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サラリーマン×宅配業者

 バイクを社員通用口の近くに停めると、ヘルメットを脱ぎ、手櫛で髪を整えて、とりあ
えずブルゾンの埃など払ってみる。まあ、それでどうなるという訳でもないが、儀式的な
もので。
 キーをポケットに納めて、深呼吸をする。何度も通ったのに緊張するのは何故だろう。
 ……まあ、理由など分かり切った事だが。
 ガードマンに用件を告げて屋内へ。ブーツの踵が立てる音が耳につく。心なし足を速め
エレベーターのボタンを押した。
 もうすぐ、彼に会える。それだけで心臓がどかどか音を立てて疾走する。けれどこの
落ち着かない気分は嫌いじゃない、うん、むしろ、好きかな。

 都内某オフィス街。ありがちなビルのありがちな複合テナントの一角に、俺の目指す
場所はある。

 エレベーターが目的の階に停止する。かすかな音を立ててドアが開くと、すぐ目の前
には受付がある。受付嬢というには少々とうの立った事務員が、俺に気付くと、用件を
告げる間もなく彼を呼んだ。
「主任、工藤さんが到着されましたよ」
 週に何度も通っていれば、自然と名前も覚えられるというもので。ここは大手広告代理
店の分室で、主にデザインを担当しているらしい。らしい、というのは、俺はそういう
業界の事の詳しくないからよく解らないんだけどさ。で、本社の伝達とかクライアント
への資料配達やら、諸々出てくる軽いものを俺が運んでいると、まあそういう訳。


「済まないね。あと少しで終わるからちょっと待っていてくれる?」
「あ、はい。気にしないで下さい」
 彼は親しげな笑顔をこちらに向けて、手招きする。オフィス内は仕切で区切られていて、
作業スペースをちょっとした個室のように作り上げており、集中して作業出来るように
作られていた。
 俺が思わず笑顔で小走りに寄っていくと、彼はぽんぽんと自分の膝を叩いてみせる。
椅子が無いから膝の上に座る? とでもいうのだろう。相変わらず冗談の好きな人だ。
確かに軽量級の俺なら、いかにもトップアスリートな感じの鍛えられた彼の膝に乗っても
軽いものだろうが、だからって好奇心でお邪魔する程に非常識ではない訳で。俺は笑って
首を横に振った。親しき仲にも礼儀ありです。
 電話対応に追われている彼を眺めて、ちょっと幸せに浸ってみる。真面目な声で折衝
しつつ、たまにメモを取りながら、更に俺をからかう為に笑顔を向けたりするこの人の頭
の中はどういう構造をしているのだろう。俺なら聞き逃しそうだ。受話器を持つ手の大き
さとか、広い肩幅とか、聞き取りやすい色気のある声とか、髪を掻き上げる仕草が堂に
入ってるとか……どうでもいい事をうっとり眺めている俺は大分変だと思う。
 まあ、十九そこらのガキ相手とはいえ、冗談でも膝の上を勧めるこの人も大概おかしい
けど。


「待たせたね。今日は3件程お願いするよ」
 受話器を置いて、机の上の封筒を取るとこちらへ向き直る。
「いつもご利用ありがとうございます」
 型通りに頭を下げるけれど、声ばかりは気持ちを裏切れない訳で。元気な挨拶に
気を良くしたのか頭を……撫でられた。
「いや、こちらこそ無理を言って済まないね」
 撫でながら言う事じゃないと思う。また切羽詰まってるのか、この人。
『これから無理言うよ』
 と言わんばかりの発言に、俺は内心覚悟を決めた。間に合うかなー、ははは。
「で、お願いするのはこれなんだけれど……。一通衝撃に弱い物が含まれているので気を
付けて運んで下さい」
「はい」
「それから……」
 注意事項を何点か、それぞれの住所と、優先順位などが伝達される。
 わざわざ席を立って、律儀に対応してくれる彼が好きだ。おざなりな対応じゃなく、
俺のようなバイク便の兄ちゃんの為に時間を割いてくれる誠実さが好きだ。


「それでは、お預かりします」
 またたく間に、時間は過ぎてしまう。退去を告げて頭を下げれば、後は時間との戦い
が待っている。タイムリミットが設けられた書類がある以上、もたもたしてはいられない。
 この人の側にいられる時間はいつも数分。何故なら俺が呼び出されるのは、決まって
時間が押してる時だからだ。それでも、この数分の為に俺は頑張れる。
「それじゃ、また明日……か明後日、かな」
「もう決まってるんですか」
「まあ、色々予定詰まってるからね。じゃあ頑張って」
 苦笑する彼は俺を笑顔で送り出した。俺はもう一度頭を下げると、エレベーターへと
向かう。徐々に仕事モードへ頭が切り替わっていく。いかにして短い距離で、時間を
有効に使って届けるのか。その順序。バイクに跨れば後は体が動いてくれる。
 今日も、彼の笑顔の為に走ろう。数ヶ月後には、素晴らしい成果物が其処此処で見ら
れるだろうから。その仕事を間接的にでも手伝えることは、何て誇らしい。

 数日後の数分を約束して、俺は走り出す。大事な絆のように、封筒を携えて。