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陸上部のエース×超絶運動音痴

 会場は人々の熱気で溢れていた。テープが切れてしまいそうなほど密集し、色とりどりの旗を振り声を張り上げて
贔屓の選手の名を叫ぶ老若男女。例年通り気合の入った大学は応援団も用意している。そんな喧騒も、一旦ファインダーを
覗いてしまえば嘘のように掻き消える。もうすぐアンカーが走ってくるのだ。今年は特に、集中しないわけにはいかない。
「先輩、もうすぐですよ、先輩!」隣では後輩の高橋が興奮してぴょんぴょん跳ねている。口数が多くうるさいが、よく気のきく奴である。
 「まだ二位か、うちは?抜かされてないよな?」俺の言葉に反応し、高橋が携帯の画面を覗き込む。
「はい!k大とうちで一位二位ぶっちぎりです!速いっすよ今年のアンカー。下りで二人も抜くなんて半端ねえっす」
高橋は嬉しげに叫ぶと、持参した鞄からデジカメを取り出した。弱小の写真部とはいえ、新入生に一眼レフを持たしてやるほどの余裕は
ないのである。
「アンカーアンカー……3年の、結城正弘選手ですね。こりゃスクープだ。先輩、これ俺記事書いていいっすよね」
「お前は年功序列ってやつを知らないのかよ」
「だってここまででかい荷物運んだの俺だし」
 生意気な後輩を無視して、カメラの最終調整を始める。
「そういえばさ、アンカーの結城って、俺の友達なんだよ」
「ええ!?嘘、どこ繋がりっすか!」高橋が目を大きく見開く。大声だったが、俺たちの声は周囲の歓声にかき消され、
耳を凝らさないと聞き取れないほどだった。
「陸上部入ってたから」
「ええっ、ありえない!超絶運チの先輩が運動部!?」
 続かなかったけどな、とため息混じりにつぶやいたその時、前のほうでわぁっと一際大きな声が上がった。
先導車が数百メートル先まで近づいている。目を細めると、豆粒ほどの大きさの黄色いユニフォームが見えた。k大のアンカーだ。
「あ、先輩!!結城、結城選手が」
 高橋がカメラを構えながら、俺の肩を痛いほど叩く。トップランナーの真後ろに、紺色のランナーがぴったりと
ついてきていた。体の芯をぶらすことのない、強靭な獣を思わせる走り方。結城だった。

「俺は、お前と一緒に走りたい」
 昔、結城が俺に言った言葉だった。2年生になったばかりの結城はすでに大会の常連メンバーで、他大学からもリサーチされるほどの
有力選手、反面俺は体格にも恵まれず、補欠にすらなれない弱小選手である。走ることは好きだったのだが、いわゆる下手の横好きという
やつだった。
「もうやめたいんだよ、可能性のないことはしたくないんだ」とあのとき俺は吐き捨てるように言った。
下を向くと、結城の鍛え上げられた脚が目に入った。無駄な筋肉も脂肪もない、純粋に走るためのみにある脚。たまらなかった。
あのころの結城はいつも俺の目標であり、嫉妬の対象。そして、一番仲のいい友人だった。
「結果じゃない、やることに意味があるって……」
「それは、本心じゃないだろうな、結城」地味だが整った顔を睨みつける。これ以上、プライドを傷つけるようなことはされたくない。
「俺は、お前が好きだよ」と結城は不意に口走り、慌てて「変な意味じゃないぜ」と付け足した。
「当たり前だよ」俺は少し笑った。
「俺は走ることが好きだから、自分と似たような奴がわかるんだよ。お前のことを、他の誰より仲間だと思ってる」
 俺はそのときの結城の言葉が本当に嬉しかった。そして結城が本心から俺に言ってくれているのがわかっているからこそ、惨めな姿を
晒したくなかったのだった。
結城は俺の意思が変わらないのを悟ると、「辞めても、せめて駅伝だけは見に来てくれよ。そんときの俺が一番、輝いてるからさ」と笑った。

しなやかな筋肉が皮膚の下で躍動するのがわかる。全身に疲労をため、体を極限まで追い詰めながら、結城は風に乗るように
徐々にスピードを上げていく。顔を歪めながら、k大の選手の真横についに並んだ。
 綺麗だ。走っているお前は、本当に一番綺麗だ、結城。
紺色の旗を掲げた観客が、結城、結城と声を張り上げる。高橋は頬を紅潮させてしきりにシャッターを切っている。こんなに人に
囲まれていても、陸上は孤独な競技だ。風を全身に受けながら、自分とひたすらに向き合う苦行。だからその選手たちの姿は、ひたすらに美しい。
 でも俺はそんな世界を、今でもお前と共有していたい。だから陸上をやめた後、俺はこいつを始めたんだぜ、結城。
俺はファインダーを眉に押し当て、左手をレンズに添えた。軽快なシャッター音が、次々に響く。彼の苦痛も悦びも、一片も逃さぬように見つめる。
 「先輩、やったぁッ!」高橋が飛びついてきた。先にゴールを切ったのは、結城だった。世界に音が戻ってくる。結城の脚がスローモーションの
ように映り、スピードを落として、やがて止まる。沢山の人間が彼を囲む。結城が大きく息を吐きながら、ゆっくりとこちらを振り向き、笑う。
 そこでようやく俺はカメラを下ろし、彼と視線を交わせるのだ。