異端者×実験体

何日かぶりに扉の開く音がした。続けて一人分の足音が近付いてくる。
僕は床から起き上がり、足音が僕の方へと近付いてくるのを聞いていた。
ああ、遂にこの日が来たのだなと、ぼんやり思う。
不思議と怖くはなかった。
頭の中にある教典の一説を諳んじる。

――生きることは罪であり枷である
――罪とは苦痛であり快楽であり、枷とは戒めであり抱擁である
――汝、罪に溺れるなかれ、枷に囚われるなかれ
――許しあい、助け合い、共に祈りを捧げよ
――祈る者の前に神は現れ、神により全ての罪は浄化される
――汝、罪を濯がれた者、終末を超え、楽園へ導かれる

足音が僕の目の前で止まる。
頭を上げて、僕は眼前に立つ人に言った。意識して、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕は、貴方がたを許します」
それは僕にとって、最初で最後の『託宣』だった。
僕は失敗作だ。目的を達成できなかった出来損ない。
彼らが望むものに成れず、彼らの望むことを知らず、彼らに望みを与えなかった。
気が遠くなるほどの実験を繰り返しても、僕は何も得ることができなかった。
彼らは少しずつ失望していった。
そして次第に失望は怒りに変わり、最後には裏切りであると罵られた。
『次が出来たらお前は用済みだ』、宣告を受けて僕はこの部屋に放り込まれ、
日に二度の食事と形ばかりの問診以外で彼らと接触することはなくなった。
その訪問もここ数日間は途絶えてしまい、僕は冷たい床に伏しているほかなかった。
そして、いま扉は開かれた。
そのことが何を意味するのか、僕にはわかっていた。結局、僕は彼らに許してもらえなかったのだ。
「上手く出来なくてごめんなさい。でも」
だからこそ僕は伝えたかった。床に転がっている間考えて、ずっと温めていた『託宣』。
それが彼らの望むものでないとわかっていても。
「たとえ僕の罪を許して貰えなくても。僕は貴方がたを許します」
彼らの望みと彼らの教義に則った、僕の精一杯の応えだった。

しかしそれに返って来たのは、
「あ?」
という、それまで一度も聞いたことのない響きの声だった。
「なにわけわかんないこと言ってんだ、お前」
そのときになって僕は初めて、眼前の『誰か』が『彼ら』のうちの誰でもないことに思い至る。
そういえば、足音の調子がいつもと違った気がする。扉の開く音もいつもより乱暴だったかもしれない。
これから自分に訪れる結末のことで頭がいっぱいで、そのことに気が回っていなかった。
動揺する僕をよそに、その『誰か』は僕の前に屈み込む。
「こんなガキを祀り上げて神の後ろ盾ガーとかほざいてたのかあいつら。馬鹿じゃねえの」
言いながら、僕の頭を掴んで乱暴に髪をかき回し始めた。
驚いて後ずさるも、背中はすぐ壁に当たってしまう。足枷の鎖がじゃらりと音を立てた。
すると『誰か』は僕の頭からあっさりと手を離し、今度は僕の両手足に嵌っている枷を触り始めた。
「カミサマってのは牢屋に縛りつけておくモンなのかよ。こっちの方がよっぽど天罰モノだろ」
皮肉っぽく吐かれたセリフに僕はハッとして、僅かにあった恐れも忘れ、思わず口を開いていた。
「僕は神様ではありません」
そして一拍置いて、声を絞り出した。
「……神の、成りそこないです」
言いながら、自分の言葉で胸が痛むのを感じていた。
それは僕が僕であり始めたときからずっと続く、慣れた痛みだ。
「成らなければいけなかったのに、成れなかった。あの人たちを裏切った。
 だから僕は罪人なんです。許されざるものです。この枷は戒めであり、罰なんです」
彼らの望むものになれていたら、この重い枷からも解き放たれて、愛して貰えたのだろうか。
そんな詮無いことを思ってしまい、とうに枯れ果てた筈の涙がまたこぼれそうになる。
「あのなあ」
と、突然顔を両手で挟まれた。痛くは無かったが、僕は驚きのあまり硬直する。
「だから、わけわかんないこと言うなって。ガキがヤセ我慢してんじゃねえよ」
「やせ、がまん……?」
「違うのかよ。泣きそうな顔して『許します』だの『罪人です』だの言われても説得力ねえよ」
荒っぽい口調なのに、不思議と怖くはなかった。
僕はぽかんとして彼がぶつぶつ言うのを聞いていた。

「あーくそ腹立つ。出来物のカミサマをぶっ壊してあいつらに吠え面かかせてやるつもりだったのに
 それやったら俺の方が最低野郎だ。つーかどっちが冒涜者だよ。何が神だよ、どこにもいねえじゃねえか」
「だから、あの、僕は神様じゃ…」
「うるせえな。んなことは見りゃわかんだよ」
両手で挟まれていた顔が引き寄せられて、声のする場所が更に近くなる。
「確かにお前はカミサマじゃねえよ。けどな、ナリソコナイとかいうやつでもないだろ。なんだよそれ」
「………え」
「お前みたいなひょろっとしたガキが、罪人なわけあるか。笑わせんな」
笑わせるなと言いつつ、彼の声は怒気を帯びている。
それでもやっぱり、怖いとは感じなかった。僕は彼の言葉を頭の中で反芻する。

彼らは僕を神にしたかった。神の言葉を欲し、救いを求めた。
僕は神になれなかった。告げる言葉を持たず、何も救えず、罪だけを背負った。
彼らは言った。『この成り損ない、裏切り者、なぜ声を聞かない、なぜ未来を視ない、なぜ我々に道を示さない』
僕もその通りだと思っていた。彼らを疑う余地などなかった。
しかし目の前の彼は、違うと言う。
こんな僕が成り損ないでないと言うのなら、罪人ではないと言うのなら、僕は一体なんなのだろう。
そんなこと、今まで考えたこともなかった。

「よし、決めた」
ふと低い声が聞こえて僕は現実に引き戻された。
頬からは既に彼の手は離れていて、その替わりのように鎖を何かで叩いている音が耳に入ってくる。
まるで鎖を叩き壊そうとするような。
「あの」
「悪い。鍵を探すのが一番いいんだろうけど、あんま時間がねえんだ。そろそろ気付かれる。
 枷の方は逃げ切った先でなんとかして外してやるから、もうちょっと我慢してろな」
彼が何を言っているのかわからず僕は再び混乱する。
逃げ切る?誰が?誰から?
「見てろよクソ司祭ども。異端の鼠一匹を狩り逃したのがてめえらの運の尽きだって思い知らせてやる」
彼は叫ぶ。
「カミサマなんて、クソ食らえだ!」
がちゃん、と鎖の砕ける音がした。



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2014年01月26日 06:40