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法律的な観点


盗作とは


作品(著作物)は宿命的に多かれ少なかれ先人の影響下で作成される。
そのため、過去の作品に似ているからという理由だけで必ずしも盗作として
扱われるわけではない。

著作権法は著作物を
「思想または感情を創作的に表現したもの」
と定めている(著作権法第二条)。
したがって表現に著作者の独自の個性があれば盗作ではないと見なされる。

【言葉】盗作
著作権法に「盗作」や「盗用」という言葉は現れない。
これに相当するのは著作権(複製権・翻案権など)や著作者人格権(同一性保持権・
氏名表示権など)の侵害である。

つまり、盗作とは、まず先行する作品に接し、権利者の許可を得ずして複製したり
変形させたりして自分の作品として公表する行為、またその作品である。

したがって、ある作品が盗作と見なされるためには次の条件を満たす必要がある。
(1) 先行する作品の複製・変形と見なされるほど似ている(類似性)
(2) その先行する作品に基づいて作られたものである(依拠性)

類似性について


前述の通り、似ているからといって必ずしも盗作と見なされるわけではない。
また、短いフレーズであれば盗作と判断するのは難しい。

今回のケースに関して、松本サイドが盗作かどうかを争点にして訴えた場合、
専門家の意見もほぼ「勝てない」で一致している。

【参考】 弁護士山口貴士大いに語る
http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2006/10/post_47dd.html

【判例】チャイルドシート事件
(東京地裁 平成13年05月30日 平成13(ワ)2176)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/4CB74802111C99A849256A92002770C2.pdf
表現内容・与えるイメージ・語調の違いなどを挙げて
「共通点があっても、なお実質的に同一のものということはできない」
と認めた。

(※この例では、チャイルドシートと言う商品の機能を説明する文章であるが ゆえに、
表現が似通うことがありうるという解釈に基づいている。
今回の場合は、一般的な論理では説明できないような言葉のつながり
対象となっているので、だれが表現しても同じと言う論理は適用できないかもしれない)

なお、類似性については認められる可能性がある、と判断する弁護士も存在する。

【参考】栗原潔のテクノロジー時評Ver2
http://blogs.itmedia.co.jp/kurikiyo/2007/03/vs_6f04.html

依拠性について


著作権法では、特許とは違って新規性がなくてもよい。
偶然に過去の著作物と似ていても、それと知らなかったのであれば盗作とは見なされない。
逆に、過去の著作物に接していれば盗作と見なされる可能性がある。

(※ 接した『可能性がある』だけでは十分ではない。
この点については、「存在を知っていたとしなければならないような特段の事情」の有無を
判断基準とした最高裁の判例がある。)

【判例】ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー事件
(昭和53年09月07日 最高裁 昭和50(オ)324)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/3173CA19E307758049256A8500312051.pdf
乙曲が甲曲の盗作ではないかと法廷で争われた。
しかし、乙曲が作曲された当時、甲曲は音楽の専門家・愛好家なら誰でも知っていたと
いうほどの有名な作品ではなかった。そのため、乙曲の作曲者が甲曲を「知っていたと
しなければならないような特段の事情」はないことが認められた。
さらに、類似点はあるものの偶然の範囲内であることなどから、
「乙曲の作曲前現に甲曲に接していたことは勿論、甲曲に接する機会があつたことも
推認し難く」「著作権を侵害したということはできない」
と判断された。

【判例】どこまでも行こう、記念樹事件
(平成14年9月6日 東京高裁 平成12(ネ)1516)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/7DC32FC8D5ABA0A749256C7F0023A165.pdf
原告の「どこまでも行こう」が非常に有名で長く歌い継がれてきた曲であること、
また「記念樹」の作者である被告が原告とほぼ同世代でベテランの同業界人であり、
「どこまでも行こう」の歌手とも関わりが深いといった接点が多かったことなどから、
被告が「どこまでも行こう」に接していたと推認された。
さらに、両曲の類似性を具体的に指摘した上で
「乙曲は、甲曲に依拠して作曲されたものと推認するのが相当である」
と判断された。

