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平民×王子様

荒くれ者の集う酒屋の壁際で娼婦に軽くあしらわれている青年を見て、俺はめまいを起こしそうになった。
炭で顔を汚し、簡素な服を着て上手く化けたつもりかもしれないが、
艶のある髪や手入れの行き届いた爪はいつぞや城で見た姿をすぐに思い起こさせた。
面倒なことは避けたい性分なのだが、さすがに今回は見逃せない。
大股で近付き、金髪の女の肩を叩いた。
「あっちでママ・ルアンヌが呼んでたぜ」
「あら残念。今夜はお別れね、ボク」
女は派手なブラウスに覆われている胸の膨らみを見せ付けるようにして席を離れた。
こちらの気も知らず、彼はのんきな顔で手を振っている。
俺は前の席にどっかと腰を下ろし、彼が飲んでいたらしい酒を引き寄せた。
「あんた、何しに来た。こんな安酒がお好みか」
青年の目が一瞬丸くなり、それから微笑みのために細くなった。
「堅苦しい場で飲むよりはこちらの方が良い。歌も踊りも楽しめる」
彼――第4王子アンリ・デ・ダルシャン――はそう言い、俺が取り上げた酒に手を伸ばし、一気に呷った。
が、白い喉がこくりと鳴った次の瞬間、彼は盛大に噴き出した。
テーブルがびしょ濡れになり、彼自身の服も色が変わってしまった。
慌てて背中を叩いてやったが、ずいぶん長いこと咽ていた。
激しい咳と呼吸の合間をぬって彼が呟いたのは、「美味くはないな」という一言だった。
「飲めないなら無理に飲むな」
王室育ちが口にするワインとは物が違う。
そんなこともわからないのかと呆れていたら、僕は飲んでない、先程の彼女の酒だと返された。
自分の勘違いを反省すべきか、彼の無茶を叱るべきか、迷うところだ。
「ルーカス・フルドラン、僕と勝負しろ」
酒とも唾液ともつかない口元の液体を拭いながら、彼の目は青く燃えていた。
ああ、誇り高い剣士の目だ。
あの日中庭で見た澄んだ目だ。


――1ヶ月前のあの日、僕は君に侮辱された。
試合は全力を出すのが鉄則だ、途中で止める事など許されない。
周りから見れば互角の戦いに見えたかもしれないが、剣を合わせている者同士ならはっきりとわかる。
僅かにそちらの方が優勢だった。なのに、君は何故か剣を引いた。
王家に気を使ったつもりか? 王子に花を持たせたのか? 剣に対する尊敬はどこへ行った。
僕は確かに王の息子だが、あの日あの場では一人の剣士であったはずだ。
君は僕のみならず、剣を持つ全ての者を軽んじた。
そのことが許せず、君を追ってここに来た。

黙って聞いてはいたが、俺には俺なりの言い分があった。
あの頃はまだあばら骨がくっついていなかった上に、試合が長丁場になって二人ともひどく消耗していた。
いや違う、視界の隅で王が小さく欠伸をしたのがきっかけだった。
国王に剣を馬鹿にされた気がして、俺は先に負けを継げた。
招待試合の場で主催者が飽きているのに、戦いを続ける意味がないと思ったのだ。
しかし今思うと、確かに彼には失礼なことをした。
親は親、子は子。なぜあの時そんなことに気付かなかったのだろう。
生まれついた庶民根性のせいか、あるいは相手の腕前への焦りが出たか。
どちらにせよこの勝負、男ならば受けなくてはならない。
「剣はあるか」
「2本持ってきているが、自前の剣でも構わない」
彼は隠し持っていた布の包みを取り出して見せたが、紋章入りの王室の剣など使う気がしなかった。
もし刃こぼれでもしたら一大事だ。
「俺は庶民の剣でやらせてもらう。立会人は?」
「あの女性に頼もう」
「娼婦だぞ」
「何か問題が? 僕がここにいることの方がよっぽど重大だ」
自覚しているのなら尚更たちが悪い。
切れ者の第1王子に聡明な第2王子、温和な第3王子、そして無謀な第4王子。世の噂は案外的を射ているようだ。
「3つ条件がある。1つは決闘ではなく試合をすること。あんたを殺したら俺も首を刎ねられるからな。
2つ目は終わったらすぐに城に帰ることで、最後にいますぐ『僕』を止めること。
坊っちゃん育ちだとここの奴らに知られたら危険だ。城に反感を持つ者も多い」
オーケイ、クソ野郎――王子の話しぶりは妙に板についていた。


相手に背を向けて店の前の道を3歩歩いたら、それが試合の始まりだ。
金髪の女が甘ったるい声でカウントを取る。アン、ドゥ、トロワ。
先手を取る! そう思っていたはずだったが、相手の方が幾らか速かった。
左に回られて体の横で剣を受けることになった。
「遅い! あまりオレを見くびるな」
ぎりぎりと剣をかちあわせながら彼が叫ぶ。
「最初から飛ばすな、前の試合を忘れたのか」
「早く終わらせるために飛ばすんだ」
胴に入りそうになった剣を払いのけ、そのまま首を狙う。
もちろん寸止めするつもりだったのだが、思いがけず前に踏み込まれて腰が引けた。
「おい、死ぬ気か!」
「王族の血を見るのがそんなに恐ろしいか、この臆病者」
彼は俺を煽っている、乗ってはいけない。
しかし相手の身を傷つけないように戦うのが難しいことはよくわかった。
「本気を出してやるよ。おしっこチビんなよ、ボク」
「貧乏剣士め、おむつの替えを用意していなかったことを後悔しろ」
しばし睨みあい、互いに距離をつめ剣を大きく振るった直後、勝負は決した。

「それまで!」
耳に飛び込んできたのは凛々しい男の声だ。
「双方剣が折れましたので、引き分けです」
「はは、フランツ。声が戻ってるぞ」
甘ったるい声でしなを作っていたはずの娼婦が、機敏な動きで折れた剣先を拾い上げた。
俺はわけがわからず、間抜けにもその場で固まってしまった。
「試合は終わりました。金輪際こんな芝居は御免です」
芝居? 男の娼婦? 待て、一体どういうことだ。
「ルーカス・フルドラン、君は強い。是非第4王子直属の騎士に指名したい」
彼が真っ直ぐに手を伸ばし、握手を求めてきた時、ようやく気付いた。
このまさに奔放な王子は、直情型の箱入り息子の振りをして俺を釣り、真剣勝負をしかけて俺の実力を試したのだ。
測られたのは気に食わないが、鮮やかな剣技は尊敬に値する。
俺は一つ息をついてから、鼻の頭をかきながら彼の握手に応えることにした。
以上が我が主であり我が最愛の人、アンリ・デ・ダルシャンと出会った夜の全てである。