問題と事違ひ、事苟くも金銭に関する以上其説は大いに傾聴するが、コレは全く算盤玉のハジキ方を間違へてる。大家々々と云ふが、其大家が地域限定後にも全部必らず東京を去らないとも限らない。大家の東京事件は、地方出張のないときにヒマツブシではない。今以上事件集中にアセツたらボロが続出し、集中前既に大家でなくなる。又新進の人の地方出張事件もフヒになるには相違ないが、目前一二の事件が無くなつたとて、人員が今の二分の一若くは四分の一にも減つて、事件の割当が多くなる事も考へなくてはならぬ。地方へ分布する人の身になつても、此人達は今より前途有望で分布するのだから、寧ろ羨望の的となるとも、到底ベラ棒の人とはならぬ。  手品には種がある。欺くにも道がある。満身之れ栄達権勢の官僚も盛んに忠君愛国を高唱すれば、搾取飽く事を知らざる資本家も頻りに国利民福を説く。地域限定に関する東京弁護士会の輿論も畢竟、真実痛切に有害の関係を有する二三者の希望が多数民衆にとつて只さへドウセ不可能の業たる、『弁護士選択の自由』と云ふを口実に、疑心暗鬼営業上の恐慌来に襲はれたる一般会員の間に顕はれた輿論に過ぎぬ。盗人猛々しと雖も、泥棒にも尚三分の理あり。苟しくも堂々たる一個の輿論、豈又三文の価値なしせんや。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正した。旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、社会問題資料研究会編『中央法律新報第二巻下』(東洋文化社)1318頁、底本の親本は、『中央法律新報』(中央法律新報社)第2年(大正11年、1922年)第16号20頁>

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