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紳士な吸血鬼受け

腰を抱いたのはやたらとふらついているからで、それを支えるためなんだから決して他意は
ないんだようんうん俺優しい、と心の中で自分に言い聞かせていたはずなのだが、いつの間にか
うっかり声に出していたらしく男は弱弱しいながらも丁寧な口調で礼を言う。
「ありがとうございます、最近は血液を摂取するのを忘れていたもので……身体に疲労が」
「もしかして俺、何か今喋ってた……?」
「ええ、はい?他意がどうだとか……」
やべーやべーー何口に出してんだ俺、もっと落ち着け!
「昔は吸血鬼同士の遊びで斬り付けあうということをしていたようですが、もしかしてそれでしょうか?」
嬉しいのですが、今は残念ながら力がほとんどないので斬り付けられたら本当に死んでしまいますと
申し訳なさそうに謝罪する男を見て、盛大に顔が引き攣った。悪ふざけで斬り付け……?死ぬ。
間違いなく俺がやられたら死ぬ。そんな俺の冷や汗満点な心中など知らず、腰を抱かれたままの男は何を
勘違いしたのか焦ったような表情を見せた。
「あの、ですが、その、私は今は力がないだけですので……力が戻ったら」
男は俺の着ている制服のブレザーを強く握ると必死な目をして言い募って来るのだが、その拍子に
俺が掛けている眼鏡が少しだけ揺れた。俺より男の方が背が高いのが悔しい。
うわあ本当に顔青白いし色素薄いな、と思いながら口元を見ると、そこから僅かに覗いた白い歯に
吸血鬼特有の牙らしき尖った歯があるのを認めると、急激に自分が冷静になるのを感じた。
「現代は吸血鬼は少ないからね、大昔の遊びでうっかり仲間が減るということは勘弁してほしいな。
 だから俺達は斬り付けあいはなしだ」
「お相手は……して頂けないのですね」
半ば泣きそうになっている男に慌てて付け足す。
「いや、斬り付けあいはしないってことだからそんな落ち込むな!そうだな、具合が悪いんだろ?
 俺の家で休むか?斬り付けあいなしで話すだけの相手じゃ、駄目か?」
思いついたことをとりあえず矢継ぎ早に言うと、酷く落ち込んでいる様子だった男が驚いた顔をしてみせた。
「お宅にお邪魔してもいいのですか」
「うん、だからそう言ってるじゃん」
「吸血鬼が同志を自宅に呼ぶということは、血縁関係になったのに等しいということでしたよね!
 私などでいいのでしょうか!?」
期待に目を輝かせた男は俺の手を冷たい両手で握り、興奮したように発言した。
ええぇーそんな吸血鬼ルール初耳だって、と言うことも出来ず俺は相変わらず胡散臭い笑顔で頷くと
男は感激の余り頬を紅潮させ、はにかみながら挨拶する。
「どうぞよろしくお願い致します」
制服を着た高校生に腰を抱かれる、マント姿の男というこの状態ってどうなんだ……と
俺は今の展開から軽く現実逃避を試みるのだった。しかもここ駅前だし。

先程男に手を握られた瞬間、右目が警告するように激しく痛んだことなど忘れていた。
家に帰ると、いつもうるさい兄が不在だった。俺と兄は二人きりで暮らしているのだが
兄はよく急に旅に出るだとかでいなくなるので今回もそうかもしれない。前回はコンビ二で
プリンを買いに行くと行ったまま旅に出たらしく一ヶ月帰って来なかった。生活費はどこから
出てくるのかいつも不思議に思っていたのだが、兄が旅から帰って来ると何故かいつも大金を
持っているので我が家の経済はその怪しげな金によって賄われているらしい。深く突っ込むと
嫌なものを掘り出しそうなのでその件については触れずにいる。
家に来たという興奮からか、男の体力は完全に回復したようだったのでとりあえず椅子に座らせ
冷蔵庫にあったプリンを出すと、黙々と食べ出した。その間にテーブルの上にあった書き置きを読む。
『我が弟へ
 またお兄様は旅に出ることになりました。残していくプリン達が心残りですが何しろ指令なのだから
 仕方ありません。あ、もちろん弟も心残りだよ。(プリンの次ぐらいに)
 僕がいない間は何とか頑張って下さい。もしどうしても無理だろこれってことがあったら
 棚にある木箱を開けるんだよー。ちなみに金じゃないから。金は自分でどうにかして。それじゃ☆彡』