名誉毀損について


逆に、槇原サイドが名誉毀損で訴えた場合はどうだろう。
盗作呼ばわりが名誉毀損かどうかが法廷で争われ、最高裁で確定したケースが既にある。

一つは「法的見解の表明自体は、意見や論評に当たるため、名誉毀損には該当しない」
という最高裁判例 (漫画家の小林よりのり氏が関西大学の上杉聡講師に訴えられた件、
いわゆる脱ゴーマニズム裁判)である。

(※ 単純に「意見・論評であれば名誉毀損にあたらない」ではないことに注意。
最高裁判例もそのような基準は用いていないので誤解してはならない。下記を参照。
したがって槇原サイドが訴えた場合についての上記見解には疑問もある。)

もう一つは、「記者会見などで著作権侵害を訴える場合、
事前に十分に調査、検討すべきであり、それを怠ると、名誉毀損となる」
という判断が出た「舞台用造形美術品事件」である。

なお、前述の脱ゴーマニズム裁判では著作物の複製それ自体は疑いのない事実であり、
それが法律で認められた正当な引用か盗用かの法的解釈が争われたのに対して、
後者の舞台用造形美術品事件では、
単純な複製はなく「似ている」作品が著作権侵害であるかどうかが争われたことに
違いがある。


【言葉】名誉毀損
名誉毀損とは「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損」する行為(刑法第230条)。
ここでいう「事実」とは、正しいか誤りかをいうことのできる事柄という意味であり、
「真実」とは区別されている。真実であってもなくても名誉毀損となりうる。
ただし、(1) 公共の利害に関わり、(2) 公益を図る目的があり、(3) その事実が真実で
あることの証明(あるいは真実と信じるについて相当の理由)があれば免責される(刑法
第230条の2)。

【判例】脱ゴーマニズム宣言・名誉毀損事件
(平成16年07月15日 最高裁 平成15(受)1793)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/40404E5CF7B09C4849256FBE002679AD.pdf
被告の行為は事実の摘示ではなく「ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明」
であるとされた。その上で、(3)については
「前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明」または
「事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当な理由」
が必要ではあるものの、
「法的な見解の正当性それ自体は,証明の対象とはなり得ない」
という基準が示された。

【判例】舞台用造形美術品事件
東京高裁平成11年(ネ)2937号・4828号.平成12年9月19日判決(6民)〔変更・棄却〕、最高裁三小平成14年9月24日決定(上告棄却)
http://www.u-pat.com/d-33.html
「自己の作品と似ている作品については、相手方が何と弁解しようが、
著作権を侵害するものとしてよく、
この点について十分に調査、検討すべき義務はない」
という論理が裁判所に否定された例。

倫理的な観点


法律上はOKでも?


法律上問題があるかどうか、という観点は、
盗用が事実かどうかという点とは別の問題。

もし盗用が事実であるならば、
法律上問題がないならそれでいい、 というのは筋が通らない。
ましてや、それを逆手にとって訴えてみろ、というのは論外。

(※あくまで盗用が事実なら、という仮定の上での話)

偶然の一致であっても謝るべき?


松本零士は偶然の一致の可能性を否定しているわけではない。

しかし、たとえ偶然の一致であっても、似ているのは事実であり、
結果として先人に迷惑をかけたことに対し、
公の場で一言詫びるのが礼儀ではないのかと指摘している。

事前調査不足?


ネット掲示板での反応では、
自作の発表前に、先人の作品とかぶっている部分がないか
事前にしっかり調査するのがクリエイターとしてのマナーではないか、
と指摘する人も居る。

それが、先人に敬意を払うとともに、
今回のような騒動を避けて自らを守ることに繋がる。

現実問題として、全ての先人の作品を調査するのは不可能に近い。
特に、漫画や小説など、膨大な文章量の場合は難しいだろう。
だからといって、できる範囲での調査をしないというのは
やはり怠慢と言えるかもしれない。
作品全体の文章量が膨大な場合であっても、
キーとなるいくつかの文に絞って調べたりすることは一応は可能だろう。

