序章

 コリンがフィーリアと出会ったのは、村の禁忌とされる洞窟の中であった。

 暗く、じめついたその内部に恐る恐る入った彼が見出したのは、ボロボロの布を纏った一人の少女…それがフィーリアであった。

 彼女には感情が無かった。初対面だというのにその手を掴んでしまったときも、彼女は声を上げることも、眉をぴくりと動かすことすらなかった。コリンはとりあえず、彼が身を寄せている村の宿屋に彼女を連れて行き、日ごろ世話になっている姉妹、サリアンとポーニィに事情を説明していると。彼はこの少女の心を取り戻してあげたいと、心の底から思うようになっていった。

 それまでは彼は、自身が何かの力を持っているなどと考えたこともなかった。むしろ、臆病者としか思っていなかった。村の男たちにも、優しくはあるがそれほど気合のある男だとは見受けられてもいなかったし、その評価に別段腹を立てたことはない、むしろ満足していたと言える。そんな『無力』と思っていた自分が、初めて自身の意志で、力で、この少女をなんとかしたいと思ったのだ。

 それから彼の冒険が始まった。少女の彷徨っていた洞窟の奥へと進んでゆくことにしたのだ。彼女の記憶や心を取り戻すような何かがあるかも知れない。そんなことをサリアンやポーニィと話し合った結果であった。彼は今は村から去った、尊敬する冒険家から譲り受けた剣と盾を手にし、闇から生まれし凶暴なる怪物が蠢く洞窟の奥へと歩を進めてゆくのであった。

 その過程で彼は発見する。怪物との戦いを幾度も繰り返しながら…自分にも、力はあったのだ、ということを。初めはおっかなびっくり、引け腰気味で剣を闇雲に振り回していた彼だが、戦いの中で呼吸と間を見出し、今では自身の中で剣への自信がついたのを感じた。

 しかし、それよりも何よりも彼が力を実感したのは、初めてフィーリアに反応を呼び覚ましたときのことだ。

 「…綺麗な、音…」

 コリンが洞窟からみつけた、澄んだ音を小さくも美しく奏でる鈴を見つけてきた時のことだ。彼女の目の前でちりんちりん、と鳴らしてみせた時のこと。その温かみのある金属光沢が、鈍い光を湛えるだけの彼女の目に空ろに映っていたかと思うと…音を繰り返すうちに、鈴の光が飛び移ったように、フィーリアの瞳の中に宿ったのだ。

 自分も何かが出来る。それを達成感と共に確認したコリンは、更に彼女の心を呼び覚まさんと、より強い足取りで以って洞窟へと向かい出した。辛く苦しい怪物達との戦いなど、少女の次第に宿り行く美しい感情に比べれば、刺さったとげ程の苦痛も感じない。

 洞窟で見つけた些細なものですらフィーリアに見せては預け、彼女の感情を促す日々が続く。するといつしかフィーリアは、自分のことを「お兄ちゃん」と呼んでくれるようになり、外見とは合わぬ幼い、しかし純粋で可憐な笑みを向けてくれるようになっていた。

 日々積み重なってゆく、確かな手ごたえ。だが、手ごたえだけがコリンの今の目標ではない。彼女の心を完全に取り戻すまで…そのことをしっかりと心に刻んだ彼は、今日もいつものように、洞窟へと足を運ぶ。

 そしていつものように湿気と暗黒が支配する冷たい土の中を走り回り、怪物と剣を交え、フィーリアへの贈り物を見出さんと探索するのだろう。それが終わった彼は、疲れた身体を引きずりながら宿に戻れば、顔見知りの二人の姉妹の暖かい笑顔に迎えられ、そしてフィーリアの童心の笑みに心を洗われることになるのだ。

 …そう、それがいつものことであったのに。

 それなのに。 

1章


別に予兆があったわけではない。

太陽の沈まぬこの世界、イーディンは今日も快晴であったし、コリンの目覚めもすっきりとしたさわやかなものだった。

部屋から出ると、木目の綺麗な廊下をモップ掛けしていた短髪の快活な少女に出会った。

「おはよ、コリン」

にっこりと笑って挨拶をしてくれる、サリアン。彼女の朝は妹のポーニィと同様、早い。宿の主人をしていた父が亡くなってからは、二人がこの宿を切り盛りしているのだから。一方コリンはといえば、この宿に住み着いてはいるものの、ほぼお客様待遇だった。朝はゆっくりと寝過ごしているし、サリアンや農場を経営しているおじさん(彼の親族という意味のおじさんではない)から仕事を頼まれない限りは、あまり仕事をすることはなかった。というよりも、仕事をさせられなかった、というのがより正しいだろう。力も無い、度胸も無い、で見られていた彼は戦力外と見なされていたのだ。

