双谷島小波の部屋

琴実:6/16 h


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……しかし、いったい何の用なのだろう?

 話しかけてもらってうれしい、と思う以前に何の脈絡もないのは不自然だ。

琴生「あの……」
遙「えっ、なっ、何?」
琴生「すみませんが、何かご用ですか?」
遙「よっ、用っていうか……話したいことがあるっていうか……ただ、一緒にご飯を食べたくなったじゃ駄目かな?」

 しどろもどろしていて、はっきりしない。
 それに、駄目かな? はないんじゃないかと思う。

琴生「あの……本当になんなんですか?」

 失礼かもしれないが、疑るようにして聞いた。
 小さい頃に、こういうコトでからかわれた、苦い記憶が頭をよぎる。

……つい身構えてしまう。

遙「えーとね……」

 遥さんはしばらく視線をさまよわせると、やがておずおずと切り出してきた。

遙「琴生さんが、捨て犬の世話をしている、みたいな話、聞いたんだけど、本当かな?」
琴生「捨て犬……」

 私に関してなら、たぶんあの橋の下の子で、間違いないだろう。
 実は、あの子のほかに捨て犬が、二匹や三匹いましたなんて話はない。
 見知っているとはいえない私と話しているせいか、遥香さんも緊張しているようだった。
 さっき妙に張り切った話し方は……たぶんそれの裏返しだ。
 その様子を見ていると、いつもの人と接するときに感じるような、不安な気持ちが払拭されていき、自分が落ち着くのがわかった。

……しかし、どうにも話し方はぎこちなくなってしまう。

琴生「はい……そうです……けど」
遙「あれ? やっぱりそうなんだ」
琴生「……それがどうかしたんですか?」
遙「えっとね、私の友達にノトさんっていう子がいるんだけどね、その子の飼っていた犬が逃げ出しちゃったみたいなの。黄色くて結構大きい、ラブラドール・レトリバーだって言ってたんだけど……」

 ノトさん……たぶん能登と書くのだろうか。

遙「それで結構前から、一緒に探してたんだけど、そんな時に琴生さんが橋のあたりで、捨て犬の世話をしている、みたいな話を聞いてね」

 私の犬が、そうなんじゃないかと思ったわけだ。

琴生「た、確かにそれは私だと思いますけど、でもたぶん、犬は違うと思います。そんなに大きくないっていうか、あの子、まだ生後六ヶ月もたっていなかったから……」
遙「……そうなんだ。じゃあ、まるっきり違うんだ。変なこと聞いてごめんね」

 それほどのことでもないのに、遥さんは両手をあわせて謝ってきた。
 しかし不思議なことがある。

琴生「あの、その話……誰から聞いたんですか?」
遙「えっ? もちろん、能都さんからだけど」
琴生「ええと……そうじゃなくて、私が犬の世話をしているという話です」

 あの橋の周辺は地形的にも複雑で、近くに大通りにも面したもっと広く大きな道もあるので、人通りは多くない。
 それに誰かが通りかかっていたとしても、橋の上をそのまま通過して終わりだ。

……通りかかった同じ高校の女生徒に見つかったとは、考えられない。

遙「男の子の友達……なんだけど、つい最近、あそこに琴生さんがいるのを見たって……伊吹優也くんって知ってる?」
琴生「……知りません。そんな人」

 首を振って答えた。
 男子生徒でも同じだ。男子だから、女子の私が橋の下でコソコソしているのを、見つけたとか、そんなこともないだろう。
 伊吹優也——聞いたこともない。交友関係の狭い私が、男子の名前など知っているわけもなかった。

琴生「あの……すみませんが、どうしてその人に聞かないんですか?」

……私の姿を見たということは、当然犬の姿も見ているんじゃないだろうか?

 私にわざわざ尋ねるよりも、その人に聞いた方が圧倒的に楽だろう。

琴生「……結構親しい仲なんですよね?」
遙「うんっと……親しいには親しいんだけどね……でも、もう聞いたっていうか……」

 最初と同じく、またもや遥さんは困ったような赤い表情をすると、もごもごと口ごもってしまった。

琴生「あっいえ……えっと、これは無理に答えなくてもいいです」

 理由を聞いてみたくもあったが、これ以上追求するのはやめておいた。
 正直な話、変な問答しかしてなかったようだが、久しくしていなかった他人との会話に、、私は充実した感じがしていた。
 途中で緊張がほぐれた分、わりかし普通の受け答えができたような気もする。

