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ヤンデレを治したい

「弟がおかしい?」
「…そう、だ」
作業着姿の大男はそう言うと水割りを呷った。
「表面的にはまともだから、病院や施設に連れて行っても意味が無い」
だから、お前を頼っている。そう暗に示され適当に逃げようという気は失せた。

同窓会で再会した中学時代の同級生は、昔と変わらず無口で不器用、しかし情に厚い良い奴のままだった。
俺が、精神科医になったという話がどこからか彼に伝わったのだろう。
申し訳なさそうに、携帯に電話が入ったのは一週間前。
『医療関係者を知り合いだからと健康相談所扱いするのは嫌いだ。
しかし、自分の手に負えない事態が起きつつある。謝礼は払うから話を聞いてくれないか』
診察室やカウンセリングルームで話を聞こうとしたが元々無口な彼はそういったところだとさらに口が重くなるだろうと思い、
誘われるまま居酒屋で話を聞くこととなった。

話すことが得手ではない彼に助け舟を出しながら聞き出した話は、まあ良くある恋愛のどろどろだった。

元々彼の弟は兄と似つかず、明るく社交的で人間関係も良好、恋人も適度に居りとても精神的な欠落があるとは思えない人間だったらしい。
しかし、弟の幼馴染に恋人が出来た時から、何ともいえない不安定さを示すようになった、ということだった。
「幼馴染を不必要に長時間拘束」「執拗なまでにかまう」「どうやら幼馴染の恋人を迂遠に攻撃している」
という状況を見て、さすがに彼も異常だと感じるようになったらしい。
「アレはいつもと変わらず今も、充実した毎日を過ごしているようだ。ただ、幼馴染関係の事となると途端に目の色が変わる」
ある日、事件が起きた。
10以上も年の離れた弟には下手に関わらず、遠目に暖かく見守るスタンスを保っていた彼が思わず手を出すほどの事件が。
「あろうことかアレは、幼馴染の恋人を寝取りやがった。それも、わざわざ自宅に引き込んで、俺や幼馴染に直ぐばれるように」
幼馴染は女性受けが悪く、幼馴染の初めての恋人である女の子もまた初心だった。
弟にとっては二人の仲を裂くことなど造作も無かったに違いない。
「俺は初めて奴を殴った。最低だ、とお前のことは兄弟と思いたくないと」
兄が手加減しなかったため、弟は壁に吹っ飛んだ。
しかし、前歯が折れ鼻血に塗れながらもうつろな目で弟は微笑んでいたという。
『アイツには俺がいればいいんだよ俺が助けてやる救ってやる愛してやる
女なんて要らないよなセックスだってなんだっておれが相手してやるおまえにとっての一番は俺以外いないんだよ』

「お前の弟はまさにヤンデレだな」
一通り話を聞き終える頃には、手元のウィスキーは氷が丸く小さくなっていた。
「ヤンデレ?」
「好きな人関係のこと限定で病んでる状態になる奴の事だよ。まあ恋愛で異常に思い詰めて破滅しちゃう人だね。
かたく言えば『各種精神疾患の要素を持ちつつも、治療対象に認定されるまでには至らない状態の恋愛に特化した異常性』
まあ一精神科医としての根拠の無い意見だけどね」
「そうか、やはり精神科で解決できる問題ではないんだな…」
「社会的にはうまくやれてるみたいだし、自分で自分のことを病んでるとは思ってないんだろ。
じゃあ精神科で扱う病気じゃないよ、最初にキミが言ったように医療機関では解決できないね」
焼酎をグラスに注ぎながら、彼は幅広い肩を竦め太い溜息を吐いた。
絶縁を突きつけてもやはり可愛い弟には幸せになって欲しいのだろう。

「でも、俺個人として相談に乗ることは出来る」
自分でも予期しない言葉が口をついて出た。
精神を扱う職業柄他人の感情に引きずられる事を厭う俺は、厄介ごとに首を突っ込まない。
しかし、目前の男を助けたいという気持ちが湧いているのは確かなことだった。
「いや、身内の醜い話を聞いてもらっただけでも有難いものだ。これ以上は良い」
「精神科医としてではなく、知り合い…旧友としてだ。遠慮なく頼ってくれないか」
強い視線で、彼に訴えかける。しばらく間のあった後、すまない、恩に着る。と彼の口が動いた。
ぬっと差し出される焼酎をウィスキーの入っていたグラスで受ける。
久しぶりに口にした癖のある液体が、のどを焼いた。

その時点で、カウンセリングも薬も各種療法も効かない、暴走した感情の厄介さに気付かなかった事を心底後悔した。
自分はこの時点で、おぞましい恋愛愛憎劇の舞台に立ってしまっていたのだった。