元気いっぱいの中学生と貧弱な死神

「おい、おっさん!今日は水曜だかんな!部活終わったら行くからな!」
威勢のいい声はマンションの隣りの中学2年生。野球部の補欠。
声をかけられた貧相な男は彼を振り返り、おはようとぬぼーっと片手を挙げた。
朝6時。
朝練のために早めに登校する少年と健康のためだという早朝散歩の男は、
よくこうして一緒になる。世慣れたフリーライターだと言う、でもちっとも
世の中を渡っていけそうにないひ弱な体つきの男の部屋に、勉強を教えてもらいに
少年は週に何度か通っていた。半分は男の部屋にあるゲームソフトのためだけど。

少年は知らない。そのどこか年齢不詳の男は、実は死神なのだ。
少年が1年前の事故で死にかけた時、魂をとろうとしてとれなかった死刑執行人。
死神はなぜ彼を死なすことができなかったのか。
答えは簡単でありきたり。死神は少年に一目惚れしたのだった。
今までにたくさんの人間に死を与え、その魂をとってきたはずだった。
際立ったものを特に持たない少年が、それらの人間とどこが違うというのか、
死神にはわからなかった。
ただ死神には少年が特別に見えてしまった。
だってそれが恋というものでしょう……。

なーんて、男(=死神)がクサイ台詞と共に1年前の出会いを振り返っている間も
少年は元気いっぱいに大好きな野球の話をする。
「でさあ、キャプテンがすっげーダイビングキャッチをしてさ。
ふつー、捕れねえって、あんなタマ。やっぱすげーよな。」
(……一目惚れしたアナタのために、処分覚悟でこうして魂も取らず、側にいる僕に
たかが野球のボールをとった男の話をうれしそうにするんですか。
あーそうですか、そうなんですね。どーせどーせ僕なんてただの隣りのおっさんですよ)
男は頭の中ですねてみる。でも本当は少年の話なら何でも楽しいのだ。
彼の話す事ならば何でも。

(処分か)
男は夏の早朝の空を見あげた。今日は晴れだ。
死神が対象者に恋をするなんて許されないことだ。
このままではいずれは、死神はその存在を抹消されるだろう。
少年は次に死を与えられる機会が来るまで生きられるはずだ。
それがすぐか、ずっと先かは死神にもわからないが。
男は少年に別れの挨拶もできずに消えることになる。
(人魚姫みたいに、泡になって消えるかなあ。あれは七色に光る泡だったけど、
僕はきっとばっちいアブクに……)

「って、おいおっさん、聞いてる?そんでキャプテンがさー」
男がふと気がつくと、少年はまだ尊敬するキャプテンの話をしていた。
自分達の主将がどれほど闘志あふれるプレイヤーか、男に手振り身振りを加えて
話し続ける。
男は笑顔が苦笑いにならないよう気をつけて、うなずきながら聞きいった。

男も知らない。
少年がどんなにキャプテンに誘われても、必ず男との約束を優先させることを。
飄々としながらも度胸がよく、周りの大人達とは違う自由で視野の広い物の見方を
する男のことを「かっこいい」と憧れていることを。

このやさしい時間はいつまで続くのか。
それは二人とも知らない。


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最終更新:2010年03月07日 19:40