山崎の弁護士懲戒事件

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山崎の弁護士懲戒事件  山崎は、懲戒事件を起こしている。その詳細は、山崎今朝弥著、森長英三郎編『地震・憲兵・火事・巡査』(岩波文庫、1982年。原著『地震憲兵火事巡査』(解放社、1924年))で山崎自らが語っているとおりである。  すなわち、広島県呉市の地方新聞『民権新聞』大正10年7月25日号に掲載された丹悦太の「自由? 死?」と題する記事が新聞紙法41条(安寧秩序紊乱)に触れるとして丹及び発行者兼編輯人小川孫六につき第一審、控訴審で有罪とされた新聞法違反上告事件について、山崎が提出した上告趣意書が「甚しく不謹慎なる言辞を弄したるものと謂はざるを得ず其行為は弁護士の体面を汚すべきものにして東京弁護士会会則第39条に該当する」として、大正11年6月12日東京控訴院において停職4月の懲戒判決を受けた事件がこれである(当時は弁護士自治は認められておらず、弁護士に対する懲戒は、弁護士会長の申告又は職権により検事正が懲戒訴追を検事長に請求し、管轄控訴院において懲戒裁判を行うこととされていた。)。  問題となった上告趣意書の文言は、「若し之をしも強いて安寧の秩序を破壊するものなりとせば、日毎日常の新聞雑誌は悉く秩序紊乱となり、之れを不問に付する全国の司法官は、原審判事山浦武四郎殿、江木清平殿、西豊芳二郎殿三名を除くの外、皆偉大なる低能児の化石なりと謂はざるを得ず、天下断じて豈此の如き理あらんや。然らば原審が憤然と意を決して之れを安寧秩序紊乱と目し、新聞紙法第四十一条に問擬したるは不法も亦甚だしきもの、真に呆きれて物が言へずと云はざるを得ず」(森長英三郎『史談裁判』(日本評論社、1966年)134頁より引用。)というものである。全文は中央法律新報第2年第8号に掲載されている([[我輩の懲戒問題]])。全国の司法官が「偉大なる低能児の化石」と言ったのが悪いというのである。この当時、弁護士は判検事より一段低い地位にあるとみられていたのである。  ここでは、『法律新聞』が山崎の懲戒事件について報じた記事を抜粋してみた。 (1)法律新聞1955号15頁(大正11年3月18日発行)  「山崎弁護士の奇異な上告趣意」と題して山崎の上告趣意書中に「偉大なる低能児の化石なり」(この部分傍線)という文言が含まれていることを報じている。 (2)同1966号7頁(大正11年4月15日発行)  「大正冤罪録」「明法官の平凡なる判決」という題目で新聞法違反上告事件の大審院判決(4月4日付)及び判例コメントを掲載するとともに、山崎が懲戒裁判に付されるであろうという記事が多数の新聞に掲載されていることを報じている。 (3)同1970号11頁(大正11年4月25日発行)  「山崎弁護士の懲戒裁判」と題して山崎が4月20日懲戒裁判に付されることとなったこと、及びこれに対する山崎のコメント(公判には欠席する予定であること、雑誌で意見を発表する予定であること等)を報じている。 (4)同1974号17頁(大正11年5月5日発行)  「院長牧野菊之助氏等に対する忌避申請」との題目で[[山崎の忌避申請書(5月1日付)]]全文を掲載している。 (5)同号18頁  「自由法曹団と山崎弁護士の懲戒問題」と題する記事で自由法曹団が山崎の懲戒問題につき5月1日弁護士会館で協議し、弁護士の言論自由を圧迫するものなので適当の方法で戦うべきであるとの意見があったこと、しかしながら山崎の要望により第一審は傍観の態度をとり判決を監視する事に決定したことが報じられている。 (6)同1980号16頁(大正11年5月20日発行)  「牧野菊之助外二判事に対する忌避申請事件決定と抗告」と題して、尾佐竹猛裁判官らによる[[忌避申請却下決定(5月6日付)]]及び[[山崎による抗告申立書(同10日付)]]全文を掲載している。 (7)同1987号12頁(大正11年6月8日発行)  「山崎弁護士の懲戒裁判抗告棄却決定」と題して、[[大審院の抗告棄却決定(5月27日付)]]全文を掲載。 (8)同1991号16頁(大正11年6月18日発行)  「山崎弁護士停職四月に処せらる」と題して[[東京控訴院による懲戒判決(6月12日付)]]及び[[山崎の控訴状(同13日付)]]を掲載。 (9)同1996号15頁(大正11年6月30日発行)  「山崎弁護士の懲戒と上申書」と題して、山崎が5月9日付で早急な裁判を求める上申書を裁判所に対し提出していたこと、更に口頭弁論期日を一日も早く指定するよう求める上申書(日付不明)を同様に提出していたことを報じ、後者の全文を掲載している。 (10)同1998号15頁(大正11年7月5日発行)  「山崎弁護士控訴取下」と題して、山崎が6月30日朝、「感ずるところあり」控訴を取り下げたことを報じている。  なお、新聞紙法違反上告事件については山崎の上告理由が容れられ、原判決破毀、無罪判決となっている(大正11年4月4日大審院刑事判例集1巻205頁。[[新聞紙法違反大審院判例]])。この判決が大審院刑事判例集に収録されていることからも画期的な新判例であることがわかる。  以上については、森長英三郎「山崎今朝彌懲戒事件」『史談裁判』(日本評論社、1966年)。同『山崎今朝弥-ある社会主義弁護士の人間像』(紀伊國屋新書、1972年)、山崎今朝弥著、森長英三郎編『地震・憲兵・火事・巡査』(岩波文庫、1982年)を参考にした。  

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