※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

悪堕ち

「おや、これは手ひどくやられたものだね」
獄につながれた青年は床の上で上体を起こし、声の主をねめつけた。
その鋭い視線を受け止めて、壮年の男は白々とわらってみせた。

数日に渡る拷問は精悍な面差しに濃く疲労の影を刷いていたが、心は折れていないようだった。
絆の力が、青年をあちら側につなぎ止めている。
その強さを、男は認めざるを得なかった。
しかし、いかに密な結びつきとて弱点がないわけではない。
やり方さえ間違えなければ、思いの強さを逆手にとることも出来る。
しばし言葉を吟味して、男は穏やかに語りかけた。

「君が何故これほどまでに頑なな態度をとるのかは分かっているよ。
我々に与しないことで”あの男”に義理立てしているつもりなのだろう?」
青年は応とも否とも答えなかったが、聞こえていることは確かだった。
男は気にするふうもなく話を続ける。
「あれはひどい男だ。君のことなど、精々使える手駒としか思っていない。
君は命すら捧げる覚悟のようだが、向こうがどれほど君の価値を認めているのか、甚だ疑問だね。
……一度でも、君の手柄を褒めたことが?」
青年の表情がぎくりと強張る様を観察しながら、それ見たことかと胸のうちで嘲笑った。
付け入る隙を与えたのは奴の手落ちだ。
ひたすらに鍛え、正しい方向へ導いてやることだけが愛だと信じて、
常に青年の行いを厳しく律してきた。その結果がこれだ。
十の叱責のうち一度でも、甘い言葉をかけてやればよかったのだ。
「長年そばにいながら、君の思いに応えようとはしなかった。
はっきりとした態度をとることもしなかった。それは――」
「やめろ!」
青年は動揺もあらわに叫んだ。聞きたくないといいたげに激しく首を振ったが、
両手を拘束されていては耳を塞ぐこともできない。
「――君をつなぎ止めておくのに都合がいいからだ。君の力を、ていよく利用したのだよ」
青褪めた顔に、ゆっくりと絶望の表情が広がってゆく。
男は青年の傍らに片膝をつき、冷たい頬をそっと撫でた。
「かわいそうに。今までさぞ辛かっただろう……」
揺れ動く心のうちを男は的確に読んでいた。あと一押しでおちる。
決定打となる台詞は、あらかじめ用意してあった。
顔を寄せ、息がかかるほど近くで囁く。
「あの男を捕らえることができたら、君にくれてやろう。好きなようにするといい」
青年の双眸に暗い光が宿るのを見届けて、男は満足げに頷いた。
「君はあの男が認めるよりもよほど優秀だ、私にはわかる。
これからは私のもとで、その力を存分に揮いなさい」
「……仰せの…ままに」
青年はうなだれたまま、ついに掠れた声を押し出した。
男は目を伏せ、無意識に古傷の継ぎ目を指でなぞった。

実際、青年は優秀な懐刀になることだろう。
純粋なものほど染まりやすく、狂わされたと気付いても既に後戻りは叶わない。
彼は運命を選んだのだ。
かつて、自分がそうしたように。