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次男

「ただいま」
がちゃり、と扉の音と一緒に聞こえた声で、一気に気分が落胆する。
俺の隣で本を読んでいた佐藤が、あれ、といってからすぐに本を置いて振り返る。
「お邪魔してます」
「あれ、佐藤。久しぶりだなぁ」
「そうですね。え、いつもこんな時間に帰ってきてましたっけ?」
「今日から中間テストなんだよ」
二人の会話を背中で聞きながら、心の中で舌打ちする。ああ、テストか。
俺と佐藤の高校ではテストは再来週なので、兄が早く帰ってくることなんて
忘れていた。なんでもいいから、早く、部屋を出て行け、と思う。
結局それからしばらく佐藤は兄と喋り続け、兄がこれから塾に行くから、というまで終わらなかった。

兄が部屋を出てすぐに、佐藤が俺の腹を裏手で軽くはたく。
「一言くらい喋りなよ」佐藤の顔は笑っていた。少し困っているようにも見えたが。
「うるせえよ」はたき返して、溜息と一緒に言う。
「せめて振り向くとかさあ。お兄さんと喋るのは楽しいのに、隣からギスギスした空気が漂ってるから、一人気まずくなってたよ」
佐藤の顔を見る。その表情が笑っていたので、少しホっとする。
「お前、あいつと喋るの、楽しいのか」
「楽しいよ。頭がいい人と喋るのって、なんか新鮮っていうか」ああもう喋るな、やめてくれ。泣きそうだ。
俺の気持ちを察したのか、佐藤はそれ以上何も言わなかった。代わりに沈黙がおりる。
くそ、と一人悪態づく。さっきまでは、佐藤が本を読んで、俺がゲームをして、何てことない話をしてて。
なのに、なんでこうなるんだよ。兄が、あいつが。・・・兄は、何も悪くないのが
わかっているから、余計に腹立たしいのだ。
佐藤は、俺が、兄を好きではないことを、兄が好きになれない俺を好きでないことを、知っていた。
知っていて、そばにいてくれる。
けれど、それはいつまでだ?と思う。本当は、俺ではなく兄の隣にいたかったのではないか、と。



たとえば母と近所のおばさん達が話しているとき、近所のおばさんが兄を褒める。
母は、照れ隠しに俺をつかう。上の子はよくても、下の子はこうなのよ、というふうに。
照れ隠しだとわかっていても辛かった。
兄の担任をしたことのある先生が、翌年俺の担任になったとき、先生は俺に
「あいつの弟なのか」と歯をみせて笑った。けれど、一学期の終盤に入るころには、
「兄にできていたことが、お前はできないんだな」と何かを諦めたように、冷えた目で俺を見た。
中学までは兄と一緒の学校だったから、クラス替えのあと、初対面で喋るやつは
必ず兄の話題から俺に近づいた。兄に近づきたい下心があるわけじゃない。
ただみんな、純粋に、兄が有名だから、その話題から俺と親しくしようとしただけなのだ。
でも、俺は嫌だった。「君の兄貴は─」という言葉を、もう聞きたくなかった。

ぼんやり昔のことを思い出していると、佐藤が俺に勢いよくもたれてきた。ぶつかってきた、に近い。
急な衝撃に耐えられず、俺もそのまま倒れる。ぐえ、と変な声がでた。
「馬鹿だなあ、お前は」俺の胸の上に頭を乗せて佐藤が喋る。
「なにが」お前は思春期男子の性欲にたいする体のちょろさを知っててやってるのか、と思う。
「別に、頭だとか、才能だとか、いい、悪い、しか評価がないわけじゃないだろ」
ああ?とガラの悪い声が出た。佐藤とここまで密着するのは初めてだった。動揺する。

「お兄さんと喋るのは楽しい。でも、じゃれるんなら君がいい」
小さい、呟くような声だった。佐藤の顔は見えないが、髪からのぞいて見える耳は赤かった。
どうすればいいだろう。なんて返せば。そんなふうに言われるのは初めてだ。
上体を起こすと、佐藤が倒れかけるので、自然と腰に腕をまわして支える形になった。
佐藤の顔は真っ赤で、頭より先に体が勝手に動いて、キスしていた。


腰のあたりで服をギュッと握られる。でも、舌をいれようとしたら、頭突きされた。
「そうやってすぐ調子にのるから、甘やかしたくなかったんだ」佐藤が笑いながらいう。
「仕方ないだろ、調子にのれる場面があまりにも少なかったんだよ」
褒められるのも好かれるのも、全部兄の役目だったから。
言いながら、俺はさっきまで暗い気分だったのを忘れていることに気がついた。
ほんとすげえなコイツは、と思う。ずっと傍にいてほしい。照れ臭くて言えなかった。
「ていうか、これ、どうするんだよ」
これ、とはズボンの中のことだ。佐藤の熱も伝わっていた。これを我慢しろと言われるのは辛い。
佐藤は俯いて、言いにくそうに口をモゴモゴした。
少ししてから、触りあってみる?と聞こえて、思わず聞き返したらはたかれた。
「言っとくけど、お兄さんが出かけてからだからな」
「わかってるよ」笑いながら頭をコツンと重ねた。
少ししてから、行ってくる、といってまた兄貴が部屋を通ってきたけれど、
俺は佐藤と隠れて手を繋いでいたので、兄貴が帰ってきたときに感じた煩わしさはなかった。



汚れたティッシュを詰めたビニール袋の口をしっかり縛りながら、
手を洗っている佐藤に話しかける。「思ったんだけど」
「俺が兄貴絡みで嫌なことがあるたびに、エロいことしてくれたら俺兄貴大好きになるかもしんねぇ」
「思ったんだけど、君って調子にのるとうざいから皆褒めなかったんじゃないの」