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どうぞー

むしゃくしゃして堪らなかった。仕事が上手く行かないの満員電車で足を踏まれたの応援している野球チームが負けたの、
そういう些細なくだらないことが積もって渦巻いて捌け口を見出だせなくて今にも噴火しそうだった。
今すぐ実家に帰って思う存分に源五郎(秋田犬・オス・5歳)を撫で回したい。しかし実家までは新幹線で3時間の距離だ。
そして当然明日も仕事だ。なによりこの平日深夜に「犬を撫でに帰ってきた」なんて言おうものなら老いた母は確実に俺が病んでいると疑う。
だからもうどうしようもなくてこのイライラをどこにぶつけたらいいか分からなくてとにかく源五郎に会いたいよう。
怒涛の如く垂れ流す俺の愚痴にただ頷いて、後輩は妙に嬉しそうに両腕を広げて笑った。
「どうぞー」
「何が」
「思う存分撫で回していただいて」
「だっておまえ源五郎じゃないじゃん」
「そんなのは些細な事です」
ささ、遠慮なく。酌でもするような節回しで言いながら後輩はニコニコと俺を見る。俺は鼻をすする。
そんなこと言ったって。半信半疑でがら空きの胸元に飛び込んで、ひとまずその茶色い髪を乱暴にかき回してみる。おや。
「意外とイケる」
「そうでしょうとも」
「けど汗くさい」
「すいません」
柔らかい髪は源五郎のそれには及ばないけれども、ぐしゃぐしゃしているうちに段々気持ちが落ち着いてくる。
鼻水も治まってきて、だから汗の匂いが余計に感じられるようになった。それだけ必死に駆けつけてくれたってことだ。
「メンタル弱い先輩でごめんな」
「大歓迎です。僕はね、嬉しいんですよ」
「何が」
「先輩が僕にだけそうやって愚痴って泣きついて、ついでに撫でてくれるのが」
顔は見えなかったけれど相変わらずニコニコしているに違いなかった。たぶんその笑顔は源五郎に少し似ている。
赤ん坊をあやすみたいに背中を叩いてくれる手に体を預けていたら眠くなってきた。イライラもどこかへ行ってしまった。
俺がどんなにだらしなくても、こいつは文句も言わず俺に何でも差し出してくれる。望むものを望む時に。
「おまえ可愛いなあ」
「それは先輩が僕のことを大好きだからそう見えるだけですよ」
「そうな」
「いつでも何でも呼んでください。僕は先輩のためなら何だってします」
はいどうぞ、って嬉しそうな顔で。