(※もっとも、連載ものの場合、原稿の完成から印刷に回すまで
  極めて限られた時間しか無いケースが多いために、
  限られた調査すら不可能という場合も多いだろう。)

少なくとも今回のケースに限って言えば、「時間+夢+裏切らない」で
ネット検索をかければ簡単にわかったかもしれないことなのだから。

【参考】栗原潔のテクノロジー時評Ver2
http://blogs.itmedia.co.jp/kurikiyo/2007/03/vs_6f04.html

  • 既存の有名なセリフとかメロディに似ているのであれば、スタッフが指摘してあげるべきなんでしょうね。


漫画業界と音楽業界 - 異業界でのダブル・スタンダード


著作権法で定められている正当な引用の範囲内であれば、
著作物は自由に使えることが法的に保証されており、
それが歌詞であっても同様なことは
JASRACも認めている(http://web.archive.org/web/*/http://www.jasrac.or.jp/jhp/faq/a2.htm )。

ただし、批評や研究、報道などの目的で歌詞が使われることがほとんどない漫画の場合、
歌詞を使うのは要件を満たした正当な引用とは言えないため、たとえワンフレーズであっても、
JASRAC許諾番号の記述と著作権料の支払うことが、事実上の業界の慣例になっている。

しかし、逆に歌の歌詞に漫画の台詞を利用する場合、
短い台詞が著作権の保護対象であるかどうかは、ケースバイケースとなっており、
このような慣例は存在しない。

漫画の台詞が後発の歌詞に引用された場合、
先発だった漫画側がその後同じ台詞を用いるたびに
JASRACに著作権料を支払う、
というケースもあり得るかもしれない。

(※ただし、今回のケースでは全く同じフレーズという
わけではないため、JASRACに著作権料を
支払うという事態が生じるようなことにはならないと思われる)

松本零士「『創作造語』の保護を」


松本零士は日本漫画家協会・著作権部の責任者や
コンピュータソフトウェア著作権協会 (ACCS) 理事などの役職を務める。

この立場もあってか、著作権に対し敏感な面があり、
過去に著作権関連のシンポジウムで
「孫子の時代まで自分の著作権を守りたいというのが心情だ」
と述べたこともある。

また、自らが過去に漫画の中で使用した台詞等の表現を
『創作造語』と称し、それを他者が無断で使うことに否定的な見解を示している。

【参照】 権利強化を求める権利者サイドの声~パネルディスカッション
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2004/09/21/4702.html




法廷闘争への発展を受けて


スーパーモーニング 3/23 9:35 橋下弁護士の見解コメント


「僕は法的には著作権の侵害にはならないと思います。」
「えー、あの2フレーズ、まあこの松本さんのこの詩にですね、著作権を与えてしまうと
結局、それ誰も使えなくなっちゃうわけですね。」
「こんな短いフレーズに著作権を与えるってのは、ちょっと疑問だし
 特にあの2段目のね、時間も夢を決して裏切らないと、夢も時間を裏切ってはならない、
 これ意味合いがやっぱり国語的にも違いますよね。」
「裏切らないと裏切ってはならないと言う事、で、僕は松本さんの方が謝罪しなければいけない
 立場なのじゃないかと、これは法的に弁護士としては思います。」

2時っチャオ! 3/23 14:30ごろ フリップ 山口貴士弁護士の見解


著作権侵害になりません。
●短いフレーズでは創作性が認められにくいから
●「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」(川端康成)

単に事実を述べたもので創作性は認められないという見解も有力。

 (※今回問題となっているフレーズに関しては、
  この例のように単に事実を述べたものではなく、
  思想または感情を創作的に表現したものと言いうるかもしれない点には注意)

2時っチャオ! 3/23 14:30ごろ フリップ 田中喜代重弁護士の見解


●オリジナルのフレーズを槙原氏が「知っていた」ことを証明する必要がある
●2人のやりとりの中で槙原氏が「知っていた」と発言していたなら…。

銀河鉄道999盗作騒動についてコメントしている弁護士ブログ まとめ