……犬のことを訊きに来た遥さんは、話が終わった後に、すぐにどこかに行ってしまうような気もしたが、最後まで私と一緒に食事をしてくれた。

 少しばかりたどたどしくなりながらも私たちは、例の犬のことから、自分のことや学校のことなど、高校二年生の女子が話すような内容の会話で、笑いあった。

遙「それで? その子にはなんて名前を付けたの?」
琴生「えっと、特につけてはいません。一匹しかいないし……」
遙「名前つけないのはよくないよ。ちゃんと認めてあげないと可哀想じゃない。えーとじゃあ私がつけてあげるね。うーんと……ボン太くん!」
琴生「……なんだか、暑苦しそうな名前ですね」

………。

 食事が終わった後、遥さんは、また、一緒に食べようねといって、数5の教室を出て行った。
 彼女とは同じ学年だが、受ける講座が違うのだ。
 時計で時間を確認すると、もう授業が始まる時間で、図書館に行くような暇はなくなっていた。
 久々に、一人で図書館に行くこともなく、同時に久々に楽しかったと思えた。

 シーン「教室」

………。

 五時間目の授業も終わりを迎えた。
 家に帰ってもすることはないが、学校が終わり、一番ほっとする時だ。
 鞄を背負って廊下に出た。

 シーン「道(昼)」

 一日の授業が終わって、一番最初に下校するのは、いつも私だった。
 校門の周りを見回してみても、まだほとんど帰ろうとしている人はいない。

……みんな、そんなに学校でやることがあるのだろうか。

 授業が終われば学校にもう用はなくなる。
 部活にも入っていないし、一緒に遊ぶ友達もいない。

………。

 まだ日は高く、太陽があたりをさんさんと照らしている。
 その日差しの中をーーそれでも私はとぼとぼと、一人で家にと向う。
 朝、この道を学校へと向かって登校してくるときには、いつも憂鬱に感じている。
 学校に行ってもすることは何もなく、私はただ、無感動に動く心を持たない人形のように、過ごしていくだけだからだ。

……しかし、だからといって家にと帰るのがうれしいわけではない。

 学校へ向かうときほどいやなわけではないが、家に帰っても結局することがないという点では、同じことだ。

……家に帰っても、おそらく誰もいないだろう。

 家族がいないわけではもちろんない。
 母と父と、そして兄がいる。
 両親は、仕事でいつも帰るのが遅い。
 夜も十分更けたような頃に人知れず帰ってきて、朝、私が目を覚ましたときには、すでに出かけてしまっている。
 顔を合わせることなど滅多にない。
 兄さんの方はよくわからない。
 大学に通っているのか、仕事に就いているのか、それとも無職なのか、そういうことすらも全くわからない。

……ただ、両親と同じく、滅多に家にいることはない。

 いつの間にか家の中から姿を消していて、時々——ふとたまに、部屋の中にいるだけなのだ。

……だから私は、家に帰ってもひとりだ。

 シーン「家(夜)」

………。

 玄関をくぐって、家の中に入る。
 中は殺風景で、片づける人が誰もいないので、乱雑に散らかっている。
 広い割に誰もいないからか、生活臭というものが全くしない。かき分けるようにして自室へと向かう。

……だんだんと、頭の中がぼやけてくる。

 家の中にいると、自分でもそうとわかるくらい、何も考えることができなくなる。
 視界も薄まぶたで世界を眺めているような、狭く、曇ったようなものになって、曖昧になる。

……どうしてそんなにぼんやりとしてしまうのか。自分では分からない。

 ただ……ここにいれば、考える必要がなくなるからかもしれない。

 シーン「部屋(夜)」

………。

……部屋の中は暗いが、電気はつけない。

 鞄をおろして、ベッドに腰掛けた。
 ここにいて、殻のように閉じこもっていればなにもしなくてもいい。
 そしてーーそれは楽だ。
 それは眠くなるような感覚に近い。
 閉め切った部屋の中なのに、何処からか風が吹き込んできて、体が冷やされるような心地を抱く。

……手足を丸めてうずくまった。

 シーツをたぐり寄せる。
 こうしている間にも、だんだんと意識は削られていく。
 頭がぼんやりとしてくる。
 自分が何処にいるのかも、明確に感じ取れなくなる。
 思考能力が奪われていく。
 奪われていく。

……誰に?

 ただ……何も考えなくて良くなる。
 やはりそれは楽だ。
 ベッドに横になって、最後に意識がなくなるのを感じた。