ビリッ。

ぺらっとした薄い一枚の紙を、怒りの余り力の入った指で破いてしまった。金うんたらの
無責任さとかプリンがそんなに大事かよとか、指令だとか意味不明さに対する怒りが、文の最後の
流れ星らしき不愉快な絵で爆発したらしい。追伸を流れるように見るとそのまま勢いよく紙を
ゴミ箱にぶち込んだ。こちらを窺っている男がいるテーブルに近づき、椅子を引いてどかりと座る。
「大きな音がしましたが……」
「問題ないってこの野郎殺す大丈夫金は置いていけだよ」
「え!?」
まずい、合間に本音が交じってしまった。
「いや何でもない。ほら、あれだって、口が上手く回らない時ってあるよな?うん」
そうですよね、私も喋る時口の中を噛んでしまって地味にショックな経験があります、と
男が頻りに頷いて納得しているのを見て、これって天然を超越して別のものになるぐらいの
鈍さな気がするなと考えた。ふと見ると置いておいたプリンの内五個が既に食べられている。早っ!
プリン五個に耐えられる胃袋を持つ男を見詰め、疑問を口にしてみた。
「さっき血が足りないって言ってたけど何で最近は飲んでなかったの」
「ずっとハンカチに刺繍をしていたのですが、気付いたら一週間経っておりまして」
「んで腹減って外で血を吸う相手を物色してたと」
「ち、違いますよ。どうも私は人を襲うのが苦手で……。集められた献血車の中にある血液をですね」
「……まさかとは思うんだが、盗むのか?」
「盗むだなんて、そんな!奪うというやつですよ」
ああ、犯罪者がここに!吸血鬼が献血目当てなんて話初めて聞いたぞ。紳士かと思ったらこれだ。
「吸血鬼って言ったら人間襲って血を吸うもんだろ」
「しかし、私が血を吸ってしまってはその方まで吸血鬼になってしまいます」
「ちょっと待てよ。数百年一人で寂しかったんだろ?何で人間の血吸って仲間にしなかったんだよ」
途端に男は寂しそうな顔をした。
「私は吸血鬼で良かったと思ったことはありません。吸血鬼は数が少なくなるにつれ人間に
 近づいているのはご存知ですよね」
それは初耳ですとも言えず俺は視線で話を促す。右目が疼いたのは気のせいだろうか。
「ですから伝説のように太陽の光にあたっても灰にはなりませんし、十字架やにんにくも平気です。
 銀の弾丸などもですね」
「伝説あてにならねぇなあ」
「ただし姿を短時間消せること、血を飲まないといけないこと、不老不死なことはどうも変化しませんね。
 噂ですと数ヶ月前に、白木の杭で心臓を打ち込まれて死んだ同志がいたそうですので、残念ながら
 その点も変わらないようです」
俺が沈黙した理由は二つある。これは物凄く重要なことを聞いてしまっているのではということと、
右目に先程から違和感があることだ。
「もうほぼ人間なんですよ、私達は……。血液だけでしたら何とかなるかもしれません。ですが
 いつまでも年を取らずにいて死なないとなれば一箇所に長くはいれませんし、人間と親しくなっても
 瞬きする間に骨になってしまいます。」
目の前の男がゆっくりと冷たい手で躊躇いがちに俺の手に触れると、右目の疼きが唐突に痛みに変わった。
「一年前、吸血鬼は世界にもう数人しかいなかったと聞いております。その僅かな同志もハンターによって
 殺されてしまいました。人間を仲間にした方が私は幸せかもしれません。ですが吸血鬼はもう現代には
 不要な存在です。近い内に滅びるでしょう。人間に近づいていっているのがその証拠に違いありません。
 滅びる時の最後の一人は、きっととても寂しいですよね。何しろ最後の吸血鬼ですから、仲間もおらず
 人間とも一緒にはいられません。死ぬ瞬間まで一人きりです。」
俺は男の話を何とか聞き、右目を襲う激しい痛みに耐え顔を歪ませないようにするのが精一杯だった。
「私の寂しさなんかのために、誰かを無理に吸血鬼にはさせられません。その誰かが最後の一人に
 なってしまって、私の都合で一人で死んでしまうことを考えると、とてもそのようなことは……」
右目の激痛といったら眼球が破裂する寸前かと疑うような有り様だったが、余りの痛みに表情すら
変わらなくなってきたらしい。その痛みの原因は、明らかに男が接触してくることによるものだというのに、
不安そうに揺れた目を見ると腕が石になったかのようにぴくりとも動かず、僅かに震える男の冷たい手を
振り払うことができない。目の前の男は半ば泣いていた。
「もう皆死んでしまいました。私は、吸血鬼の、最後の一人なのです。そうだったはずでしたが、あなたが
 奇跡のように生き残っていましたので、私はもう寂しくありません。」
寂しくなんか、ありませんよ。
そう言うと男は痛いほど強く俺の手を握った。
いけない。そう思った。この目の前の男は俺を吸血鬼だと思い込んでいる。でも俺はただの人間で、男はやっぱり最後の一人なのだ。数百年ぶりに仲間に会えたと喜んで、家に呼ばれて血縁関係同様に
なれると感激し、孤独な時間は去ったと泣きそうになっている。今日初めて会った、俺にだ。
嘘をこれ以上吐くと男の絶望が濃くなるだけだろう。俺は人間だよ。そう言いたいのに酷くなる一方の
右目の痛みのせいで、まるで言葉にならない。まずは目の痛みはどうにかするのが先だ。握られた手を
乱暴にならないよう出来るだけ静かに退ける。この痛みは入れているカラーコンタクトのせいもあるかもしれない。
「悪い、洗面所に行ってくる。ちょっと待ってて」
「どうかしましたか?顔色が悪いですよ」
心配そうに見詰められ、焦る気持ちが湧いてきた。
「いや、急に目が痛くなって……。多分コンタクトのせいだと思うから外してくる」
触れられると右目が痛むとも言えずそう発言すると俺は立ち上がった。背後で男の呟く声が聞こえる。
「……目?」
嫌なことを思い出してしまいますね、確かにそう言った。

