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産院の窓からは青い空ときらきら光る入り江が見える。僕はといえば日がな一日大きくなったお腹を撫でている。とても幸せな気分だ。
1人部屋の壁にかかった風景画は、ここの婦長さんが持ってきてくれたものだ。
僕がこの部屋に入るまではそこに鏡が掛けてあった。そこだけ壁の色が違って寒々しいからと、わざわざ蚤の市まで足を運んでくれた。
彼女は心の温かい人で、こんな時期に嫁ぎ先を飛び出して来た僕は最初叱られもしたけれど、とても感謝している。たまにマカみたいな言い方をすることがあって、それがなんだか可笑しい。
とろとろとまどろんでいたら、髪の毛を引っ張られる感触で目が覚めた。ラグナロクがまた僕の頭で遊んでいる。
当分の間鏡は見ないと決めてから、僕の髪を梳くのは彼の仕事になった。不便だけど、こっちが呼び出してもいないのに勝手に回線を開いては
「生きているのが辛い」
「リアルに欝になりそう」
「もう死んでしまいたい」
「来世は豚になりたい」
とわめき散らす偏執狂の顔を見ずに済むのでそうしている。

子供ができたとわかってから、僕の旦那さんの暴走といったらなかった。

まず、僕の部屋を壁紙の柄から壁の中の電気配線まで、ありとあらゆる要素がシンメトリーになるように(僕には無断で)改装した。
飲まなきゃいけない薬やサプリメントがあるときは電子天秤で計量して、必要量より100分の1グラムでもオーバーしていると大騒ぎした。
僕の部屋の窓からはデスシティの目抜き通りが見えるのだけれど、
両脇の歩道に並んだ街灯が一箇所だけ片側にのみ設置されているのが許せないと言ってデスキャノンでへし折ろうとした。
(これにはリズとパティが協力しなかったので、未遂で済んだ)

舞い上がって奇行を繰り返す彼を僕は宥めたり叱ったり、たまに殴ったりしていたのだが、
そうしている間にもお腹はどんどん大きくなるし、つわりはますます酷くなるしで、僕はとうとうまいってしまった。
そんなある日、出勤前の旦那さんが、子供の名前は回文になるように付けようと思うのだが、と鼻歌交じりに言った。
僕はその日のうちに荷物をまとめてデスシティを出た。
付き添ってくれたリズがついに飛行場のラウンジで泣き出した時のことは、800年経っても忘れないだろう。

すっかり日が傾いて、オレンジ色に輝く海がとてもきれいだ。
ものを知らない僕はこんな時、きれいだという意外に言葉を持たないけれど、
お腹の中にいる君にこの気持ちが伝わればいいと願う。
それにしても本当に美しいところだ。
そうだ、君が生まれたらアパートでも探して、この近くで暮らそうか。
ここなら魚も野菜も安くて新鮮なものが手に入るし、小学校もあるし。
ラグナロクがいるから、僕一人でも力仕事ができるよ。悪くないかもしれないな。
ああ、だけどそんな事をしたらリズとパティはどんなにがっかりするだろう!
君が家族になるのをとても楽しみにしているから。
君が女の子だったら、リズはボーイフレンドの選び方を、パティはデスシティ中の秘密の抜け道全部、君に教えてくれる約束なんだ。
(じゃあ男の子だったら?って聞いたら、それは秘密なんだって。なんだろうね)
君も絶対に僕の姉さん達を好きになる。二人だけじゃない。僕の友達。僕の仲間たち。
君に紹介したい人が沢山いるんだ。だから君も、その日を楽しみにしていて。

明日はマリー先生がお見舞いに来てくれるから、天気がよければ庭に出てみようか。
久しぶりにお化粧をしよう。鏡を見ることになるけど、まあいいさ。
そうだ、お化粧はマリー先生にお願いして、鏡はそのあとにしよう。なんだかあべこべだ。
今度は鏡がほしいって言ったら、婦長さんは呆れるだろうか。いや、大笑いするかもしれないな。

「お父さんには、もっと魂を強くしてもらわないとね」
そう言ったら、返事みたいにお腹の中がぽこんと動いた。

空がものすごいピンク色に変わっていく。夕焼けの太陽は魂の光に似ている。
僕は今、とても幸せだ。

~了~





著者コメント


一部にサイコホラー的表現を含みました事をお詫びします
最後の台詞を言わせたかっただけですが、無害です