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盲目の正義

「私の弟はねぇ。私が稼いでやらないとねぇ。おまんまも食えずに死んでしまうんだよ」
痩けた頬に色素の抜けきった髪の毛、焦点が合わない真っ黒な瞳、はめ込まれた偽物の歯…屍と称して何ら間違いのない顔は、それでもひとつ言葉を語る度柔らかく歪められた。
その身は綺麗に清められ、香が焚かれ、成長の止まった不均衡な躯体のまま美しく飾りたてられている。
「弟はねぇ、とても賢くて、それはそれは可愛らしいんだよ」
「私しか、私の手しか、この世に生きる手段がないのだよ、だから」
「私は守らなくてはいけないし、稼がなければいけないし、そのためにはこうして旦那様に愛されなくちゃいけないよ」
「私が守らなくては弟は生きていくことができないのだよ」
「チビで歯の欠けた、可愛い弟、今もお腹を空かせて泣いているよ」
「泣いているのだよ、可愛い弟を、泣かせてはいけないよ、地獄のような世間から守らなくてはいけないよ」
「守らなくてはいけないよ守らなくてはいけないよ私が守らなくてはいけないよ守らなくてはいけないよ守らなくてはいけないよ守らなくてはいけないよ守らなくてはいけないよ守らなくてはいけないよ私が」
人形のように繰り返すその身体を、私は耐えきれず抱きしめた。
呪文のような台詞は喉を締め付けることなくピタリと止み、小さな体が呆然と私の抱擁を受け止めている。
「あなたの弟は、もう泣いてはいません。あなたが守らなくても、ちゃんと生きていくことができるようになりました」
「私です、あなたの弟す、兄さん。僕の兄さん。あなたを迎えにきたんです」
皿のように見開かれた空洞が数秒私の姿を捕らえた後、わずかに細められる。
三日月の口元も不格好につり上げられ、私が望んだものとは余りにもかけ離れた、醜く優しい笑顔が向けられた。
「ああ、旦那様は、とてもとてもお優しい嘘をつく人だねぇ」





先ほど聞かされた看守の言葉が私の胸中をこだまする。
『あの骸は“弟”への正義だけで動いてんだ、あんた、それを奪ったら、あいつの魂まで抜いちまうんじゃないのかい』
ぽとりと落ちた一粒の滴は、灰色の寝台に一瞬染みを作って消えていった。