洗面所に続くドアを閉めると掛けていた眼鏡を鏡の前に置き、右目を見てみる。腫れてはいない。
カラーコンタクトを外すと鏡の中の自分は右目を除いてはいつも通りだった。俺の右目は紅い。
左目だけは黒いまま、髪は黒なので燃えるような紅い右目だけが不吉にその存在を象徴している。
これは生まれつきのもので、それを隠すために度が入っていない黒色のカラーコンコンタクトを
右目にだけしているのだ。両目につけて度があるものにしないのは、最近急激に目が悪くなって
まだ用意出来ていないためだった。だから面倒だが眼鏡を掛けている。紅い右目の痛みは治まってきて
頭が働いてくると、兄の残した書き置きの追伸のことを唐突に思い出した。
『追伸:無理なことっていうのは右目が痛んだ時のことだから』
何故今まで忘れていたのだろう。ちょうど鏡の横に置いてあるやたらと大きい木箱をひったくるように
手繰り寄せ中身を見る。初めに目に入ったのは、ボウガンだった。かなり大きいがどうしてここにと
疑問を持ちながらボウガンに触れてみると、脇の方に矢が一緒に入っていることに気付いた。
特別に用意したものらしく、かなり太さがあり、木でできているようだ。
……木?それではまるで、
そう思考した時、箱の中にある手紙に気付いた。いつの間にか少し震え出した指で掴み最初の一文を読む。
『我が弟へ』
兄からだ。
『さて、この箱を開けたということはもう薄々分かっているよね。面倒だから結論から言っちゃうよ。
 僕達は、吸血鬼ハンターの一族です』
『右目が痛くなったからこの箱を開けたんだよね?痛みは想像の通り、吸血鬼が原因だよ。
 その紅い右目は吸血鬼に触れられるとかなり痛くなるんだ。人間と見分けがつかなくなった
 吸血鬼に対抗して、僕達ハンター側も右目で吸血鬼を見つけようとしてる訳だよ。昔は紅い右目は
 存在しなかったらしい。まあこれを読んだ今は、僕が時々旅に出てたのは何故かもぼんやりとは
 分かるよね。現代では吸血鬼はひっそりと生きてて、特に人間に何かしようって奴はあんまいない。
 あんまいないってことは、それなりにはいる。そんな吸血鬼をボウガンでぶっ刺しに行ってたんだよ。
 もしくは吸血鬼を見世物にしようとしてる奴とかね。んで我が家の経済はそれによる報酬で
 賄われていたと。長年の謎がやっと解けたでしょ?良かったね!我が愛しの弟!と言いたいとこだけど
 この箱を開けたからには吸血鬼に会ったってことだ。困った困った。とりあえずそいつが
 ヤバそうだったら、今すぐこの箱のボウガンと矢を持って全力で逃げるんだ。
 もしくは、それを使って殺せ。』
手紙を持った手に力が入り、書き置きの時のようにまた破ってしまいそうになる。
『まあ物騒なこと言ってみたけど最近はホント吸血鬼少ないし、奴らも平和に暮らしたいと
 思ってるはずなんだよね。だからハンターの証である紅い右目を見たら大抵逃げるはず。