それでも宿の姉妹が彼を快く受け入れてくれていたのは、彼の人柄に取り柄があったからに他ならない。だが、それだけで世の中を渡ってゆくというのはムリな話しであり、特にサリアンは時々コリンの不甲斐なさに呆れ、朝寝坊を揚げ足をとってからかうこともあったものだ。

だが今、サリアンはコリンをからかうことは無くなった。洞窟に行くようになってからというもの、サリアンはからかうどころか、コリンに大いに気遣いをしてくれていた。

「あんた、もっと寝てて良いんだよ? 昨日は随分遅くまで探索してたじゃない、身体に疲れが溜まると大変だよ?」

「平気だよ、サリアン。もうすっかり、この時刻に起きるのになれちゃってね。体のリズムを崩す方が、最近じゃ怖くなったよ」

コリンは以前に比べて、ずっかり起きるのが早くなった。といっても姉妹には負けるが、ずっかり負けているわけではない。

暫く二人は軽く会話を交わすと、コリンは今度は宿の受付の方へと歩いてゆく。そちらの方向にはフィーリアの部屋があるが、彼女はこの時刻はまだ眠っているので、コリンは彼女に声をかけにいくわけではない。朝食を作っているポーニィに声をかけに行くのだ。

「おはよう、ポーニィ。いい匂いのスープだね」

厨房で鍋を描き回している、エプロンに身を包んだ長髪のしとやかな少女に声をかける。サリアン・ポーニィの姉妹は髪の長さといい、性格といい、多くの点で対照的である。

「おはよう、コリン。昨日、農場のおじさんからいいお野菜をいっぱいもらったの。味も抜群だよ」

にっこりと笑うポーニィ。彼女とも軽く会話を交わすと、コリンは朝食が終わるまで宿の外に出る。宿の隣に生えている大木の木陰で、身体を動かすのだ。サリアンが声をかけにくるまで、腕立て伏せや腹筋、素振りを黙々とこなし、終わる頃には身は陽光に光る汗でしっとりとぬれていた。

軽くシャワーを浴びて食卓へと行くと、そこには既に座る三人の少女達…サリアンとポーニィ、そしてフィーリアがいた。フィーリアは少し前に起きたようで、ぼーっと瞼を開け閉めしていたが、コリンを目にするとぱっと眠気を瞬きと共に弾き飛ばし、にっこりと笑みを浮べた。

「おはよう、お兄ちゃん」

「おはよう、フィーリア」

朝食の場は、フィーリアの独壇場とも言える。最近の彼女はよく、眠っているときに見た夢の話を力を込めて語るのだ。今まで四つ目の怪物や白い煙を吐く人形などの話を身振り手振りを交えて語っているが、今回も同じように元気よく喋っていた。その様は彼女の外見に比べるとずっと幼稚な行動なのだが、しかし馬鹿馬鹿しいのではなく、純粋に微笑ましい姿であった。コリンは姉妹と共に彼女の話に耳を傾け、時折言葉が見つからずに詰まるフィーリアに救いの手を差し伸べながら、楽しい一時を過ごした。

食事が終わると、フィーリア以外の三人はそれぞれの忙しさの中に身をおく。ポーニィは食器を洗い、そのあとには受付の業務に。サリアンは部屋の掃除、そしてコリンは洞窟探検に出かけるのである。フィーリアはポーニィの皿洗いを少し手伝った後は、部屋で絵本を呼んだり絵を描いたりして過ごすのである。

