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日本人×独逸人

「今日残業になってしまったので…すみません」
言いつつ男は、我ながらちっとも済まなそうではないな、と思った。声に感情を出すのが苦手だ。
すると電話口の向こうでも、抑制の効いた声が、構わないから仕事を優先してください、と言ってきた。
もう一度謝り、電話を切る。ため息が出た。

仕事を優先しろと言われた以上、もしこれで無理をして会いに行ったら、
きっと彼は男を軽蔑するだろう。以前同僚にいたフランス人が同じことをした時、
自分の役目を果たしもせず恋愛事にうつつを抜かす人間は、もっとも軽蔑すべき対象だと
童顔に皺を寄せて言っていた。彼の母国ではそんなことは有り得ないらしい。

久しぶりの逢瀬になるはずだった。本当は会いに行きたい。
けれどやはり自分も、与えられた職務を全うすることが優先だと思ってしまう。
どんなに辛くとも、果たさなければならないのが仕事なのだ。
結局のところ自分はどこまでも融通が利かないのだと結論が出てしまう。
同じような性質を持った人間同士は、合わないのかもしれない。そんな風に思えてきてしまい、また一つため息が出た。

男以外は誰もいないオフィスで軽く伸びをし、デスクに座る。考えても仕方が無い。できるだけ早く終わらせよう。
男がパソコン画面に目を落とした時、廊下でエレベーターが動く音がした。
誰かが忘れ物でもしたのかと、オフィスの入り口に顔を向ける。そして男は目を見開いた。

いつもきっちりと分けている黒髪が、珍しく乱れている。皺一つない背広が、腕の中で乱暴に掴まれている。
「すみません……どうしても我慢できなくて、会いに来てしまいました」
男から見れば幼く思えてしまう顔を上気させて、彼は言った。

思わず立ち上がりながら、男は思った。
日本人は、意外と情熱的なのかもしれない――と。