 右目を見ても逃げない奴は、殺し合いたいか友好的になりたいかなんだ。もし後者でこいつ
 殺したくないなーって強く思う奴がいたとする。そしたら、その吸血鬼をどうにかできる力が
 僕達ハンター側にあるんだよね。奴らを見たらとりあえず殺せ!っていうハンターも多いから
 それが嫌な吸血鬼にはラッキーな方法って訳。そんでそのラッキーな方法だけど、やり方は
 簡単だから安心して。小瓶か何かに唾液を入れてそれを吸血鬼に飲ませるだけなんだけど、
 その時素肌の上から右の掌で吸血鬼の心臓のあたりを押さえて、左の目を瞑らなきゃいけない。
 つまり紅い右目で相手を見るってことだね。まあ簡単なんだけど相手が唾液を飲むかっていうのが
 問題かな!何となくじゃ唾液飲めないしねえ。しかもこれやるとハンター側は一気に七つ年を
 取るからそこんとこ注意。ちなみにこの方法、吸血鬼には余り知られてないらしい。
 実はハンターは血を吸われても吸血鬼にはならないんだ。進化ってやつなのか奴らの力が弱まったのかは
 謎だけど。あ、さっきの方法やったらどうなるかっての書くの忘れてた。
 何とびっくり、』
俺は手紙を投げ捨てるように置くと、男がいる部屋へと走り出した。
「おい!」
走って来た上、いきなり大声を出した俺に驚いたように男はこちらを向くが、近寄る俺の右目が
紅く輝いているのを認めると見事に身体を硬直させた。両目がひたすらこの右目だけを見詰めている。
「触ると目が……痛む……!右目が、紅い…そんな、まさか――」
「おい」
今までの呪縛が解けたかのように、男はびくりと肩を揺らした。兄によるとこの目を見て逃げないのは、
殺し合いたいか友好的になりたいからしい。後者だと確信しているが、この男がどういう答えを
出すのかはまだ分からないから油断は出来ない。ただ、俺はこの男を信じた。だからボウガンと
矢は置いてきたのだ。目の前に立っているのだから、やろうと思えばこの男に丸腰の自分は殺されるだろう。
「まず謝る。嘘を吐いて悪かった。俺は吸血鬼じゃない、人間だ。しかも吸血鬼ハンター一族の」
さて、どう出る?
「……そう、だったの、ですか」
目をこれ以上はできない程見開き、悲しみが滲んだ表情をするのを見て胸が痛んだ。
「俺がハンターだって分かったのに逃げないのか」
「構い、ません」
「え?」
「早く、心臓に杭を打ち込んで下さい」
「何言って――」
「抵抗はしません」
そう言って目を強く瞑った姿に理由の分からない苛立ちを感じ、男の柔らかい髪を思い切り掴むと
こちらに近づける。僅かに怯えを見せるが、目は開かない。
「じゃあ最後の吸血鬼が死ぬ前に聞こう。お前は最後の一人で、寂しかったんだろ?」
「……ええ」
「仲間がたくさんいる人間が、羨ましいか」
「……ええ、とても」
「さすがに来世も吸血鬼はもう懲り懲りだろうな」
「……そうですね、生まれ変われたら」

