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ダメ人間

及川一朗は正真正銘の駄目人間である。
産まれてこのかた、何事にも真剣に取り組んだことがない。
剣を振れば3度で脛に木刀をぶつけ、男児たろうものが泣きながら逃げ
文を書かせれば仮名ばかりでまるで形式もならぬ物を書く。
絵を書かせれば鼠が草履になり、歌を歌わせれば使用人が腰を抜かす。
性格は締めるべきを緩め、緩めるべきは更に緩めており、一言で言うならば駄目人間だ。

不本意ながら幼馴染と呼ばれる関係である私にとっては、実に腹立たしいが
本人曰く「長男第一子で一朗と名付けられたときから適当に生きると決めた」そうだ。
嬰児時代にそんなことを決められる人間がいるわけがないので無論大法螺である。
この法螺吹きは、これまた腹立たしいが面構えが端正であるため
カフェの女給や本性を知らぬ女方には人気がいいようだった。
人生を持ち崩す駄目人間ぶりをこの顔と愛嬌で乗り切ってきたと言ってもよい。
こいつのおこす厄介事の尻拭いを預かり早22年。
例え剣の師匠である、こいつの御尊父に頼まれていようが
そろそろ私も堪忍袋の緒が切れようというものだ。

その日も流行りのカフェにて泥酔の体を晒し、着物の裾をからげて
端正な面を涎と酒気まみれにした及川の身体をしぶしぶ背負って、
勿論未払いの飲み食い代を支払い、罵声を堪えて一礼して引きとった。
毎度毎度のやり取りに、最早顔なじみになってしまった女給は
雑に及川を背負いながら仏頂面で銭を突き出す私の鬼瓦顔なぞ露ほども気にせず、
いつも大変だね、まあいっちゃんの事も分かっておやりと知った口を聞く女給は
笑いを堪えて代金を受け取った。

背に負った及川が酒臭い息をたっぷりと吐く。
「目覚めたのなら降りろ。歩け」
そう言い放つと、及川はへらへらと声もなく笑ったようだった。
ごまかしの愛想笑いは通じなくなって久しいが、私が尻拭いをするといつもこいつは笑う。
「そういって、ずっと背負ってるくせに。貴ちゃんは優しいねえ」
だがその日は愛想笑いに続けて言葉を紡いだ。酔いが浅いのだろうか。珍しい。
「……降ろしたら道端で寝続けるだろうが」
「うん」
「寝続けて、起きたらまた及川の家に帰らずカフェへ行くだろう」
「うんうん」
「そうすると、師匠に申し訳が立たん」
「……そうだねえ。よくわかってるよねえ貴ちゃん」

おかしそうに身体を震わせて、私の背中に顔をこすりつけてくる。
子供のような体温に、女給の甘い移り香。酒気。よく慣れた非日常だった。
「ねえ、貴ちゃん、どうしてそんなに何でも分かる癖におれの気持ちはわからないのかな」
笑っているのかと思っていたが、身体を震わせているのは泣いているからだと気付いて沈黙する。
嗚咽を堪える細い体は、みるみる体温があがっていく。
駄目人間と揶揄されるこいつは、つまりは不器用で愚直なだけなのだと私は知っている。
だからいつだって、愛の言葉はまっすぐだ。

「ねえ、貴ちゃん、おれはあんたが好きなんだよ。ねえ、ずっと好きなんだよ」
私の背中に吸い込まれて酷くくぐもった声で、及川は愛の吐露を続ける。
好きなんだよ、わかってるくせに酷いよ。子供のころからずっとだよ。
家も名前も全部捨てておれのものになってよ。あんたのものにしてよ。

泣き声と涙で、私の背中が熱くなったころ、及川は寝入った。
ため息をついて、私は目線を潜めた。
「当の昔から、わかっているさ」
何度目かの告白も、明日にはまた忘れてしまっていることだろう。
そうしてけろりとした顔で放蕩して、泥酔しては愛をこぼして、次の日には忘れて。
だから私も、明日には忘れてしまって、何度でも及川を迎えに行くのだ。
何度でも。堪忍袋の緒を切らしかけながら。
お前のような駄目人間は、私しか面倒見切れないのだと思いながら。