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邪馬台国

最後の記憶は、睡魔に襲われて歴史の教科書の上に突っ伏したところだ。
顔を上げたら黒板が見えるはずだった。なのに、今俺の目の前には威圧感を放つ大きな木造りのやぐら。
周りを見回しても、他に大きな建物はなく――それどころか、近代的な建築物は一つもなかった
。遠くに霞がかった山が見える。校庭ぐらいの広さを、柵でぐるりと囲っていて、地面に直接建てられた小さな小屋。
すごく既視感。そう、これは。
最後に見た教科書の弥生時代、環濠集落遺跡によく似ていた。
感慨深く辺りを見回していると、駆けてくる足音とともに、聞き取れない言葉の叫びが耳をつんざいた。
「%#$*θ!」
うん、文字にあらわすとしたら、こんな感じだ。
暢気なことを考えていたら、現れた男にいきなり矛を向けられた。
男は髪を二つに耳の横に…八の字に結って、質素な布を腰で留め、顔や腕に複雑な入墨を施していた。
俺はなぜか、矛を向けられて絶体絶命なのに、不思議と怖くなかった。
「*εб&%$!?」
男は矛をそらさずまくしたて、俺が何も答えられないのを見ると矛を振り上げ
――ああ、刺される。何か、俺はここを襲いに来たんじゃないって、アピールしないと。
「ヒミコ!」
とっさに口をついて出たのは、古の邪馬台国の女王の名だった。
「#Ω*…ヒ、ミコ…?」
間一髪、男は矛を止め、その名前をなぜ知っている、という混乱の面持ちで俺を睨んだ。
そして少しためらい、考えるような素振りを見せた後、俺を後ろ手に掴むと、小さな竪穴住居に追い立てた。

俺に矛を向けた男の他に、何人かの男たちがあれから続々やってきて、俺を囲んだ。
「*εб、χ*+、*$#…」
捕まってから何時間こうしているだろう。男たちが何を言っているかは分からない。
俺を殺す算段をたてているかもしれない。不安が入道雲のようにどんどん大きくなって、
俺はそっと学ランのボタンを握り締めた。

「……ξЩ%?」
最初に出会って俺に矛を向けてきた男がおもむろに話しかけてきた。
彼の目は周りを囲むように緑の入墨が施されて、手の甲にも同じような模様がある。
彼は同じことを尋ねた。多分、声の穏やかさからそう悪いことを言われているのではなかろうと思い、小さくうなずいた。
すると彼は俺を立たせ、仲間たちに一声掛けると、俺の腕を引いて屋外へ連れ出した。
「*δ$#、*#」
呟いて、俺の肩に手を乗せる。その手は大きくて、温かく、力強かった。
彼は俺を、慰めようとしているのかもしれない。鼻の奥がつんと痛んで、目の前が涙で曇った。
不安で押しつぶされそうな俺を気遣ってくれたこの男を、俺は初めからなんだか憎めなかった。
「…ホシ」
すっかり群青色に染まった空を指して、彼が言った。俺にも分かる言葉だった。
宵の明星が、現代よりもずっと暗い空にきらりと輝いていた。
「そうだな。ホシ、だな」
俺たちはそのとき初めて、同じものを見て心を通い合わせた。

捕まって数日。このまま、帰れないかもしれない。
でも俺って、さしずめ渡来人ってところか。機織や稲作を持ち込んだ――。俺はこの時代に何をもたらせるんだろう。
「бид」
彼が土の器を差し出した。飲め、と仕草で訴える。
ここの食べ物の中で、酒らしい飲み物だけは旨い。どろりとした濁り酒が、頭の芯をぼんやりさせる。
「俺さ、もう戻れないのかな」
彼には、俺の言うことなど分からない。
「君は最初から、俺に優しかったよな。不安な俺を元気付けようとしてくれたり。
いろんなもの一緒に見て、名前教えてくれた」
彼は何日か一緒にいる間に、笑顔を見せてくれるようにもなっていた。
今も少し微笑んで、俺を見つめている。
「д%&*」
「うん、わからないけどありがとうな」
俺はなんだか嬉しくなって、学ランのボタンを一つ、無理やり引きちぎった。
彼の手のひらに、それを握らせる。
「金色で、綺麗だろ?それ、あげるよ」
彼はボタンをつまんですかしたり振ってみたり、ひとしきりいじった後、大事そうに紐を通し、首に掛けた。


「…Ψ*%」
多分、ありがとうの言葉。やさしい表情でそれはわかった。
ああ、なんだか気分が落ち着いたら眠くなってきた。安心したせいかな。
酒のせいかもしれない。まぶたが重い。
「あ、そういえば俺、君の名前聞いてなかった。ずっと一緒にいたのにな」
分からない。彼は首を振る。もどかしい、どう伝えたら良いんだろう。
ぼんやりした頭を振り振り、考えをひねり出す。
「…俺の名前、クニヤっていうんだ。君は?」
俺の名前、で自身を指差して。君は?と彼を指す。
彼も合点がいったらしく、入墨の顔をくしゃっとゆがめ、こう言った。
「ヤマト」
いい名前だな。……俺、眠くなったわ。また明日も早いんだろ、もう寝るよ――。
「クニヤ、」
溶けるように眠りに落ちて、最後に鼓膜を震わせたのは、彼がやさしく、たどたどしく俺の名前を呼んだ声だった。

跳ね起きると、俺は高校の教室にいて机に座り、何の変哲もない授業を受けているところだった。
瞬きを繰り返し頭を振っても、目の前には黒板、見慣れた日本史の教師。
「えー、邪馬台国の位置については諸説ありますがー…」
授業は邪馬台国の件に差し掛かっていた。
俺が、ついさっきまで過ごしていた世界が、教科書の中にある。
「邪馬台国をヤマトコクと読む説もあります。新井白石の記した…」
そうか。
あの場所は、俺とヤマトが同じ星を眺めたクニの名は――。
思い出して、学ランの襟元に手をやる。第一ボタンは、確かになくなっていた。
その事実だけが、あの時間は夢じゃないと、俺にささやき続けている。