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飲兵衛と下戸

酒が一滴も呑めないというのは、今の世の中だとなかなかに試練であるらしい。
「業後の付き合いつったら、大抵は居酒屋だろ?最近はソフトドリンクをいろいろ置いてる店も増えてきたけど
 やっぱり注ぐとか注がれるとか、そういうのがあるわけよ。話をするきっかけにもなるしな。
 そこで『すいません、一滴も駄目なんです』で蓋するのはやっぱなんかこう、悪いなあとか思っちまうわけよ」
「ジュースのペットボトルで注いでまわればいいのにね」
そう言ったら、お前面白いこと言うなあと言って、健さんは笑う。
テーブルには小アジの刺身やら酢ダコやら豚の角煮やらアスパラと海老の合わせ揚げやらがずらりと並んでいる。
俺は箸を取って少し離れた場所に置いてあった春巻きを取ろうと手を伸ばした。
健さんがそれに気付いて皿を俺の方に寄せてくれる。
「でも飲めない人に無理に飲ませるのは良くないでしょ。好きで飲めないわけじゃないのに」
「まあ、最近じゃ『俺の酒が呑めねーのかー』みたいな人は殆どいねえよ。部内の奴らは俺が飲めないの知ってるし、
 内輪で飲む分には寧ろ幹事の若いのが『今日はジンジャーエールっすか?それともカルピスにします?』てなもんよ」
そんなこと言う健さん、本日はウーロン茶である。
「問題は初対面のときなんだよ、付き合いの。飲めないつったらすげえ驚かれるんだこれが」
「だって健さん、見た目は酒に強そうだから」
「それよそれ。みんな揃いも揃ってそう言うんだよ。強そうな見た目ってなんだよ。どんな人相だよ」
そこがわっかんねーんだよなーと言いながら、右手のグラスをぐいと呷る。
いい飲みっぷりだがウーロン茶だ。
「あ。じゃあ逆に酒に弱そうな見た目にすれば『飲めないんですスイマセン』『おお、そうとは知らずにスイマセン』
 っていう互いにテンション下がるやり取りを極力回避できるかもしれねえのか??やってみる価値はあるかな?
 つーか酒に弱そうな見た目ってどんなだ?吐きそうに口を押さえてるとか?いやでもそれは飲みすぎた奴の見た目だよな……」
なんだか一人で変な作戦を立て始めた彼を無視して、
俺は手前にあった豆腐の味噌和えをひとくち口に入れた……のだが、味噌とは違う味が口の中に広がって一瞬固まる。
驚きのまま反射的にグラスの冷酒を呷って飲み下し、目の前にある小鉢をじっと見つめた。
「……健さん、これ」
俺の様子に気付いたのが気付いてないのか、彼は少しこちらに身を乗り出してくる。
「お。それどうよ。こないだ行った店のママに教わったから作ってみたんだ。なかなかいけるだろ?」
「これ、豆腐についてるの、なに」
「ん?ピーナッツバターだけど」
「……。肉味噌かと思った」
さっきは予想と違う味に驚いてすぐ飲み込んでしまったが、もう一口食べてみると確かにピーナッツの風味がする。
「ちょっと珍しい感じがするけど。おいしい」
そう言うと、健さんはとても嬉しそうに「だろ?」と笑う。
酒に強そうな見た目を持つ健さんは、その見た目に反して料理がとても上手い。
細かい手間が苦にならない性分らしく、やたら時間のかかる下拵えだの調理法だの、平気な顔でこなす。
おかずでも酒のツマでもなんでも来い。その上、肉以外の野菜や魚もバランスよく組み込む配慮も見せる。
彼が一滴も飲めないことに驚いた人達に、今このテーブルに並んでいる小皿の数々を見せてやりたい。きっと更に驚愕するだろう。
そんなことを言ったらまた「料理が下手そうな見た目ってなんだよ」と絡まれるので彼に伝えたことはないが。
健さんは上機嫌で自分でも豆腐を口に運び、うんうんと頷いている。本人としても納得の出来のようだ。
「でもお前、ピーナッツバターと味噌を見間違えんなよ。そりゃ色は似てるけどけっこう違うだろ」
「よく見てなかった。ていうか、よく見えない」
「そういやお前、飲み始めて少ししたら絶対に眼鏡外すよなあ。なんで?」
なぜと聞かれてもよくわからない。絶対に外すと決めているわけではない。
ただ、飲みつづけているとだんだん邪魔くさくなってきて、気付いたらかけていないのだ。
「もしかして外で飲んでるときもそうなのか?そのうち眼鏡失くすぞ」
「それ、もう何度かやってる」
出費としてかなり痛いので忘れないようにしたいのだが、どうも飲んでいると注意力散漫になるらしい。
だったら最初から外してケースにでも入れておけばいいのだが、飲み始めのときから視界がぼやけているのも具合が悪い。
「いっそコンタクト」
「絶対やだ」
言われかけたセリフを遮って即答すると、健さんは呆れたように笑った。
「そこ拘るよなあお前。まあ、うちで飲む分には俺が見てるからいいけどさ、気をつけろよ?割れたり割ったりは危ないぞ」
「うん」
そういえば今日はどこに外して置いたんだっけと周囲を見回していたら、健さんが「こっちに置いといた」
と言って後ろにある机の上を指差す。ぼやけてよく見えないが、そこに眼鏡が置いてあるようだ。
いつの間に移動させていたのか、記憶を手繰ってみるがよく思い出せない。
訪ねて来てからこっち、健さんのツマが美味くて買って来た酒も美味くて、それを交互に楽しんでいた記憶しかない。
「俺、健さんには一生頭があがらないと思う」
「おーおー。崇め奉れ」
「いっそ結婚してほしい」
「おーおーおー。じゃあ給料三か月分稼いでこい。就職先見つけないとなあ。ああ、その前に論文書かないとナントカ号とれないんだっけ?」
「論文の話はNGワードでお願いします」
こうして他愛の無い話をしながら、夜は更けていく。
その時間が俺にとってはとても贅沢で楽しくて、出来れば健さんもそう思っていてほしいが、確かめたことはない。
酒が一滴も呑めないことが世間一般の飲み会で試練なら、そんな試練パスして
俺とずっと家でウーロン茶を飲んでればいいのに。…そんなことを考えてしまって俺は頭を振る。
そろそろ酒がまわってきたみたいだ。