コリンが洞窟探検への準備を満タンにして、宿の玄関口に立つと、三人の少女は彼の背中を必ず見送りに出てくる。

「ムリするんじゃないよ」

サリアンが力強い言葉をくれる。

「何か、いい発見が出来るといいわね」

ポーニィが柔らかい言葉をくれる。

そして、フィーリアが。

「がんばってね、お兄ちゃん」

素朴で元気な言葉をくれる。

三人の言葉からの温かみを心にしっとりと染み込ませたコリンは、ひとつゆっくりと瞬きすると。

「行ってくるよ!」

以前までの自分からは考えられないようなしっかりした口調で言葉を三人に残すと、心に染み込んだ熱が逃げないうちに、とでも言うのか、早足で洞窟に向かってゆく。

…そんないつもと変わらぬ朝を経て、彼と、そして少女達、特にフィーリアの最悪の受難の日が幕を開けた。

●●●

「…行ったようだな、あのガキは」

一方、村の酒場のカウンター席にて。濃い黒茶色のコートに身を包んだ男が、ぼそり、と言葉を漏らす。それは丁度コリンが宿から駆け出した時刻と重なっている。

「はい? 誰が、ですか?」

声が少し聞こえていたのだろう、マスターがこの客に尋ね返した。この昼のみの世界ではいつ酒を飲むかは人の勝手であるが、流石に皆が「朝」と呼ぶ時刻から飲む者はそうそういない。実際、酒場の客はこのコートの男ただ一人である。

彼は村の特産品である地ワインを堪能し、今3杯目である。彼はマスターの問いには答えず、全く関係の無い事柄を口に出す。

「しかし、夜のない世界ってのは嫌なもんだ。『大人の時間』の雰囲気がない」

「…『夜』…ですか?」

マスターはきょとんと聞き返す。昼のみの世界イーディンにはその言葉は存在しないのだ。それを見越していたように、男はマスターに説明してやる。

「お前たちがいつも空のてっぺんに見ている太陽が、地平線の下に沈む、暗闇の支配する時間のことさ」

この言葉を聞いたマスターは、顔に微妙な表情を浮かべる。嫌悪感を無理矢理押し込めていることは一目瞭然であった。

「変なこと、言わないで下さいよ。太陽が沈む、暗闇の時間だなんて。そんな恐ろしい世界、考えたくも無い」

すると男はけらけらと笑った、

「恐ろしい、か。確かに、恐ろしいな。死人達の時間だと言うやつもいれば、罪人の時間だとも言うやつもいるしな。

だがな、夜はそれ以上に人間に見返りをくれる。それが、『大人の時間』さ。だがこの世界は、その雰囲気もない。

つまりお前達は、さんさんと光が照る昼間っから、ブタみたいに発情して、女の膣(なか)にブチ込んで孕ませてる、ってことになるわけだ?」

マスターは何も言わなかった。ただ表情にはもはや無理矢理隠すこともなく、露骨に嫌悪の表情を浮べていた。これを見てまた男はけらけらと笑う。

「どうやら、嫌がらせちまったようだな。

…さて、俺はそろそろ動かなきゃならない。さて、勘定だが…」

それまで軽く笑っていた男の雰囲気が、その時、がらりと変わった。太陽が急激に蝕へと変じるように、明は暗に転じ、男のからかいの軽さは破壊的な重みへと転じる。マスターはこの変わりようにぎくっと身を硬直させる。

客はぎらぎらと破壊衝動の炎が揺らめく瞳に、マスターの意気のしぼんだ姿を映していた。その瞳が、にたりとまがまがしく歪む。

「釣りはとっておけ…

『ファ・イ・ラ・ッ』!」

男が最後に低く唸るように、しかし大気にしっかり根付くように唱えたそれは、呪文であった。しかしそれがどんな魔法を示すかということは、マスターは全く検討が付かなかった。故に彼は、カウンターテーブルの上をすさまじい勢いで渦巻きながら駆け抜ける、高温の炎の柱を黙って見ているしかなかった。

炎の柱は瞬く間にカウンターテーブルを炎上させる。それで飽き足らなかったらしく、その勢いのままに店の床へと這い進み、店内を暴れ狂った。店内は破壊の彩る暴力的な赤と、それに屈服された物質達の怨恨の黒とが巻き上がるようになる。想像だにしなかった事態にマスターはただただ身を竦ませて座り込んでしまったが…それは彼にとって最悪の選択になった。やけ崩れた天井が炎の塊となって彼に降り注ぎ、容赦なく押しつぶしたのだ。マスターは声を上げる間もなく絶命した。

酒場は一気に大火事へと化してゆく。暴れ狂う赤の光でローブを染めた男は、自身が作り上げた災厄を背に、狂気に歪みきった笑みを浮べながら大股で歩いてゆく。彼の目指す先にあるのは…コリンが、姉妹が、そしてフィーリアが生活の場にしている、宿屋であった。
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