―――人間になりたいです。

目の前で睫毛が震えている。男の切実な響きの篭る、囁くような小さな声を聞き俺は決意した。
「自分がハンターだって知ったのは最近でね。一番初めに殺す吸血鬼は、お前だよ」
ようやく開いた両目は絶望の色をしていた。
「約束したよな、抵抗するなよ」
弱弱しく頷いた男のシャツのボタンを力任せに引き千切ると、その拍子に落ちたボタンの音が
床にあたって乾いた音を立てた。露になった素肌の白さに驚きながらシャツの隙間に右手を
忍ばせる。素肌と右手が触れた瞬間、男は唇を強く噛んだ。心臓の位置を探るために掌を動かし始めると
男が息を呑んだのが分かる。軽く触るだけではどうにも曖昧で分からないため、掌を強く押さえつけて動かすことにした。
「っ…ぅ……」
途端に声がしたことに驚き男の方を見ると、頬を紅潮させて目を逸らした。その仕草に目を奪われながらも
心臓の場所に見当を付け、ずれないように固定する。
「やめてくださ、い……」
「唇を噛むのをやめるんだ」
男は少しだけ迷うと諦めたように視線を落とした。それを許さず左手で顎を持ち上げると
顔をゆっくりと近付けながら左目を瞑り、舌だけを出し男の唇をなぞるように舐める。
信じられないかのように目を見開いたものの、抵抗はしなかった。先程から男の胸に触っているために
右目が燃えるように痛むがそれを無視して行為を続ける。唇の合わせ目から舌を侵入させ、歯列を
なぞり咥内を丁寧に舐めれば、男が眉根を寄せくぐもった声を出した。
「…ん……っ…」
その表情を痛みが走る右目だけで見ると、唇を深く合わせ、打って変わって乱暴な舌の動きに変化させる。
全身の筋肉と骨が軋むのは、きっと自分の身体が七年の時を急激に過ごそうとしているためだろう。
この契約が上手く進んでいることに安堵しながら一層深く唇を合わせた拍子に、男の鋭い牙で
舌を切った。咥内に血液の味がしてくると何かを訴えるように男の潤んだ目がこちらを向く。
恐らく切ったことにより吸血鬼となると思っているのだ。ハンターにはそれは効かないということを
知らないらしい。
「っ、…っぁ……」
右目の痛みと全身の軋みがピークに達しそうな時、男が咥内に溜まった唾液を嚥下するために
喉を鳴らした。すると今までの激痛が嘘のように引いたのでこの契約が成功したのだと知り、舌を
引き抜くと唇同士を合わせたまま、笑みの形を作ってみせた。顔を離すと、蕩けた瞳でぼうっと
見詰め返すので、とりあえず飲み込みきれずに零れた口元の唾液をもう必要なくなった
男の黒いマントで乱暴に拭うと、ようやく正気に戻ったらしく慌てて詰め寄ってくる。
「ど、どうしてこんなこと、私の牙で、切ってしまったでしょう!」
そう言いながら男は手を牙に持っていくが、目的のものが見つからないらしく混乱した様子だった。
「もう牙はないよ。それにハンターは咬みつかれても吸血鬼にはならない」
「え?……え?どういうことですか!しかもあなた、」
こちらを凝視する男により、そういえば自分が七歳成長したことを思い出す。前は男の方が背が
少しだけ高かったのに、今では完全に俺の方が背が高い。
「あー……制服破れてるし。自称ブラコンの兄に殺される。」
嫌そうな顔をした俺に拍子抜けしたかのように、男の肌蹴たシャツがずるりと滑った。
「私のことを殺すのではなかったのですか……?」
「いや、もう最後の吸血鬼は殺した」
「え?」
「牙がなくなったから分かるだろ?まだ心配だったら姿を消してみればいい」
「あのう、何のことでしょうか」
「お前、もう人間なんだよ。」
『何とびっくり、吸血鬼がね、人間になるんだ』
証拠に俺もいきなり成長したし。そう付け加えると、男は宙を見て動かなくなった。どうやら
姿が消えないことを確かめているらしい。
「す、姿が消えません……。私、ほほ、本当に、人間なのですね」
「もう寂しくないだろ」
男は笑おうとしてぎこちなく口元を歪ませると、そのままゆっくり、両目から静かに涙を零した。
「あなたのお名前、まだ聞いていません」
「ああ、俺は―――」
その時いきなり扉が音を立てて開いた。
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   ||  ロ(()==|       | | |             \|  | | |     |`''--
   ||  ||  | |     / | | |               |\ | | |     |
   ||  ||  | |/  /   | | |             \|  |\ |,,,,...--- |----
   ||  ||  |/  /    | | |               |\ |  \  ___|,,,,,,,,,,

というイメージ像が頭に浮かびながら、ただいま~と言いつつ普通に会話しようとする
全身血塗れの兄を、男と二人でただ見詰める。
「いやーお兄様が今回戦った悪は割としぶとかったんだーコレが」
「血だけは拭ってから帰宅してくれよ!捕まるからね、マジで!」
「血塗れになってる間に弟はやたらと男前になったねえ」
まず制服が破れている俺を見て、次にシャツが肌蹴た男を見た兄はそれだけで状況を察したのか
ぽつりと呟く。
「そんなに大きくなったら、もう高校に行けないよね……」
どうするの?そう血塗れで小首を傾げる兄に、そうだったーー!!と俺はその場に崩れ落ちた。
どうしていいのか分からずおろおろする男諸共に、凍りつかせる一言が聞こえてくる。
「あれ、僕のプリン……」
こちらをちらりと見る兄に、全速力で俺と男は目を逸らす。
「まさか……食べたってことはないよねえ?」
辺りを見回してテーブルの上にある空のプリンの容器を認めると、兄は紅い右目を光らせて
ゆらりとこちらに歩いてくる。当然のように片手にボウガンを持っているのは気のせいだと思いたい。
血塗れでボウガンを持って近付いて来る兄に、怯えてがくがく震える俺と男は手を取り合っている。
「コンビニで買ってきてくれるよね、今すぐ」
必死に俺達は頷くと、全力で玄関に向かって走り出した。

音が去って静かになると、一人安堵の溜息を吐く。
「悪い予感がしてたけど、本当に良かった……生きてて。でも流石に血塗れのままはまずかったかな」
おかしくなって少し笑うとその場に座り込んだ。

俺達は息を切らして走っていた。
「やべー何あのお怒り具合!」
「お兄様は怖い方ですね……」
「俺よりプリンを先に気に掛けるしな!兄とは思えねえー」
「でも息が乱れていましたよ。血を落とすのを忘れるぐらいに急いでいたのでしょう」
「まあな。とりあえずプリンだプリン!奴の機嫌を直さねえと普通にボウガンで殺られる」
「それは困りますね。もう吸血鬼ではないのですから、すぐに死んでしまいます」
俺達は声を出して笑った。
そしてその直後、破れた制服を着た大人とマントのついた同じく破れた黒服姿の二人組みが
走りながら笑っていたものだから、通りがかった警察官によって俺達は補導され、プリンを待ちくたびれた兄が
血塗れのままブチ切れて乱入し、大騒動となることになる。

前途多難だ……。